第8話
「こはくってばー、いい加減に機嫌直してよー」
「・・・・・・」
知らん知らん。遥なんて知らないもん。
「ほら、なでなでー」
「・・・ふん」
気安く撫でるな。しっしっ。
そもそも遥は俺で遊びすぎなんだよ。これを機にしっかり反省すればいいんだ。
「うーん・・・ちょっとお買い物行ってくるね」
財布とスマホだけを持って遥は部屋から出ていく。
玄関の扉が閉まる音を最後に、家から人の気配が消える。
「・・・」
本当に買い物に行ったのか?俺を家に放置して?
別にいいし。俺も一人になりたかったから丁度いいし。
「・・・はぁ」
なんか面白くない。モヤモヤするっていうか、せっかく一人になったのにゲームやったり動画見たりする気分にならない。
何かをする気にならなくて、リビングの中央にあるソファに体を沈める。
無気力に天井を眺める。昔はよく見ていた遥の家の天井。照明によって白く照らされた天井は、酷く静かでほんの少しくすんで見えた。
「・・・・・・」
退屈で、気力が湧かなくて、目を閉じる。
光と音のない世界の中心で、深く息を吐いた。
流石にちょっと無視しすぎたかな・・・いやでも!悪いのは遥で、俺は悪くないし・・・
「はぁーー・・・」
どうにもスッキリしない。胸に小さな穴が開いたような感覚。
ぎゅっと目を閉じて思考の迷路をぐるぐると彷徨っていると、霧がかかったように意識が薄れていった・・・
――――――――――
「すぅ・・・ん、くぁーー・・・」
ううーー、ここは・・・遥の家だ・・・
あーー、ソファでぐだぐだしてたら、寝ちゃったのか。
「すんすん・・・」
なんか甘い匂いがする?この香り、ずっと前から知ってる。
いつの間にか掛けられていたブランケットを退かして、ソファの影からそっと頭を出す。
香りを辿って視線を向けると、キッチンの中で遥が洗い物をしている所だった。
「あっ、こはく起きたんだね」
どんな顔をすればいいのかわからなくなって、またソファに隠れる。
「もう少しで焼き上がるから、ちょっと待ってて」
ソファの影から耳を澄ませてみると、オーブンレンジの稼働音が聞こえる。この匂いの正体は、オーブンレンジで焼かれている焼き菓子の匂いだろうか。
「・・・」
でも、なんで焼き菓子なんて作っているんだろ。
『チーン!』
「上手く焼けてるかなー・・・あ、いい感じ」
音を鳴らしたオーブンレンジを遥が開けたようで、甘く香ばしい香りが部屋に広がる。
皿を出して何かを並べる音。それがしばらく続く。
「こはく、ちょっといい・・・?」
大きな皿を抱えた遥がソファまでやってきて、静かに俺の横に座る。
遥にどう対応したらいいのかわからず、ブランケットに包まって目を逸らす。
「・・・これ、受け取ってもらえない?」
おずおずと差し出してきた皿の上には、少し歪で不格好なクッキーの山があった。
数年ぶりに見た、遥の手作りクッキー。懐かしくなって自然に手が伸びる。
「あっ、熱いから気を付けて」
クッキーの山から一つ取る。まだ熱を帯びているそれを、意を決して口に放り込む。
「あち」
「だから言ったのに」
形は不格好でも、とても美味しい。
前に食べた時と少しも変ってない。
「ねぇ、こはく覚えてる?」
「・・・うん」
「子供の頃、私がこはくを怒らせちゃった時は、こうしてクッキーを作ったんだよね」
俺と遥が小っちゃい頃は、遥は加減という物を知らなくて、もっと度の過ぎたイタズラを何度もしてきた。
それでケンカした時は、決まって遥がクッキーを作ってきて、それを一緒に食べて仲直りした。
「・・・このクッキーを食べるのも、久しぶりだな」
「えっと・・・こはく、ごめん」
「その、俺もちょっと意地になりすぎた・・・だから、俺もごめん」
「元はと言えば私がやりすぎちゃったのが悪いんだから、こはくが謝ることないよ!」
「俺だって、遥のこと無視したんだし、それはちゃんと謝るべきでしょ」
「だからそれは・・・ムグッ!?」
このままだと埒が明かないと思って、遥の口にクッキーを突っ込んで無理矢理黙らせる。
そして俺もクッキーを一つ摘まむ。
「あち」
「こはく、そんな猫舌だったっけ?」
「今はそんなことどうだっていいの!とにかく、これで昨日の事は言いっこなしだから!」
「・・・そうだね。ありがと、こはく」
今度は息を吹きかけて、よく冷ましてからクッキーを食べる。これくらい冷ませば丁度いい温度になる。
「ね、こはく。喉乾かない?紅茶でも淹れよっか」
「ん、いいね」
その日は懐かしいお菓子と紅茶を片手に、遥と思い出話に花を咲かせた。
遥の淹れた紅茶は熱くてしばらく飲めなかったが、それでも楽しかった。
デビューするまで、あと10日
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