第23話「暗黒王」

 空気が、重い。

 いや、実を言うと最初から――魔窟ダンジョンの内部へ一歩踏み込んだ瞬間から空気は重たかった。

 軽口を叩きあって、そんなもの感じていないかのようにふるまっていただけだ。

 まるで大きな動物の口の中にいるような……粘り気のある闇がまとわりつくような。世界の法則が変わって重力が何倍にもなったような、そんな重く、暗く、嫌な空気をずっと感じていた。


 深海に行ったらこんな感じだろうか――アキラはぼんやりと思う。

 それほどまでに凄まじい、異質な圧迫感。

 それが今や最大限に膨らんでいる。

 間違いなくここが最深部。そして視界の真ん中に座す男こそがこの魔窟の主なのだと、はっきりと理解できた。


「いやまったく、我が神域を荒らすものは何かと思ったら……まさかの同胞とはな。もはや出会うことはあるまいと思っていたが、分からんものだ」


 ……同胞。

 繰り返されたその言葉に、アキラは目を向けた。


 玉座の男はふんぞり返って座っている。見た目はほとんど人間と変わらない。華美で豪奢な衣装を着ているだけで、大まかなシルエットは一般的な成人男性だ。ただし悪魔の様にねじくれた角が頭部から生えており、耳朶は鋭く、犬歯は牙のように鋭い。

 何より、身にまとう空気。あまりに禍々しく悍ましいそれは、相手が単なる人間でないことを否が応でも実感させた。


「人型の、喋る魔獣……」


 アキラは、ぽつりと呟く。脳裏を過ぎるのはリタリエから聞いた話だ。


「……か?」


 隣のリタリエにそっと尋ねる。


「……いや」


 リタリエは緊張からか唾を呑み込み、応える。


「違う。だが……よく似ている。私の里を滅ぼした魔獣に――」




「今、我を『魔獣』と呼んだか?」




 ぞっとするほど冷たい声が、男から発せられた。


「エルフの娘。今、この我をケダモノと。そう言ったのか?」


 鋭く、怒りに満ちた眼差し。今にも膝をついてしまいそうなほどのプレッシャーを男は放っている。

 気を確かに持たなくては、呼吸もままならない。


「魔獣、魔獣、魔獣などと!! この我を指して不敬にもほどがある!」

「……じゃあ、お前は何なんだ」


 肺から空気を絞り出すようにして、アキラは問う。

 その問いに、男は何を聞いているのだとでも言いたげに鼻を鳴らした。


「何なんだ、とは。滑稽な質問だな。見れば分かるだろう。

「……人間」


 それは、そうだろう。

 魔窟の主は魔獣で、魔獣はもともと人間なのだから、魔窟の主は人間だ。

 極々当然の三段論法だ。アキラの体だって告げている。こいつは間違いなく人間だと。

 分かっていても、今まで見てきたものと目の前の男が一致しない。


「……この世界の人間は全員、はるか昔に魔獣になったはずじゃないのか?」


 そう聞いていたし、その成れ果てを見てきた。

 目の前の……魔獣のような、人間のような、不気味な男は一体なんだ?

