第4話「怪物」

(何故こんなところに飛竜ワイバーンが……!?)


 リタリエは驚愕と同時に困惑していた。


 飛竜ワイバーン竜種ドラゴンの中でも低級に位置する魔獣。

 だがそもそも竜種自体が強大な魔獣であり、低級と言えど侮れるものではない。通常なら黄金級ゴールドランクでも複数人で掛かる相手だ。

 そんなものがこの荒野に居るなど、聞いたこともなかった。


(他の魔獣の姿が見えなかったのは、こいつのせいか……ッ!)


 奥歯を噛みしめる。

 ここに居るのは灰銀級シルバーランクのリタリエ一人。しかも彼女はある程度の剣術こそ修めてはいるものの剣士ソードファイターではなく、どちらかと言えば神官クレリックだ。

 出くわす魔獣を適当に退けつつ自分一人で回復をしながら旅をするのには向いているスキル構成だったが、このように圧倒的に強い敵を一人で相手取ることはまだ想定していない。

 攻撃力だけ見れば、赤銅級ブロンズランクがいいところだ。


(攻撃スキルの強化を後回しにしていたツケを、こんなに早く払う羽目になるなんて……!)


 一人だったら愛機で逃げ出すところだが、間の悪いことに同行者――しかも戦士ではない者がいる。二人して逃げようともたもたしていては、いい獲物だ。

 加えて、仮にバイクに辿り着けたとしても逃げられるかは怪しい。飛竜は高速で空を駆けるという話だ。竜の黄色い目は明らかにこちらを補足していた。


 となると、最適解は一つ。

 にい、と。リタリエは自らを奮い立たせるように無理やり口の端を吊り上げた。

 そして、アキラの前に出る。


「アキラ、ここは私が引きつける。キミはバイクで逃げろ」


 剣を構えて飛竜の前に立ち塞がる。

 そうだ、これしかない。

 誰かを見捨てて生きるなど、もう二度とごめんだ。

 例えこの身が死せるとも、今度こそ弱き民を守る。それがリタリエの矜持だった。


 アキラからの返事はない。あまりの事態に固まっているのかもしれない。

 無理もない。生まれて初めて魔獣を――それもこんなに強大な相手を見たら固まりもしようと言うものだ。

 だが、呆けたままでは困る。喝を入れてでも逃げてもらわねば。


「しっかりしろアキラ! こんなところで死にたくはないだろう! 私が戦っている間に、早く――」


 鼓舞の声はそこで途切れた。



 飛竜ワイバーンの尻尾の一薙ぎで、リタリエの体が真横に吹き飛ばされたからだ。



「がっ……」


 大岩に叩きつけられ、その衝撃で血を吐く。

 幸い、即死には至っていない――が、全身をしたたかに打った。体中に激痛が走る。あちこちの骨が折れているようだが、どこが折れているのかさえ判別できない。

 なんとか意識は保てているので、法術による回復は出来る。だがこの重症度ではすぐに動けそうにない。


 囮になることさえ、出来なかった。

 その事実に奥歯を噛みしめる。


 視線の先ではアキラに対し飛竜の爪が振り上げられていた。

 数秒後に否応なくもたらされるであろう死。

 それが記憶の中の光景と重なり、フラッシュバックする。


 ああ。

 私はまた、救えないのか。

 何一つ為せずに、こうして見ていることしか出来ないのか。


「アキラーーーーーーッ!!」


 リタリエの声が虚空に響く。



◆ ◆ ◆


 一方、飛竜と相対したアキラは自らの心臓が早鐘を打つのを感じていた。

 口の中から水分が失われ、カラカラに乾く。ナイフを持ったままの手が震えて止まらない。


「こんなのってありかよ……」


 呟く。

 つい先ほどスキル画面を見たとき、アキラの頭には「これはゲームなんじゃないか?」という疑念が生まれていた。

 いかにもありそうな話だ。異世界転生したと思っていたら、実はリアルなゲームをやらされていた、なんてことは。

 だが目の前のこいつを見た途端、その考えは消し飛んだ。


 これは、現実リアルだ。


 全身がそう訴えかけていた。


「本当に――ああ、本当に酷い話だ」


 体の震えは止まらない。

 竜種の尊大な目はアキラをしっかりと捉えていた。逃がしはしないと、無慈悲な眼光が告げる。

 そして今――その爪がゆっくりと振り上げられた。

 死が形を持ってアキラに迫る。


 アキラはナイフを強く握りしめた。


「冒険者は諦めようと思ってたのにこんなことになるなんて――冗談じゃない」



 嗚呼――。






 

 




