十三話
春の中旬、暖かくなってきた日の朝。
フィルは庭にある桶から水を救い顔洗っていた。
洗い終わると水面から映し出される自分の顔を見る。
エラに似た白く透き通る肌と整った目鼻立ち、綺麗な飴色の瞳は水平線に沈む夕焼けのようであり、伸び切った白銀色の綺麗な髪が揺れていた。
──エラは凄い綺麗だし、ロベルも顔は悪くないからかなり男前になりそうだよな。
フィルはぼんやりと自分の将来を考える。
この顔なら嫁には困らないだろう。薬師として稼ぎながら、美しい嫁を貰って家族と共に暮らす。
──素晴らしいぞ。
髪を掻き上げて紐で結び、少し緩み始めた顔を叩き気を引き締める。
フィルは朝から田畑を耕すため、忙しのだ。妄想に耽る自分を戒め、室内に戻る。
すると、我が家に向かう3人の集団が見える。
3人は鎧を着込み、剣を持つ。如何にも兵士の格好であった。
家の前に立ち、3人組は何やら話し込んでいる。
我が家には珍しい来客だなとフィルは考えながら、彼らを見ていると兵士の1人と目が合う。
会釈をして好奇心から話しかける。
「あのう、こんにちは。うちに何か御用でございますか?」
「ん、ああ。ここはロベルさんの家か?」
「はい。ロベルは僕の父です」
「君がロベルさんの息子か!ロベルさんは家にいるのか?」
フィルは"ロベルは何かやらかしたのだろうか"と一瞬思考が横切る。
そんな筈はないだろうと考え直し、質問に答える。
「いえ、今は家にいません。畑にいると思います。父さんに何かあったのですか?」
「いや、君の父さんに何かあったのではなくてな...、すまないがロベルさんを呼んできてくれないか?」
「わかりました、ちょっと待っていてください」
フィルは家から飛び出して急いで畑に向かい、鍬を持って農作業をしているロベルに一連の流れを告げる。
「...。鎧を着ていたのか?」
「うん」
「その鎧には何か紋章みたいなものが付いていなかったか?」
フィルは自身の記憶を探ると、確かに紋章が付いていた気がした。
「多分..。あんまり意識してなかったかも。ごめんなさい」
「うむ。構わない。とりあえず家に戻ろう」
「うん」
畑から急いで家に戻ると、兵士達が待機していた。父の顔を見ると先程話した兵士が軽く手を振っている。
「カイルか。久しいな」
「はい。ロベルさんはお元気そうで何よりです」
「家まで来てどうした?茶でも飲みに来た...訳ではなさそうだな。家に入れ」
父はカイル以外の2人の兵士の忙しない雰囲気を見て察する。
「ありがとうございます」
「「失礼します」」
家に入り、居間へと案内をするとエラが茶を飲みながら座っていた。
「あら、お客様?ってカイルじゃない。ひさびさね」
「エラさんも相変わらずお美しいですね」
「いつの間にお世話を覚えたのよ。ありがとう...。今日は突然どうしたの?」
「ええと…」
カイルが口籠る。何か話しづらい様子だ。
エラはカイルと背後にいる戦前の兵士のような様子を感じとる。
「なんだか私達はお邪魔みたいだから2階にいるわ。フィル行くわよ」
「すいません。ありがとうございます」
一瞬で空気を察したエラはフィルを連れて2階に向かう。
エラは妊婦の重そうな身体でゆっくりと階段を登る。
フィルから一瞬見えたエラの表情は強張っていた。
「母さん。あの人達誰なの?」
「あれはラヴディ伯爵軍団の兵士達よ。昔のお父さんの仲間ね」
「父さんが傭兵をやっていた時の?」
「そうよ」
「何のようなのかな?」
「さあ。私にもわからないわ」
エラは不安そうにお腹を摩りながら呟いた。
しばらくすると一階からの話し声が消え、兵士達の気配がなくなった。
フィルはエラと一階に降りて居間に戻ると、顔の変化が乏しいロベルが深刻そうな顔をしていた。
「なにかあったの?」
「ああ。フィル。悪いが外にいる父さんとネルを探して連れてきてくれ」
