八話


7歳の年の秋終盤になると、フィルは調合を少しずつ任せてもらえるようになった。



徐々にだが、フィルは調合の感覚を掴めるようになってきたのだ。

沸騰具合や匂いや色の変化、分量の感覚などを目で見て鼻で嗅ぎ、身体で覚える。


何故かフィルは生まれつき、目や鼻の感覚が異常に鋭く僅かな変化に敏感なのだ。


そのため、日常から人の体臭や残香で誰がこの場にいたのか推測できるし、本日の夕飯など家の外からでもわかる。フィルはくだらない能力だと考えていたが、意外なとこで役に立つと嬉しくなる。



フィルは奇跡的に初めて1人で火傷用軟膏を作り終えると褒美に馬車で再び街に連れて行かせてもらい、卸し作業の手伝いを行う。


今回の儲けは昨年より2倍近くなり、エラの顔もほくほくしていた。


気分が良いエラはフィルにお小遣いとして銀貨5枚を渡す。初めての自分のお金に喜びながらも、何に使うかは直ぐに思い立つ。

エラに許可を取り、急いで再びあの本屋に寄らせてもらう。


ーーーこんなに早く行けるとは思えなかった


「こんにちは」

以前と変わらず薄暗い本屋に入るとカウンターで目つきの悪い老人が書物の修復作業をしていた。


「冒険譚の坊主か。一年振りだな。元気してたか」


「はい。覚えてくれたのですか」


「ああ。本なんて買う奴は少ねえ。ガキなら尚更だ」


「ははは。そうですよね。親に感謝してます」


「ゆっくり見てけ」


「はい」


銀貨5枚で買える本は少ないだろうと考えながら、棚に置かれている書物を見る。


その中でも銀貨4枚の値札のボロボロな小さな手帳が目に入る。



・『マーリーの薬学研究日記』



本でも無く、単なる日記だ。発行元や著者も書いていない。そして、日記という事は真実の保証は何処にも無いのだ。


「そいつはただの日記だ。内容も俺には落書きにしか見えんかった。紙の無駄遣いかもしれねえ。マーリーなんて薬師聞いたこともないからな」


「そうですよね、」


しかし、フィルが実際に読んでみると非常に興味深い研究や薬の製法が色々と記されている。


大半は作者の恋愛模様や落書きなどもあったが、研究内容の真偽は不明だが、中身は重厚だ。


特にフィルが興味があったのが、


『毒草コリカプスを用いた止血剤の製法』


何度も危険な実験を繰り返して発見したと自慢げに書かれていた。

通常止血剤の効果は一日かかる。しかし、この止血剤は一瞬で血が止まる。



ーーこれが本当なら凄いことだろう。



フィルは少し悩んだが、この日記を購入する事にした。それ以外は全くお金が足らない。選択肢は無いのだ。



「おじいさん。これ買いたいです」


「....。おめえ若い女の恋文に興味があったのか?」


「いえ、そうではないんですけど...。ちょっと興味がある事がありまして」


「そうか。そんな物買ってくれんなら、何も言わねえよ。あと、俺の名はハーベイだ」


「あ、すいません。ハーベイさん。僕の名前はフィルです」


おじいさんと呼ばれたのが気に障ったのだろうか。


フィルが銀貨4枚を渡すと「買ってくれた褒美だ」と言って、ハーベイはフィルに焼き菓子をくれた。フィルが感謝を伝えるとそっぽを向かれる。



店外に待たせていたエラとダンケルに合流して馬車に乗り合わせて街へ戻る。



その日フィルは一日中、『マーリーの薬学研究日記』を読み耽た。

真偽は定かでは無いが、様々な発見や驚きの実験記録がこの本には記されていた。



研究日記は途中途中で想いを寄せる人への恋文には変わる。そして日記の最後は想い人への恨みを綴った文に溢れていた。



ーーーおそらく、彼女は振られたのだろうな。本人からしたら黒歴史なような物だ。



フィルは何と無く、マーリーは薬学に関しては天才的だが、日常生活では極一般的な思春期な女の子な気がして親近感が湧くのであった。



ーーー研究と恋愛を混同して日記に書くのはどうかと思うが。



******************




この年の冬籠り直前にフィルは身体を弱らせた。最初はただの風邪だろうと考え、無視をしていたが身体の気怠さや発熱が八日以上続き、異変を感じた。



幸いにもエラは立派な薬師であるため、解熱剤や生気を養う薬をフィルに用意してくれて、病を乗り越えようとした。


しかし、フィルには解熱剤も然程効果が無く体調は崩す一方であった。


フィルがベッドで寝込んでいるとロベルは「日頃から鍛えていないからだ」と小言を言いながらも心配して温かい白湯などを用意してくれる。ダンケルも何度も様子を見に部屋まで来てくれた。


