ありもしない未来

 その日の僕は窓から射してくる日差しと、目覚まし時計のアラームで目を覚ました。デジタル数字が示すのは午前六時半。もう少しで朝ごはんの時間だ。パジャマのまま階下へ降り、母が待つ食堂へ転ぶのも厭わず駆けていく。

「おはよう!母さん‼︎」

「おはよう、祐一。もうちょっとで出来上がるから。ほら、パン焼いちゃいな」

そう言って食パンを袋ごと渡された。





 正方形の食パンにはところどころ粒のようなものが付いていて、それが後四枚入っている。僕が一枚取り出したので三枚になった。それをオーブントースターに放り込み、ツマミを三のところまで回した。中がオレンジ色の光を放ち始め、僕は椅子に戻った。




 椅子に戻ると美味しそうなコンソメスープがほかほかと湯気を立て、その隣にはトマトにレタス、更にはきゅうりが入ったサラダがあった。白いマグカップには紅茶が注がれ、傍にはイチゴジャムのビンや砂糖入りのガラスキャニスターが置いてある。なんてことない、会社に行く前の朝食の風景……。の筈なのに、僕は違和感を覚えていた。それに気づくと、好物の胡麻ドレッシングをかける手が自然と止まる。そして、頭の中にしわがれたお爺さんの声が聞こえてきた。

「終いじゃ‼︎もう終いじゃ‼︎」




 その声を聞いた瞬間、僕は現実に戻ってきた。そこは広い東屋のような小屋の中で、僕はどうも幻覚を見せられているようだった。傍らには若い女性がいる。僕の妻、潤だ。

「祐一さん、大丈夫?」

「心配かけたね、潤。僕はこの通り、大丈夫」

「全く、もう少しであっちに全部持っていかれるところだったわい……」

シャーマンのお爺さんは呆れたように溜め息をついた。





 そう、僕たち夫婦は新婚旅行にペルーへ行き、この妙なイベントを体験していたのだ。何でも『自分の未来の姿が見える』とのことで、僕も潤も幻覚剤を飲まされ、幻の未来に行っていた。僕はもう少しで幻の世界の住人になりかけていたらしい。だが、冷静になって考えると、あのビジョンはもしかしたらありもしない未来を見せていたのかもしれない。




 そもそも、僕の母は今ガンで入院しているから、あんな風にエプロンを着けて朝ごはんを作るということ自体が不可能なのだ。





 奇妙な幻覚体験が終わった後、僕は並んで歩く潤に尋ねてみた。

「なあ、潤はどんなビジョンを見たんだ?」

「聞いてもつまんないと思うわよ」

「そうかあ?でも気になるんだよなぁ……」

そんなことを語りながら、僕達はホテルに向かっていった。途中、ペットボトルの水を口にしながら。

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