「わかった」
フィルはダンケル達を見つけて、急いで連れて帰る。
家族全員が揃った所でロベルが話し始めた。
「皆んな、聞いてくれ。北部のタライタ銀鉱山が北部三国に攻め込まれているらしい。
戦況はどうも良くない。
また、北東部でもクレモベルト王国軍に攻め込まれているため、ラヴディ伯爵軍団が増援に向かうことになった。
軍団の兵数が足りないから俺も出兵するよう要請された」
「えっ!?」
叫んだのフィルだけであった。
エラは先に聞かされていたのだろう。
ダンケルは出兵如きでは動じない。
ネルは言っている事を理解していないのだろう。
「な、なんで父さんが??」
「おれは元々ラヴディ伯爵軍団所属で今でも村長を通して給金を頂いている。
今回の出兵は人が足りないらしく、少数だが農民も兵として参加する。
おれが出兵しない理由はない。仕方がない」
「でも、父さんは元々クレモベルト人なんでしょ??」
「仕方がない。今はナザビア人だ」
「けど、父さんは軍団を辞めたんでしょ?断ればいいじゃんない!?」
「それはできない」
「な、なんで!?行く必要ないよ。絶対…」
アイラが口を挟む。
「フィル。これは私達のためよ」
「え、あ...、あれ。あ、そっか」
ロベルがここで断れば、外国人のフィル達一家は伯爵から永住権を失う。
ここでは貴族は法律だ。
最悪一家全員を死刑台に上らせる事もできる。
「なら、家族全員で逃げようよ!!」
フィルは叫ぶ。
「一体どこに...?」
エラが冷たく言い放つ。
「え...」
逃げる場所が思い浮かばず、フィルは頭の中がくらくらして目眩を覚える。言葉が出てこない。
「フィルが気にする事ではない。俺は戦士だ。畑が仕事場ではない。戦うことを本望だ」
ロベルがいつもと変わらぬ口調で話す。
「ロベル。出陣はいつ頃になるのだ?」
ダンケルがいつも以上に真剣なら顔で質問する。
「3日後正午に伯爵軍の軍団所に集合との事だ」
「そうか..。今からこの二日間はわしと剣を交わすぞ。鈍った身体を鍛え直してやる」
「よろしく。父さん」
ダンケルとロベルは互いに目を合わせ頷きあうと普段の木刀ではなく、真剣を持って庭へと向かって行く。
フィルは2人を眺めることしかできなかった。
******************
その日の夜、自室でフィルは本格的に家族で逃げる事を考える。
もし、明日この村から家族で逃げ出したら兵士達は追跡を開始するだろう。
手配書が各地の村や領内に貼られる。
そして、何よりこの世界には観測術という敵や犯罪者などを発見する術がある。
ラヴディ伯爵軍団には必ず何人かの索敵用の魔術を行使する観測術士を抱えているはずだ。
すぐに術士に観測されて追っ手がかかり捕まる。
最悪の場合家族全員処刑される。
妹のネルや身重なエラはきっと逃げきれない。
ダンケルも体力は衰えているはず。
──やはり逃亡は難しいのか...。
フィルがベッドの上でそんな事を考えていると扉を叩く音がする。
コンコン
「入るぞ」
有無言わせずにロベルが入ってくる。
部屋に一つしかない椅子に座る
「父さん...」
ロベルは部屋の中を見渡す。いつ逃げてもいいようにフィルが荷物を纏めているのがわかる。
「はぁ。逃げる必要はない。俺はもう戦場に行くと決めている」
「父さんが戦うのが好きなのは知ってる。
でも、死んだら母さんや僕達はすごい悲しむよ?」
「...。俺は死ぬつもりはない。その可能もあるが」
「だから行かないでほしい」
「うむ。それはできない」
「なんでなの?そんなに戦場が好きなの?」
「...。確かに戦場は好きだが、それだけが理由ではない。
俺は農民として老いて死ぬと思っていた。
それは俺の死に方ではないとも考えていた。
しかし、ここで戦場に行く機会がある。
しかも、戦場に行く理由が家族を守るため。
俺にとってこれ以上の理由はない」