 レンも同調するように、コクコクと頷いている。


「この世界……?」


 男は訝し気に首を捻るが、やがて得心したように手を叩く。


「そうか、貴様ら『呼ばれた』者たちか!!!! これは傑作だな!!!!! ははははは、はははははは!!!!!」

「何がおかしいんすか!?」

「おかしいに決まっている!!! あの女め、滑稽にもほどがあるぞ!!! まさか斯様な……はははははははは!!!!」


 分からない、何一つ。この男の言葉が。

 歯車が嚙み合っていないような。不気味で、なんとも嫌な感覚。


 男はひとしきり笑い終えると、未だ愉快極まりないと言った顔でアキラたちを見る。


「いや失礼した、異界から来た同胞よ。こちらの話だ、気にするでない。それよりも問おうではないか。我が神域に何用だ?」

「……先に、きちんとこちらの疑問に答えてくれないか。お前は何なんだ、魔獣なのか、人間なのか」

「また我をケダモノと同一視するか。知らぬとは言え不愉快だぞ」


 男はむっとした表情を浮かべる。


「魔獣などと。あんな成り損ないなどと一緒にするな」

「……?」

「そうだとも」


 男は言う。


「奴らはこの力を制御することも出来ず、自我を呑まれてケダモノに堕ちた成り損ないどもよ。力を使いこなす我らとは違う。一緒にしてくれるな」


 その言葉に、アキラは背筋に寒気が走る思いだった。


「お前は……なのか……!?」

「だからケダモノ呼ばわりはやめろと言っている。魔獣ではない。この力を制御した我らは、我らこそが真の人間なのだ。そう理解せよ」


 言って、男はそうだな、と顎に手をやって続ける。


「既存の人間とは違う、新しき人間としての名が我らに必要だというなら。



――魔人、と言うのはどうだ」



「魔人……」


 転魔し、しかし獣には堕ちなかった人。

 邪悪な容貌は、まさにその名に相応しかった。


「魔人、だと……!」


 押し黙っていたリタリエが口を開く。


「そんなもの、私は知らない!! 教典にも記されていない!! 自我を残した魔獣が居るなどと――」

「姦しいぞ。黙っていろ」


 魔人は冷たい声で言うと、無造作に手にした剣を振る。


「――危ないリタ!! 避けろ!!」


 アキラの叫び声に咄嗟に反応出来たのは、ひとえに葬送者としての経験の賜物だろう。

 リタリエが反射的に後ろに飛び退ると、寸前まで体があった箇所に、細かい斬撃痕が刻まれる。


「な、にを――」

「同胞との語らいに亜人ごときが割って入るな。身の程を知れ」

「身の程だと……?」


 リタリエは体を震わせる。


「貴殿が、旧文明の人間だというのなら! 我ら亜人と人間は同じく女神に作られた、同胞にして友ではないのか!?」


 リタリエの叫びは。


「友? 同胞だと? ほざくのも大概にしろよ、


 冷徹な嘲笑に否定される。


「奴隷……種族……?」

「そんなことも忘れてしまったのか。我らが眠らされている間に随分と時が経ったようだな。あの女め、都合よく歴史を書き変えたか」

「どういうことだ!」

「貴様ら亜人は我ら人間が作り出した奴隷だということだ、娘」


 魔人の言葉はどこまでも冷たく、どこまでも端的で、鋭い。


「エルフも、ドワーフも、ハーフリングも、ライカンも、ノームも、オーガも、バードマンも。全て全て、我らの作り出した、我らのための奴隷よ」

「奴隷……だと……?」

「ほう」


 愉快そうに。魔人は顎髭を撫ぜる。


い表情だ。唆るな」


 うむ、うむと頻りに頷く。


「貴様らの祖先と、あの亜人贔屓の女が如何なる物語を作り上げたか知らぬが——はは、こんな喜劇の舞台を整えてくれるとは、なんとも残酷で滑稽なことだ!」


 ははは、ははははと魔人は一頻り哄笑した後、不意に真顔に戻り。


「だがもう飽いたな。目障りだ。死ぬが良い」


 手にした剣を再び振り上げ——。



 ギャリィッ!!! と耳をつんざく金属音。

 魔人の剣は振り降ろされていない。


 代わりに、二振りの魔剣を受け止めていた。


「……死角から攻撃したんだけどな。見もせずに止めるかよ」

「……不敬、だな」


 ぶん、と剣が振るわれる。その力に逆らわず、アキラはそのまま跳んで靴裏で床を擦る。


「久方の同胞と談笑でもしようと見逃してやっていたが……我が神域に土足で踏み込んだ上にこの仕打ち、流石に無礼過ぎるぞ貴様ら」

「無礼なのはそっちだろ」

「うん? ……ははぁ、そこのエルフ娘に随分と入れあげているようだな。情婦であったか? 分からぬでもない、見目麗しく作られた種族だからな」

「……亜人を、見下して。そうやって、教官も殺したのか」

「うん?」


 アキラは激昂する。


「とぼけるな! 強く、気高かったハーフリングの女性だ! 殺したんだろ、お前が!!」

「はて……」


 魔人は首をひねる。


「潰したハエのことなど。いちいち覚えておられんな。知らんが、多分殺したのではないか?」

「貴様——!!」

「おお、おお。真っ赤だな。よく見えるぞ、貴様の怒りと敵意が——っと」


 頭部を狙って飛んできた矢を、またもや見もせずに指だけで止める魔人。


「……おいおい、いきなりヘッドショットかよ。なかなかやるなレンぴょん」

「それほどでもー。ま、止められちゃったっすけどね」


 頭が冷えたのか、レンと言葉を交わすアキラ。

 リタはそんな二人を呆然と見つめている。


「アキラ、レン……。何故……」

「何故って、だってあいつこの魔窟ダンジョンボスっしょ。倒すのがアタシらの仕事じゃないっすか」

「そう、だが……。今までの魔獣たちとは、ワケが違う。やつは……意志を残した、紛れも無い人間だ。同じ人間である、君たちに殺させる訳には……」

「気にしないでくれ、リタ」


 アキラは肩に手を置く。


「もう散々殺してきたんだ。今更だろ」


 そう——魔獣と化した人間だけでなく。

 意志のある人間なんて、何度も殺している。

 何度も、何度も、何度も——。

 だから、日嗣晃は大丈夫だ。


「そーそー。魔獣を殺しておいて、今更今更。それにアタシ、セクハラオヤジってキライなんすよねー」

「ああ……リタをバカにされて、俺もめちゃくちゃムカついてる」


 ちゃき、と武器を構える異世界からの来訪者たち。

 それを見て、リタリエも強く剣の柄を握る。


「……感謝する、二人とも。それでは——これより、魔窟の主ダンジョンボスの討伐と行こう」

「ああ」

「はいっす!!」


「やれやれ……」


 三人の姿を見て、魔人は溜息を吐く。


「穏やかに歓談、とは行かぬか——まぁその方が人間我ららしいと言えなくもない」


 そう零して、彼もまた玉座から立ち上がる。


「良かろう、存分に死合おうではないか! この魔人ベリアルが……いや!!」


 高らかに、剣を掲げて魔人の男は名乗りを上げる。


「ここは我が神域ならば!! 既に我は王に等しい!! 我は魔王――魔王ベリアル!! 我が無敵の固有スキル《害意感知》を以て貴様らを蹂躙し、凌辱し、食らいつくしてやろう!!!」

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