エラと一緒にいたネルも心配そうな顔をしていた。


「大丈夫だよ。ただのお風邪だよ。心配ないよ」と自分と妹に向けて言うのであった。



そして、体調を崩し始めてから三週間が経過した時に俺の身体が目に見えて異変が起き始める。薄暗い金色の髪が徐々に白にも近い白銀色に染まっていく。



フィルとエラはこの症状を知っている。


これは魔術欠乏症の初期症状だ。


この日から俺の身体が急激に衰弱、寝込むだけの生活になった。


エラは自前の魔力充填水薬をフィルに飲ませて、経過を待つが大した効用はない。



「フィル、いつ魔術を使用したの...?」


「習った事も使用した事もないよ」

目を見て信じて欲しいと母さんに訴えかける。


「嘘はついていないようね。...。母さん病気の原因を探ってみるわ。絶対に助けるから待ってて、心配しないで」



エラは急いで街まで向かい薬師協会の共有資料や薬師達の症状に対する意見などから情報を集めて、仮説を立てた。



仮説は大量の魔力を生成できる子供が長年魔術を行使せずに溜め込みすぎると、身体が勝手に反応して魔力を体外に逃がそうとする。


しかし、魔力を扱えない子供は一度魔力を体外へ逃すとそのまま放出し続けるしかなく、魔力欠乏状態になり衰弱するという事であった。



過去のこの症状に当て嵌まる事例は無いのだが、過去にとある戦士が悪ふざけで魔力充填水薬を一度に10杯飲み、体調を崩して髪が白くなったらしい。


この事例からエラはフィルは体内に魔力保管庫が満杯なのに対して、膨大な魔力が増え続ける歪さに身体が反応したと推測する。



原因が判明しても、解決ができないと悩むエラにダンケルが妙案を出す。


「魔力操作を教えた後、身体強化術を教えるのじゃ。あれなら、魔力操作も格段に磨かれる。消費量も僅か。魔力欠乏症にもならず、正常に身体から魔力を排出できるようになる。身体強化術は魔術に含まれるかわからんが、禁忌はこの際どうでも良かろう。外で使用しなきゃバレはしないじゃろ」



その日からフィルはロベルとダンケルに教えられ魔力を操作して練り上げる訓練を寝室で行なった。


日に日にフィルの身体から魔力が大量に溢れ出ているため、フィルが魔力を意識できるようになるまでは数時間とかからなかった。


意識ができた後、フィルは魔力が丹田から湧き出て全身を巡りダム決壊のごとく全身から溢れ出している事に気づく。



そこから、魔力を身体からの放出を防ぐために丹田から出る魔力の奔流を少しずつ制御して、完璧に操作ができるまでに二十日が経過した。


魔力の操作は通常は一年間、どんなに天賦の才があれど一カ月はかかるらしい。


フィルへ死を前にした驚異的な集中力で乗り切り、無事に体調は回復し始めた。



家族は一安心して、エラは泣いて喜んでいた。


「本当に心配をおかけしました」

全力で助けてくれた感謝を暖かい家族に伝えた。




しかし、このままでは再度魔力過剰に溜め込み 欠乏症となってしまうため、身体強化術を学び定期的に魔力を排出しなくてはならない。



三日休むと室内でフィルとダンケルの修行が始まった。


常に平均的な量を丹田から魔力を出し続け、全身に行き渡らせて、濃縮させる。工程は単純だが実行は難しい。


この修行は二月続き、翌年の雪解けにフィルは完璧に身体強化術を習得した。


武術を習った訳では無く、腕力や速さが増しただけであるため、そんなに強くなった訳ではないし、外では絶対に使えない。


それでも、フィルは初めて魔力を扱えるようになった感覚に感動に浸るのであった。


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