第2話「to the beginning」

「人間が……絶滅? それって……」


 驚きのあまり立ち上がって聞き返そうとしたアキラは、自分の体が傾くのを感じた。

 どうやらまだ本調子ではないらしい。


「無理をするな、まだ座っておけ。軽く水は飲ませたが、回復にはまだかかるだろう」


 これをゆっくり飲んでおけ、と木製の水筒を渡されるアキラ。決して冷えてはいないが、水分が不足していた体には十分すぎるほどに美味しい。ごくり、ごくりと咽ないように気を付けて飲む。

 水分を摂取したことで肉体が正常に動き出したのだろうか、腹が大きな音を立てた。


「干し肉をやろう。よく噛んで食べるといい」

「ありがとう、ここまでしてもらって……」

「気にするな、これくらいは当然だ」


 感謝しつつ受け取り、干し肉を食らう。少々硬いが、食べられないほどではない。


「もぐ……それで、もぐ、話の、もぐ、続もぐきもぐだけもぐ」

「……私が一方的に話すから、食べながら聞いておくといい。質問は後で聞く」


 アキラはこくりと頷いた。




◆ ◆ ◆


 ……かつてこの大地は灼熱に煮え立ち、生けるものは何も存在しなかった。

 そこに、空の彼方から一人の女神が舞い降りた。

 空虚なる大地を見て悲しみを覚えられた女神は、大地を冷やし、大海原を作って生き物が住める世界を作り上げた。

 やがて多種多様な生き物が繁栄したのを見て、女神は自分の姿に似せた生き物を作られた。

 人間である。 


 人間は女神の加護を受け、その知恵でこの大地の覇者となった。

 やがて女神は人間が寂しくないように、その友として人に似た種族としてエルフやドワーフ……亜人たちを作られた。


 人間と亜人は長きに渡り、良き友として手を取り合い、歴史を紡いでいった。

 しかし女神の愛を忘れた人間たちは増長し、遂には禁忌の力へと手を出した。

 それが魔力——女神の法力とは似て非なる、邪なる力だ。

 ここに魔法文明が誕生する。

 魔法を利用した人間の文明は大いに栄えたが——その傲慢の果て、魔法文明の行きつく先で人間は最悪の存在を生み出した。


 魔獣である。


 己の欲望のままにその強大な力を振るう、最悪の獣。


 文明の内から現れたそれらはたちまち世界を覆いつくし、文明は破壊されていった。

 やがて人間は絶滅する。


 亜人たちもあわや絶滅の危機だったが、彼らを哀れに思われた女神がその加護を与えられた。

 その加護と、そして人種を越えた協力のおかげで亜人たちは絶滅を免れ――今も魔獣と闘いながら、細々と文明を繋いでいる。




◆ ◆ ◆


「――というのがこの世界の現状だ。とはいえ大昔のことだから正確なところは分からないが」

「なるほど、大体分かった」


 干し肉をごくりと呑み込み、アキラは頷く。

 要するにポストアポカリプスだった。

 

「キミのように異世界から流れ着いてくるという転移者ストレンジャーもいるとは聞くが……正直に言って、ほとんど噂話に過ぎない。私も信じてはいなかった。つまり、だ」


 リタリエは憐みの目を向けて告げる。


「残念ながら、キミがこの世界で同じ姿をした人間に出会うことは――恐らく、ないだろう」


 そういうと、その長い睫毛を悲し気に伏せた。



「いや、それは別にいいんだけど」

「いいの!?」


 あっけらかんと返すアキラに、リタリエは驚愕する。


「キミはもう同胞に会えないんだよ!?」

「いや、別に……」

「……ああ、なるほど」


 リタリエは何かに得心し、そして再度睫毛を伏せる。


「もしかすると元の世界に帰る方法が見つかるかもと期待しているのかもしれないが……それも望みは薄い。私の知る限り、転移者が帰還したなどという話は聞いたことがない。キミは恐らく、この先ずっとここで生きていくことに――」

