第4話 異本


伊豆郷土研究同好会

理事長 津知屋 良道氏より

私の問合せに対する返信のメール



安佐賀 慎一 様



お世話になっております。

昨日はわざわざお電話、ありがとうございました。

改めて、伯父さまのご冥福をお祈り申し上げます。西伊豆の郷土研究に多大なる貢献をされた方でした。


さて、メールに添付いただいた画像も拝見しました。立派な「こて絵」ですね。「伊豆の正八」はもちろん存じておりますが、私よりももっと詳しい者が同好会の会員に居ると思いますので、後日紹介させていただきます。


私の専門はどちらかというと南伊豆の古代史で、幕末・明治の美術はあまり詳しくありません。こんなにせまい田舎の郷土史なのに、やれ専門だの、専門外だの、おかしいでしょう。でも、研究を続けているうちに得意・不得意は自然と出てくるものです。


ただ、私の古代史研究の観点から、ひとつだけお伝えできる事実があります。


それは2枚目の写真にあった、箱書の文字についてです。私にも「正八」の名ははっきりと読み取れましたが、その上にある文字は判読しづらいものでした。だいぶ墨も薄れていたのですが、辛うじてごく一部だけは読み取れました。「死」「於」「綿」などの文字です。


おそらく、つなげてみると、このように書かれていることでしょう。


『死神待於綿津見之宮』


書き下すならばさしずめ、


『死セル神ガ綿津見わたつみノ宮二於ヒテ待ツ』


つまり「死んだ神が海底の宮殿で待っている」というような意味ですね。これがこの作品の銘、つまりタイトルでもあると、私は考えます。


なぜ、ごく一部の文字から、一文全体を推測できたかというと、私は以前に、この文章を目にしたことがあるからです。


それは伊豆の造島神話について、書かれた古文書でした。


*


『三宅記』と呼ばれる古文書群を、安佐賀さんはご存知でしょうか。


伊豆半島や伊豆諸島の由緒ある神社や、神職の家に古くから伝わる諸本を総称して『三宅記』と呼び慣しております。写本ごとに『三嶋大明神縁起』『嶋々御縁起』『白浜大明神縁起』など題名も少しずつ異なり、内容的にも異同はあるものの、おおむね「三嶋大明神の御縁起」、つまり「伊豆の神様の由来」を述べた文書と言っていいでしよう。


それによると大昔、遥か天竺(現在のインド)よりこの地へやって来た三嶋大明神は、富士南部の土地(伊豆半島)を与えられました。そこを手狭に感じた神は七日七夜をかけて「島焼き」を行い、十の島々(伊豆諸島)を産み出したと伝えられています。これらの島々は地学上は富士火山帯に属し、大島、三宅島、八丈島などは数十万年前から噴火を繰り返してきました。「島焼き」は噴火による造島運動に想を得た、壮大な創造神話と考えることができます。


今から十年ほど昔、私はこの『三宅記』の研究をしておりました。諸本の異同を調べて、いくつかの系統群に分類しておりましたが、南伊豆のある古い神社で私が発見した写本は、明らかにどこの系統にも属さない、特異な内容が含まれていたのです。


私はこの写本を便宜上『異本 三宅記(以下『異本』)』と名付けました。


*


『異本』によると、神がやって来たのは、天竺ではありません。さらに遠く、別の星辰(天体)から来たと言うのです。まるで『竹取物語』のかぐや姫のように、遥かな天空から伊豆半島に飛来した神は、「島焼き」を行い、伊豆諸島を創造しました。そのくだりは他の『三宅記』諸本と同じです。


ただ、そこから先がまた違っていました。通説では、三嶋大明神は三宅島や、伊豆白浜に遷座なされた後、現在の静岡県三島市にある三嶋大社に鎮座したと考えられています。ところが『異本』によると、神は地上ではなく、伊豆諸島沖の海底に「綿津見之宮わたつみのみや」を築いたというのです。いわゆる竜宮城のような海底宮殿ですが、そこで神は「死んだ」もしくは「眠りについた」と記されています。両方の表記が混在して、どちらとも取れるような書き方だったのですが、私はこの神において、「死」と「眠り」は、ほぼ同じ概念なのだと解釈しました。本来、不死の存在が、仮死状態に陥る時、それは「死」であり「眠り」でもある、ということです。


予言めいたことも書かれていて、いつの日にか、「大地震おおないフル時、海ハ裂ケ、地ハ起リ、宮ハあらわレル。しこうシテ神ハ目醒メル」とありました。地震などの大規模な地殻変動が起きた時に、海底宮殿は地上に隆起して、神は目覚めるだろう、というのです。


*


この『異本』について、私は学会で発表すべきだと思い、いくつかの団体や研究者に査読を依頼したり、学会誌への掲載を打診しましたが、ことごとく不採録となりました。理由は『異本』の資料としての信憑性に疑問符がついたこともあります(ある大学の教授は、論文に目も通さず「偽書」と断定したそうです)。しかし、私自身の研究成果についても、厳しい批判の対象となりました。


『異本』を発見した当初、私自身はこれを数ある『三宅記』諸本の、特異な変種バリエーションと考えていました。しかし研究を進めるにつれて、「『異本』こそが全ての諸本のオリジナルである」という結論に至ったのです。はじめに『異本』があり、それが後世、世間一般の人々に受け入れやすい形に翻案され、諸本となって流布した。そのように考え、主張しました。しかしその説は、あまりにも荒唐無稽であるとして、学会には受け入れられませんでした。正直、私自身も荒唐無稽だと思いました。しかし、それが研究の末に出た結論です。内容や記法、紙質の年代測定など、全ての証拠がそれを示していました。


話がだいぶ横道に逸れてしまいました。改めて結論のみを述べると、この作品の銘は、『異本 三宅記』の一文『死神待於綿津見之宮』のように見える、ということです。となれば、問題の「こて絵」自体も、タイトルについて描いたもの、と考える方が自然ですが…そのあたりの絵解きは、別の者に譲りましょう。どうしても歳を取ると、変に出しゃばったり、余計な話や想像が多くなってしまいます。そのために世間から無視されたり、批判されることもあるのですから。


いただいた作品の写真を、同好会の会員に転送してみます。手がかりになりそうな返信がございましたら、後日その者を紹介させていただきます。今しばらく、お待ちください…。



伊豆郷土研究同好会 理事長

津知屋 良道


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