 轟音。


 リタリエは、それがアキラの死を示すものだと思った。

 きっとあの五体は原型をとどめてはいまいと。



 だが、土煙の向こう側でアキラは変わらず立っていた。



「え――?」


 何が起きたか理解が追い付かない。


 それは飛竜の方も同じらしく、なぜか目標を逸れて真横を叩いた己の爪と、健在なアキラの姿を不思議そうに見比べている。


 再度爪を振り上げる。

 二度目の轟音。アキラは健在だ。

 振り下ろし。轟音。無傷。

 それが幾度か繰り返される。


 少し離れた位置にいるリタリエには、繰り返すうちに何が起きているのかが見えてきた。

 見えた上で――何かの間違いじゃないかと目を疑う。



 捌いていた。



 飛竜ワイバーンの攻撃を。人間アキラが。


 狩猟用の細いナイフ一本で。



 爪の振り下ろしに沿うようにナイフを這わせ、絶妙なタイミングと角度でその爪を押して軌道を逸らす。

 合わせて体を最小限ひねって紙一重で攻撃を躱す。


 一歩間違えば即死の神業。

 だがそれをアキラは何度も成功させていた。

 それは、端的に言ってあり得ない光景だった。



 飛竜が目に見えて苛立ち始めたところで、アキラは攻勢に転じる。


 次の攻撃のために振り上げられた爪を踏み台として跳ぶ。飛竜の顔面近くまで舞い上がったアキラは、ナイフでその目を深々と切りつけた。


「アギャアアアアアアアアアアア!!!??」


 巨体を蹴って跳躍、距離をとって痛みからの大暴れを回避。

 暴虐の隙間を縫って胴体に斬りかかるが、これは竜種の硬質な鱗に弾かれる。


「チッ」


 舌打ち。

 距離を取り、常に潰れた目側に立つよう意識。あてずっぽうで踏みまわされる尻尾は、予期していたかのように跳躍してこれを避ける。

 隙を伺い、死角から再度の攻撃。今度は斬撃ではなく、鱗の隙間を抉るように刺す。


「ギャアアアア!!!」


 苦悶からの反撃は飛び出し前転で紙一重で避ける。

 効果があることを確認すれば、後は簡単だ。

 攻撃。流血。回避。攻撃。流血。回避。

 脚部。腹の下。尻尾。大岩を蹴って跳躍し、首元にもその刃は届く。

 鱗の薄いところを的確に狙って繰り返されるヒットアンドアウェイ。


 くるりくるりと踊り子のステップのように攻撃と回避がリズムを刻み、飛竜の血が紙吹雪のごとく飛び散る。

 残酷で美しい、死の舞踏ダンス・マカブル

 灰銀級シルバーランクのリタリエすらも見惚れるほどの、鮮やかな手際だった。



(体が軽い――)


 いや、それよりもイメージそのままに動くという方がより適切か。

 まるで羽が生えたかのように軽やかに滑らかに、頭の中で思い描いた通りに体が舞う。

 前世でも感じたことのないような全能感をアキラは覚えていた。


 殺せる。

 殺す。


 口の端がにい、と。凶悪に吊り上がった。


 それを感じ取ったのか飛竜はゾワリと震えあがり、そして本能に任せて飛び上がった。

 辛うじて無事な翼で空気を捕え、羽ばたいて上空高く逃げ去ろうとする。


(――殺す!! 逃がすか!!)


 だが飛竜は既に上空、跳躍では届かない。

 ナイフを投擲? いや、あの巨体では効果が薄いし、そもそも硬い鱗に弾かれて終わりだろう。

 どうする。どうやって殺す。



[固有スキル――の励起を確認。アーツの使用を許可します]



 打つ手なしの状況下で、脳内に直接無機質な女性の声が響いた。

 その意味を理解するより先に、体が無意識に動く。

 構えは、先ほど見たばかりだ。


 ―― 『達人ならあの岩くらい容易く斬っていた』――

 

 ならば、あの大蜥蜴の鱗をも斬れるだろう。

 問題なく――殺せる。



「――【ゲイルスラッシュ】」



 一閃。

 斬撃は空を駆け、獲物の体をいともたやすく両断する。


 怪物は、地に堕ちた。



◆ ◆ ◆



「ふぅー」 


 一仕事終えた達成感で、アキラは大きく息を吐いた。


「リタリエ、大丈夫か?」

「あ、ああ……なんとか……」


 未だ衝撃冷めやらぬといった様子のリタリエだったが、問いかけには返事をする。


「だが動くのはもう少し待ってくれ」

「了解」


 会話を終えて先ほど斬り捨てた飛竜に眼をやると、体を真っ二つにされてもまだぴくぴくと動いていた。どうやらまだ息の根は止まっていないらしい。流石は竜種の端くれ、生命力も一品か。


 万が一にでも生き延びられたら困る。確実にトドメを刺しておこう。そう思い、ナイフを手に近づく。


 瀕死の竜種はもはや視線も混濁していた。アキラが近づいても気づいているのか、いないのか。ナイフを振り上げたところで、その口が何か音を漏らした。



「ま、おう……さ、ま……」

「……」



 無慈悲に振り下ろされる刃が脳天を貫く。

 今度こそ確実に飛竜は死んだ。



「いや、信じがたいな……」


 竜を殺したアキラの元へ、ふらふらとリタリエが近づく。


「もう動いて平気なのか?」

「一応、最低限回復はした……それよりも、だ」


 どこから取り出したのか、彼女はスコップを掲げた。


「埋葬しよう」

「……結構デカいけど?」

「せめて、土くらいはかけてやりたい」

「そっか。俺も手伝うよ」


 二人揃って硬い地面を掘り、死した飛竜に土をかけていく。

 黙々と、粛々と。作業は進められる。


「……なあ」


 沈黙を破ったのはアキラだった。


「なんだ?」

「ちょっと迷ったんだけどさ……多分リタリエも分かっていることだろうし、聞くことにする」

「何でも尋ねるといい」


 ざくざくと土が掘り起こされ、飛竜の体が埋もれていく。


「じゃあ聞くけどさ――」


 アキラはまだ土の被さっていない竜の頭部――いや、顔を見つめながら言った。




「こいつ、?」

「……」




 リタリエは手を止め、無言で飛竜の瞼を下した。

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