第15話 自分の過去と向き合う

市子の動きは先ほどの準決勝とは違い、動きが硬かった。

相手の挑発にあの市子が尻込みしているとも思わない。

相手の選手が果敢に攻め入ろうとしているのに、市子は防御しているばかりだった。

どうしたのだろうと心配になる。

緊張している?

俺の知る市子に限ってそんなことはないと思った。

けれど、このままでは相手に押されて一本も取れないで終わる。

隣に座っていた鈴村も心配そうに市子たちの試合を見ていた。


「あの子、試合に集中出来てないな」


鈴村が隣でぼそっと呟く。

俺はつい、そんな鈴村の顔を見てしまった。


「昔のお前を見ているみたいだ」


そうだ。

高校最後のインターハイ。

俺は決勝戦まで登り詰め、全国で最強と呼ばれた選手と戦った。

しかし、その時にはもう俺の中にあった剣道への情熱はなくなっていて、相手に押されるがまま、あっという間に得点を取られてしまった。

そして、あの日俺の剣道生活は終わった。

部活を引退すると普通に大学受験を受け、大学に行き、就職をした。

あんなに捧げてきた時間が全部無駄に感じていた。

そんな思いを市子にも味合わせたくない。

そう思った俺は、気が付けば市子に向かって叫んでいた。


「何やってんだ、小野! お前らしくねぇんだよ!!」


こんな遠くから聞こえるはずはない。

そう思っても叫んでいた。

鈴村も驚いた顔で俺を見ている。

しかし、その瞬間、市子の動きは変わった。

準決勝まで見せていた切りのいい動きになっている。

集中力も出てきたのか、姿勢も安定していた。

相変わらず相手側の選手も押しの姿勢で崩さなかったが、市子は隙をついて一本取った。

その瞬間、つい俺も声を上げてしまった。

嬉しかったのだ。

市子が得点を取ったことが。

相変わらず鈴村は驚いた様子で俺を見ていたので、俺は咳払いをして座りなおす。

ここまで熱を上げる事でもなかった。

最近、剣道の試合を見て、こんなに盛り上がる事もなかったのに。

めっきりインドアおじさんになっていたのに、どうしたのだろうかと自分でも驚いている。

市子も本調子に戻ったのか、続けざまに相手から1本取って試合は終了となった。

俺は椅子から立ち上がり、鈴村に声をかける。


「俺、帰るわ。今日は誘ってくれてありがとな」

「え? もうかよ。もう少し残ってもいいだろう?」

「いや、いいや」


鈴村は最後まで誘ってくれたが、俺は断った。

これ以上ここにいたら昔の事を思い出しそうだったからだ。

そして、1人会場を後にした。



結局、帰る気にもなれなくて、俺は北の丸公園の方へ行ってベンチに座り、ぼぉっとしていた。

俺の両親は俺が8歳の時離婚した。

原因は父親の酒癖の悪さと、酔った後の暴力だった。

俺や姉が暴力を受けることはなかったが、母が何度も父に殴られているのを見ている。

その度に姉が泣いて、俺は父親を恨んだ。

そのことを母方の祖父が知って、すぐに離婚するように母に提案した。

母は知り合いの弁護士に相談しながら、父親と離縁し、俺たちと一緒に実家の道場に戻ったのだ。

祖父は俺に剣道を教えた。

剣道は己の精神を鍛えるものだから、父親のようにならないように極めろと言われた。

最初は、嫌々だった。

稽古のせいで友達と遊べなかったし、休みの日に出かけることができなかったからだ。

祖父は厳格な人だったから、稽古も厳しくて何度も辞めたいと訴えても辞めさせてもらうことはできなかった。

ただ、中学に入って剣道が強いとクラスの奴らに知れ渡ると急にモテだして、女の子からもよく声をかけられるようになった。

それが嬉しかったのか、俺は剣道に専念した。

そして、賞を取るたびに話題になった。

俺はそれほど剣道が苦手ではなかったし、性に合っていた割と上達するのも早かったのだ。

それが俺の絶世期だったのかもしれない。

結局、高校に入っても剣道を続けて、いつの間にか周りには敵なしの状況になっていたが、それでも祖父は一度も俺を認めてくれたことはなかった。

お前のそれには心が入っていないというのだ。

