十話
フィルが『身体強化術』を身につけてから1年が経つ。以前と変わらない日常なのだが、多少の変化はあった。
先ずはフィルなりに少しずつ魔術修練を始めた。
自身の膨大な魔力の異常性に向き合い、理解に務めた。
身体強化術は通常の人は四刻少しだが初度限界だが、フィルの場合半日使い続けても、魔力に余裕があった。
そのため、家にいる時は身体強化術を使い続けると練度が飛躍的に向上した。
そして、フィルは身体強化術の贅沢な実験をした。
可視化できる程の大量の魔力を生成して、より濃密な魔力を練り上げて全身に流し込み、更に濃縮する事で通常より身体能力を強化させる事に成功する。
この『身体強化術』を目にしたダンケルに龍闘技法四段の『貫手鉤爪』という技を伝授される。
「『貫手鉤爪』は悪竜の皮膚を抉り取るために編み出された技であり、魔力と爪先を強化して鉤爪型の手で貫手を放つ。『身体強化術』を爪先に集中させるのじゃ」
ボクササイズも飽きていたため、型だけじゃなく技の一つくらい学ぼうと努力した。
ーー低級な魔物とかくらいには逃げれるようにならないとな。
一方、祖父ダンケルはフィルに身体に流れる濃密な魔力の奔流を見て、戦いに天賦の才があるのではないかと考えていた。
だが、戦士に最も必要なものは才能ではなく人を傷つける事を躊躇わない心構えであり、フィルの少し臆病な性格は向いていないのかもしれないとも感じていた。
ダンケルは決してフィルに剣や闘技を強制させたたい訳じゃない。
孫が戦や暴力に関わらず生きれるのならそれでいいが、こんな世にそれは難しいのかもしれない。
いつかは家族を持ち、誰かを守る立場になった時に力は必要なのではないかと考える。
そんな中で日に日にフィルの才能の片鱗を見せつけられる事で悩みが増すダンケルであった。
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ナザビア帝国の北部国境線を超えた先にタライタ山脈はある。
タライタ山脈の銀鉱山事業は着手され始めた。
先ずは北部国境線の拡大から始まった。
タライタ山脈の裏側に国土を持つタスベニア国とは約230年間膠着状態だが、巨大銀山が存在したとなれば戦争が勃発しかねない。
ナザビア帝国軍団は慎重に進軍を繰り返し国境線を拡大して、新たな要塞と帝国オルブライト北部辺境伯爵領までの街道を築く。
この大規模事業の主力はかつてベルマレンの民であった奴隷達だ。
彼らは昼夜問わず過酷な労働を強いられていたが、命は繋ぎ止められていた。
ナザビア帝国としては彼らには30年働いてもらわないと困るのである。
専門家が推測する巨大鉱脈へと数カ所からの坑道掘りが始まる。
奴隷達が掘った穴を土術師が落盤防止のために岩盤を固定した後、再び奴隷達が木で組まれた支保坑を組み立て固定。
暗い坑道の中で奴隷達はこの作業を永遠と続ける。監視官により怠慢は許されない。
「クソクソクソ」
「どうしてオレ達だけこんな目に」
奴隷達はどうして自分達がこのような過酷な労働をしなければならないのか、常々疑問に思う。
自国の軍からの圧政により飢餓に苦しみ、それも戦を乗り越えれば改善すると信じていた。
しかし、現実は違った。彼らは人間としての尊厳さえも奪われ、死んで逃げる事も許されない先のない人生に酷く絶望する。
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フィルが9歳を目前とした初夏にエラはフィルの日頃の鍛錬を見たためか、エラは初めて森に同行する事を許可された。
森を歩く前は準備が必要である。
先ず魔物達に森に入った事を悟られないために、体臭を消す必要がある。