「いや、それも別にいいんだけど」

「いいの!?」


 帰るって言ってもなあ、とアキラは思った。

 こちらは死んでいるのだ。今更帰ることなど出来ようか。

 それにそもそも帰る場所なんて、どこにもありはしない。

 元よりこの世界で二度目の生を全うするつもりだった。


「本当に分かっているの……!? 二度と同族に会うことが出来ないというのは本当に辛く悲しいことで――」


 何故かリタリエの方が動揺していたが、アキラは特になんとも思っていなかった。

 むしろ、自分のようなどうしようもない奴は他の人間に会わない方がいいのだ。

 人間が居ないことに耐えきれるかはまだ分からないが、それよりも安堵の気持ちがやや強い。


「それよりさぁ」

「それより!?」


 ので、無視して話題を転換した。


「話を聞く限り……その魔獣を狩らないとやばい感じだろ?」

「う、うん」

「だったらさ……魔獣を狩って生活する、冒険者みたいな仕事もあるんじゃないか? 多分」

「ああ……キミの世界では冒険者というのか? 同じような存在が居るには居るが……」

「やっぱり!」


 冒険者。

 ファンタジーの代名詞たるその存在に、当然ながらアキラも憧れがあった。

 スキルや魔法を駆使し、剣を片手に強大なモンスターと戦う、物語の主人公。


「リタリエも冒険者なんじゃないか? こんなところを一人で旅してるってことは」

「まあ正解だ。魔獣を狩って路銀を稼ぐこともしばしばだな。こう見えてちゃんとギルドには所属している」

「ギルド!」

「一応、灰銀級シルバーランクだ」

「ランク!」


 どんどん馴染み深い単語が出てきて、アキラのテンションが目に見えて上がる。

 さっきの話では魔法は禁忌らしいが……スキルとかジョブはどうだろう? あると嬉しいのだが。

 いや、なくったって構いはしない。冒険者になってモンスターと戦う。それだけで十分すぎるほどファンタジーだ。

 憧れが止まらない。

 その勢いのままアキラはリタリエに頼み込む。


「なあ、俺も冒険者に――」

「辞めておけ」


 きっぱりと。

 毅然とした態度で、アキラの憧れは拒絶された。


「……なんで」

「何か勘違いしているようだが……」


 リタリエは大きく溜息を吐く。


「キミの言うところの冒険者は、御伽噺や英雄譚の主人公ではない。命の危険があるだけの仕事に過ぎない」


 キミが期待するような華やかな夢物語ではないぞ、とリタリエは冷めた現実を突きつける。

 少したじろぐアキラだったが「でも」と食い下がりかけたところで


「キミ、別に元の世界でその冒険者だとか、あるいは狩人だったわけでもないだろう? 何の仕事をしていたんだ?」


 うっっっっ!!!

 完全に痛いところを突かれ、呻き声に似た音を出すアキラ。


 無職だった。

 大学もきちんと卒業していないし、一度も職というものに就いたことがなかった。

 ついでに言うとここ6年ほどは外出も全くしていない。

 社会経験はゼロと言って良かった。


「私が言いたいのはだな、動物を狩った経験のないものがやるには全くオススメしないということで――どうした? まだ調子が悪いか?」


 自分の何気ない質問がアキラを深く傷つけたことに気付いていないリタリエが、急に頭を抱えて呻きだした彼を心配する。

 その優しさすらも、辛い。


「働いたことなくてすみません……社会に貢献するどころか害ばかり成してすみません……」

「無職だと? キミ一体何歳だ?」

「28です……」

「28だって……?」


 リタリエの追い打ちに対し、絞り出すような声で応える。さぞや軽蔑した目で見られるだろう――。


「なんだ、まだ全然子供じゃないか。それなら働いていなくても仕方ないな」


 見られなかった。

 そういえば相手はエルフである。

 漫画やアニメで見たエルフと同様に恐らく長寿なのだろう。


「全く、人間の年齢というのは分かりづらいな。私の方が余裕でお姉さんじゃないか」


 ふふん、と何故か得意げな顔をするリタリエ。

 何歳なのか気になったアキラだったが、迂闊に女性に年齢を聞くのは辞めておいた方が無難だという至極常識的な判断を下し、口を噤んだ。

 自分の年齢についても凄まじく誤解されているがそこも放置する。元々童顔なため、若く見られるのには慣れていたのもある。

 とりあえず自分への蔑みの視線を回避出来ればそれでよかった。


「そうかそうか、アキラはまだ28か。それなら魔獣との戦いに憧れても無理はないな」


 うむうむと頷くリタリエは、何か言おうと口を開いたアキラのことを「分かってる分かってる」と手で制する。


「アキラの気持ちはよく分かった。だが、ここはお姉さんに任せなさい。実際にやっていけるかどうか、明日判断してあげよう」

「……あ、はい」


 怒涛のお姉さんムーブに対し、それしか返事は出来なかった。

 とにかく今日はもう遅いから寝なさい、と言うリタリエに従い、大人しく床に就く。


(この年になってお姉さんムーブかまされることになるとはなぁ……)


 異世界何があるか分からないものである。




◆ ◆ ◆


 翌日。


「それじゃあ共に町へ向かおう。後ろに乗るといい」

「……いやこれ」


 陽光を照り返すシルバーカラー。

 速度を極めた流線形のボディ。

 大地をしっかりと踏みしめる、大きな車輪。

 力強く唸り声を上げるのは4ストローク直列4気筒エンジン。


「バイクじゃん」

「バイクだが?」

 バイクだった。


「……やっぱり思ってた異世界と違うなぁ」

「どうかしたか?」

「いや、こんなのあるんだ、って……」

「珍しいものだぞ。人間の遺跡で発見されたそうだ」


 なるほど、そういう。

 納得したところでこれに乗らなくてはいけないのだが、しかし。


「……つまり、リタリエさんにしがみつく形になりますよね」

「どうした急に敬語なんて使って」


 照れているのである。

 

 陽光の下で見るリタリエの容姿はアキラの好みど真ん中であった。

 その顔貌の美しさはかがり火の下でも分かっていたことだが、スタイルもいい。

 すらっとした長身。細身ではあるが、決して病的ではない。冒険者らしくしっかりとした筋肉の上に、柔らかそうな肉が程よく着き、それを雪のように白い肌が包んでいる。

 豊かな胸は軽装鎧に包まれ、腰には長剣を帯びていた。


 この絶世の美女と今から密着するのだ。

 照れるなという方が無理がある。


「併走するっていうのは……」

「キミがバイクと同じ速度を出せるなら考慮に値するが」

「すみません、無理です」


 そういうわけで、二人乗りすることになった。


「落とされないように、しっかりしがみついておくように」

「はい……」


 照れているとは言えそこは了承している。何せヘルメットもないのだから、うっかり落ちたら死にかねない。

 重ね重ね死の危険が尽きない異世界だとアキラは思った。戦闘の中でならそういうものだろうと割り切れるが。


 リタリエの細いウエストに手を回し、しっかりと抱きしめる。


「んっ……」

「ど、どうかしましたか」

「いや……想像よりも力強かったのでな」

「そういうのやめて」

 マジでやめて。


 ともあれ、こうしてバイク二人乗りでの旅路が始まった。

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