祖父の言うことはいつも意味が分からない。

そのうち大喧嘩になって、俺は道場で練習することはなくなった。

そのうち、やる気もなくなって3年の最後のインターハイの決勝戦、必死になっている彼らを見たとき、俺は何をやっているのだろうと思った。

剣道でスポーツ推薦をとってもプロになる気なんてない。

正直始めた理由が人気者になりたかったからだ。

俺には正直それしかなかったから。

名前が土方歳三と一文字違いで様にもなっていて、話題にもなりやすくて、精神の鍛練とか真の意味での強さとかどうでも良かった。

道具も対戦相手も練習する場も人より環境が恵まれていたから上達できたのだ。

祖父は何もかもわかっていた。

だから、俺にいつも不満ばかり言っていたのだ。

お前のそれは剣道じゃない。

武士道なんかじゃないと。

そんなの俺には関係なかった。

剣道は他のスポーツと何も変わらない。

そして、それに気が付いた時、俺は負けていた。

惨敗だった。

周りからの幻滅した目線を感じた時、誰も俺の事なんて見ていないかったことに気がつく。

そう、友人の鈴村以外は。

強くない俺は俺じゃない。

そう言われた気がした。

そして、俺はそんな剣道が好きでも何でもないということも理解した。

なら、続ける意味も祖父の言いつけを聞く意味もなくなっていた。

俺はその後普通に受験して、剣道とは全く関係ない世界にいる。

そして、こんな場所にいまだに誘ってくれるのは鈴村ぐらいだ。

10年前には祖父も亡くなって、3年前に母も他界。

父親がどうなったかは、俺も姉貴も聞いていないし、知らない。

だから俺の家族はもう、姉貴1人なのだ。

そして、可愛い甥っ子と姪っ子だけが俺の心のよりどころだった。


「そんなところで何してんのよ?」


そう声をかけてきたのは、大荷物を抱えた市子だった。

俺はベンチに座ったまま、後ろに立つ市子の顔を見た。


「お前、授賞式は?」

「そんなのとっくに終わったわよ。試合が終わって、何時間経っていると思ってるの?」


目の前をよく見てみるともう夕方になっていた。

俺は随分長い間ここでぼぉっとしていたものだ。


「学校の奴らはどうした? 一緒に帰らなくていいのか?」

「直接迎えに来るから、現地解散にしてもらったの」


市子はそう言って重い荷物を持って、俺の隣に座る。

市子とも知らない間に距離が近くなったものだ。

最初はキショイを連続され、ストーカー扱いまでされたというのに。


「あんたの声が聞こえた」

「は?」


俺はつい呟くような小さな声で話す市子に聞き返した。


「何やってんだって言われた気がして、そしたら頭の中にかかってた靄みたいなものがすっきりして、試合に集中できた」


確かに俺はあの時、無意識で叫んでいた。

市子にでもあるが、昔の俺に対してでもあった気がする。


「優勝、おめでとさん!」


俺はそう言って、市子の頭を撫でる。

市子は恥ずかしそうにその手を跳ね除けて、そっぽを向いた。

俺は姪っ子でこういうのが慣れているから気にならなかったが、市子には余計なお世話だったようだ。


「別にあんたの為に勝ったわけじゃないんだから。ただ、周りの選手の気迫に負けてたんだと思う」

「気迫?」

「私はまだ2年で来年も試合に出られるけど、あの人たちは今年が最後で必死だった。必死なのは私も一緒だけど、目の前で負けて大泣きしている3年生たちを見ていたら、複雑な気持ちになってきたのよ」


それは俺にもわかる。

あの頃にも俺よりも必死に戦っている選手は何人もいた。

プロになろうと躍起になっていたやつもいた。

それなのに俺には何もなくて、勝つ意味すら見失っていたのだ。


「でも、だからって負けてやるのは違うわよね。相手も真剣なんだもの。私だって全力で相手にぶつからないと失礼じゃない」


なるほど、市子らしいと笑ってしまった。

俺も市子のような気持ちで剣道が出来ていたら何か変わっていたのかもしてない。

この時は市子を見ながらそう感じていた。

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