前日の夕飯から肉類や香辛料、大蒜等の匂いを放つ食は断たなければいけない。
そして、森林では目立つ髪色や肌などを隠して自然に溶け込む必要があり、カモフラージュのための衣服の用意が必要であった。森に必要な小道具や装備を整える。
身体は朝に再度清め、僅かな汗を流す。
その日の夜は初めて魔物を見るかもしれない事にフィルに緊張をしていた。
異常気象と近郊の戦争以外で森の生態系は大きく変化はしない。フィルは習った森の魔物達を頭で考えるうちに眠りついた。
フィルは翌朝起きると陽が昇る前に目を覚ます。暁の時間帯に昨夜の支度を再確認にする。
一階の居間からエラの物音が聞こえ、下に降りると乾燥させて匂いを抑えた食料を中型鞄に詰め込んでいた。
「おはよう」
「おはよう、もうすぐで出発するから身体を清めてきなさい」
「うん。」
「クレルの森は危険は少ないけど、臭いに敏感な魔物が多いわ。しっかり水を浴びなさい」
「わかったよ」
森に行く前のエラはいつものおっとりした雰囲気が消え、隙が無くなる。
フィルは水を浴びて身体を拭き消臭剤を身体にかける。髪を乾かした後、出発する頃に朝焼けの時間帯になっていた。
クレルの森はテルルト村より南東に徒歩で一刻。
そこまで険しい道ではないが整備がされていない岩道を通らないといけないため、足元には気を配らなければならない。
「森なんてまだ先なのに結構歩きづらいんだ、ね」
「ええ。これくらいは慣れていかないといけないわ」
「うん。そう言えば母さんは森で魔物に襲われた事はあるの?」
「若い頃に何度かあるわ。大した魔物じゃなかったからこれで脳天を撃って仕留めてたかな。昔だからあんまり覚えてないんだけど」
エラは牽制として『水術』を使用しながら、弓と小刀で魔物を仕留める。『身体強化術』を使える訳ではないため、接近を許させない。
魔術は『水術』を使えるが、四級相当らしく魔物を一撃で倒すのは難しい程度の力量だ。
「そうなんだ。僕は今後どうしよかな」
「そうね。あなたの並外れた魔力量からして色んな道があると思うわ。お義父さんの剣は凄腕だから、学んでもいいと思うけど...。」
「うん。迷ってる。戦いはそんな好きじゃないんだ」
「薬師になるなら力はそこまで必要ないわ。
まあ、どちらにしろ10歳になるまでこれ以上魔術は教えられないわ。時間があるのだからゆっくり考えなさい」
「そうだね。でも、父さんとおじいちゃんは剣を持ってほしそうだね」
「2人とも武人だからね。でも、剣を持たなくても誰も責めはしないわ。安心しなさい」
「うん」
フィルはつぐつぐ思う。
この世界でこんなに恵まれた家族の下で生まれた幸運。最初は戦士の息子だから剣を持たされて戦に向かわされると考えてた。
しかし、彼らは子供に自由を奪わず、自ら道を選ばせる。やりたくない事は無理にやらせないが、意欲があるなら丁寧に色々な事を教えてくれる。
それでいて、家族各々自身の道を突き進んでいるのに、仲が良い5人の家族。
こんな家族をいつか自分も築きたいと考えるフィルであった。
クレルの森に入る前に休憩をとる。
ここから数刻気を張り続けなければいけない。
日頃から使用している『身体強化術』を少し抑えて、魔力の残滓を漏らさないように調整する。
鞄に詰め込んでいた薄い外套を羽織り、付属している頭巾を被る。
森に入ると鳥の囀りと葉擦れの音が響きながらも、静寂に包まれていた。
緑の間に木漏れ日が差し込むが、辺りは薄暗く神秘的な雰囲気である。
遥か昔から存在するであろうこの森の木々達は未だに強靭な生命力を感じる。
人を森に生かされている。彼らから命を分け与えられている事に理解して、感謝をしなければいけない。