フィルはロベルの言いたい事は理解したが、賛同はできないでいた。
「...。そっか、父さんの言いたいことはわかったよ。僕は戦士でもないから理解は難しいかも...」
「それでいい」
「うん」
「だが、俺が帰ってこなかったら家族を守るのはフィル、お前だ。その時は家族を守る戦士となれ」
「父さんは死なないから僕はまだ戦士にならないよ」
「そうか。お前には俺と違い、才がある。勿体なく感じるな」
「じゃあ、父さんが帰ってきたら教えてよ」
「わかった。必ず帰ってお前に剣を教えよう」
「うん」
「そろそろ寝るか。おやすみ」
「うん。おやすみ父さん」
ロベルは部屋を出て自室へ向かう。
フィルは結局ロベルが部屋に来た理由はなんだったんだろうと考える。
その理由はわからず、次第と父を失う不安に駆られる。しかし、ロベルの言葉を思い出し、信じて待とうと心を決める。次第と眠気に誘われて、ベッドで眠りつくのであった。
******************
ロベルが出発する日の朝、家族はいつも通りであった。5人でいつものように質素な朝食を食べる。しかし、よく見るとエラの目がぷくっと腫れていた。
全員が朝食を食べ終わると、ロバートは自室にある革製の大きな背嚢を持ってくる。ロバートは家族全員の顔を見て言う。
「では、行ってくる。父さん、留守はお願いする」
「うむ。無事に帰ってこい」
ダンケルの表情は変わらない。
「あなた、愛しているわ。帰りを待っております」
「エラ、俺も心の底からお前を愛している。必ず帰る。」
ロベルは肩から背嚢を下ろして、エラと抱擁をし始める。
それを察したダンケルはフィルとネルの顔に手を当て、目隠しをする。
ネルが「何も見えなーい」と言っているが、フィルは察した。夫婦の愛は邪魔できない。
「生まれてくる子供の名の候補を書き記した手紙が俺の部屋の机の引き出しに入っている。もし俺が死んだら皆んなで決めてくれ」
「はい」「うん」「うむ」
「パパ死んじゃうの?」
ネルがロベルが死んでしまうかもしれないと理解して涙を流し始める。
「ネル、安心してくれ。パパはちょっと遠くに行く。少し時間がかかるけど必ず帰る。それまでいい子にしてるんだぞ。約束だ」
「うん、約束」
「よし」
ロベルはネルを抱きしめながら一頻り頭を撫でた後、フィルを見る。
「フィル、お母さんとネルを頼んだぞ」
「うん。父さんも無事に帰ってきてね」
「ああ」
ロベルはフィルを抱きしめ、成長したなと感じる。ゆっくりと抱擁を解き、頭を撫でた後に再度大きな背嚢を背負う。
「では。皆んな、すぐに帰る」
「はい。あなた行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃい」
「いってらっしゃい」
「無事を祈っとる」
ロベルは優しい顔で家族全員の顔を再度見直す。一頻り見た後、背を向けて玄関の扉をゆっくりと開けて外に出る。
フィル達も一緒に外に出ると既に村長の馬車が家の前で待っていた。ロベルは背負っていた背嚢を先に馬車に乗せた後、自分も乗り込む。
ロベルを乗せた後、馬車は直様出発する。フィル達はロベルに手を振り続けた。
馬車が遠のき姿が次第に小さくなるとエラが泣き始める。
大粒の涙を流しながら、手を振り続ける。
フィルも釣られて涙する。
やがて馬車が見えなくなると、誰からともなく家に入り始めた。
******************
その年の夏の中旬にフィル10歳になった頃、ラウディ伯爵軍団は出陣時の半数以下の数で領内に戻ってきた。
帰ってきた兵士達は皆褸雑巾のような醜い敗残兵であった。
その中にロベルの姿はなく、いつまで待ってもフィル達の下にロベルは現れなかった。
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