第2話
嶺の家は、伽羅ちゃんの言う通り、私の家のすぐそばにあります。生まれた時からずっとご近所同士だった私たちは幼い頃から一緒に過ごしてきました。
小学校も中学校も高校も一緒で、そして今も同じ芸術学校に通っています。それなのに、こうして校内を並んで歩くのは、本当に初めて。距離が生まれたのには学科が違うからという理由ももちろんありますが、一番の理由はやはり伽羅ちゃんです。
嶺には伽羅ちゃんがいるから、これまでのように気軽に接してはいけない。
無意識にそう思って、彼を避けるようになっていました。
「すっかり夜だね。こんな遅くまで学校にいて、お母さん心配しないの?」
「もうそんなに子供じゃないから。大丈夫だよ」
「そうか、お母さん、心配性な人だから、あんまり遅いと捜索願いとか出しちゃいそうって思ったけど、確かにね。もう僕達十九歳なんだね」
校門を出ようとする時、後ろから性急な足音が近づいてきて一人の男子生徒が私たちを通り越していきました。両腕で抱えた大きな袋と、右手首の黒い数珠を見て、私は思わず声を上げましたが、彼は私たちの行く道と反対方向の闇の中へ消えていき、虚空に漏れた私の声も暗闇と嶺の声に飲み込まれました。
「日本画科はどう? 楽しい?」
私はあの男子生徒が消えていった暗闇に意識を引かれながらも、嶺の問いかけに答えました。
「楽しいよ。基礎からもう一度ちゃんと学べるし、絵の上手い子たちが周りにたくさんいるし」
「そうか。よかった。日本画科は厳しい教授が多いって
水樹くんというのは私たちの一つ先輩で、音楽科の男子学生です。そして、翡翠のピアスをつけた、私たちの仲間。嶺が彼と親しかったことで、すぐに仲間、同じ能力を与えられた七人のうちの一人だと判明しました。
心配をしてくれたと聞いて心に甘い蜜が広がりかけましたが、心配したと言っても連絡したり会いにきてくれたりはしなかったのだと気づくと、やはり以前とは違うんだとすぐに落胆してしまいました。
「ねえ、嶺。それより、さっきの人、見た?」
「さっきの人?」
「校門を出る時、私たちを追い越していった人。ほら、彫刻科の人だよ」
「誰? 全然気づかなかった」
「駿河時(するがとき)さんだよ。在籍者がそもそも十人くらいしかいないのにほとんど学校に来ない学生ばかりの彫刻科で、一人だけ毎日登校している人」
「なんかそんな話は聞いたことある気がするけど。その人がどうしたの?」
「ブレスレットしてる。黒い真珠の」
私が言うと、それまで色の失せた顔をしていた嶺が少し表情を動かしました。
「ブレスレット?」
「だから、四人目かもしれないって。だってアクセサリーとか全然興味なさそうな男の人だよ。私たちの仲間じゃなかったら、わざわざブレスレットなんてつけるかな、あっ、バス!」
「毬子走ろう!」
バス停にバスが停まっていて、今にも発車してしまいそうでした。この時間、一本逃してしまうとバスはなかなかやってきません。一時間以上何もないバス停で待ちぼうけすることになってしまいます。
「ああ、間に合った! すみません」
嶺に続いて車内に飛び込みながら、私はいつもの運転手さんに謝りました。運転手のおじさんはほうっとため息をつきました。
「よかった。まだ今日君たちを乗せていないから、そろそろ来る頃かなと思ってね。これでも五分くらい待ったんだよ」
学校の外で私たちにこんなに優しいのは、この人だけかもしれません。私はお礼を言って、嶺の隣に座りました。
車内には私たちしかいませんでした。この時間、この辺りにはもうほとんど人はいません。住宅街でも繁華街でもないこの街は、一足早く一日の終わりを迎えるのです。窓の外の何もないひたすらに真っ黒な闇を見つめていると、隣で嶺が言いました。
「早合点はしないほうがいいよ」
何のことか分からず、私が目を瞬かせると、嶺は呆れたように付け加えました。
「駿河くんのこと。さっき言ってたでしょう。仲間かもって」
「ああ……早合点、かな。何となく雰囲気的にも、仲間かなって感じるっていうか……」
「もう少し様子を見たほうがいい。もし違うとしたら……僕達のことは、あまり知られないほうがいいと思うし」
その後は、何となく二人とも話題を見つけられなくなりました。どんな話も、その場にそぐわないような気がしたのです。
やがてバスは私たちの家に一番近い停留所に停まりました。私たちの家はバス停を挟んで反対方向に位置しています。ここでお別れでした。
「今日はありがとう。あの幽霊を上手に解放してくれて」
大切なことをまだ言えていなかったと思い至り、私は別れ際に言いました。
「毬子も一緒にいてくれたでしょう。それにしても、お互い毎日同じ場所から同じ場所に行き来してるのに、こんなにも会わないなんて、おかしいよね。これからはもっと一緒に学校行ったり、帰ってきたりしたいね」
そんなの無理だよ、伽羅ちゃんがいるでしょ、としょげた声を上げそうになった時、嶺がじゃ、と手を上げて呆気なく行ってしまったので、喉まで込み上げた私の不平は吐き出されることなく胸の奥底に引き返していきました。
その瞬間はムッとしましたが、家の方に体を向けて歩き始めると、言わなくてよかった、と少し安堵しました。あまりに幼稚すぎる言い種だと気がついたからです。
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