今日の目的は火傷用軟膏の材料であるオリビアの実、フーカス草。解熱剤の材料となるアカビの根。咳止め薬の材料のアルカナ草。
戦争が終結したため、魔力充填水薬をやめて必ず需要のある風邪薬に集中する事にした。
これらの植物を発見するために陽の当たり具合や土の感触、湿り気などを確かめながら、動物や魔物の気配や足跡を確認して慎重に森の奥へと進む。
しばらくするとエラから静止の合図が出された。
「屈みなさい」
エラは小声で言う。
「よく見なさい。あれが魔物、黒牙猪よ」
そこには禍々しい黒い牙と茶色の毛を持つ十二尺程の体長の猪が植物を食べていた。
フィルも黒牙猪は薬師教本で見た事がある。
雑食で嗅覚に優れ、岩をも砕く黒い牙を持つ。高い繁殖力があるため一頭見つかると、周囲には十頭いるとされている。
黒牙猪が去るのを待ち、縄張りかもしれないため違う場所へ移動する。
方角を変えて歩くと、少しずつ目当ての植物が見つかるようになった。
ーーもしかしたら、黒牙猪が食べていたのかもしれないな。
必要数の植物を見つける頃には昼過ぎとなっていた。
森を出る直前に兎の足跡を発見する。
僅かな足跡と糞を辿ると、茶兎を見つける。
「フィル。あの茶兎が見えるからしら」
「うん、あの木の側いるやつね」
「そう。あの兎を一緒に狩らない?」
「え、狩り?」
「そうよ、狩よ。あなたも今後はやらなきゃいけないの」
「うん。どうやって狩るの?」
「私が弓で追い込み誘導するから待ち伏せてこの小刀でタイミングを見計らって仕留めなさい」
「わかった」
エラは静かにフィルから距離をとる。
しばらくすると一射目が放たれる。兎が逃げた先の地面にニ射目が突き刺さる。
方向転換をして逃げた兎の先はフィルの目の前。
フィルは暴れる心臓の音を静めるため深呼吸をして、タイミングよく小刀を兎の頭部側面に突き刺す。一撃で仕留める。
臆病な自分が生命を刈り取る。
自分でも驚くことに獲物を仕留めた達成感に鳥肌がたち、愉悦を感じた。
血は溢れていたが軽く拭き包に入れる。解体作業を森で行うと、血の臭いで魔物を呼び寄せてしまう。
エラと合流してそそくさと森を出る。初めてフィルは1人で生き物を仕留めて解体する。
兎の足に小刀で切れ込みを入れて、手で毛皮を剝いていく。手足や背中の毛皮は手で簡単に剝けるが、頭部や腹部の毛皮は剥きづらいため、小刀を使う。
毛皮を剥いたら、臓腑を取る。返り血を少し浴びたが気にしない。
残った兎の身体を水で清めて、防腐粉を塗す。
「よくできたわね。頑張ったわ」
「うん。ちょっと、あの川で顔と手を洗ってくるね」
川の水面には僅かに血塗れの自分の顔が見える。自然に笑みが溢れる。
ーー感動しているのか。
例え生物的弱者であっても生きていた命。
フィルは今まで動物の命を奪うことを避けてきた。たった今命を奪った。
その事実に向き合うからこそ、自身の生を実感する。
帰りの道は何事もなく、無事に帰宅する。
ネルの面倒を見ていたダンケルが居間にいた。
「帰りました」
「ただいま」
「うむ」
鞄の中の薬草を仕分けして、果実水を飲み一服する。
「森はどうじゃったか?」
「凄い綺麗なとこだったよ。あ、これお土産。
兎を狩ったんだ」
「綺麗に処理されてるな。フィルがしたのか」
「うん。意外と上手くできたと我ながら思う」
「そうか。立派になったの」
「へへ」
この日の夕飯は兎肉の煮込みであった。滅多に褒めないロベルにも兎を狩ったことを褒められた。
何か自分が成長した気がするフィルであった。
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