家族
第16話
ガタゴトと揺れる車内。窓の向こうを流れていく風景を結菜はぼんやりと眺めていた。秋だというのにすっきりしない天気。暗い色の雲が覆った空を見ていると、なんだか鬱々とした気持ちになってくる。
「結菜ちゃん、眠くない? 体調は大丈夫?」
その声に視線を向けると、ボックス席の向かい側に座ったカナエが心配そうな表情を浮かべていた。結菜は苦笑する。
「大丈夫だって。子供じゃないんだから」
「でも、こないだ風邪ひいたばかりだし。今日は朝も早かったし」
カナエはそう言うと「ごめんね」とため息を吐いた。
「え、なにが?」
「わたしが車の運転得意だったら、もう少しのんびり移動できたのかなって」
「いいよ、別に」
結菜は言って、再び窓の向こうに視線を向ける。
「わたし、けっこう好きだよ。お父さんのところに行くまでの電車移動」
「そう?」
「うん。ずっと海が続いてるし」
「……そう」
沈んだ声だった。ちらりと横目で見た彼女は複雑そうな表情を浮かべていた。きっとカナエにはよくわからないのだろう。結菜が海にこだわる理由が。
あんなことがあったのだから海なんてもう二度と見たくないと思うのが普通ではないのか。そうカナエは思っているのかもしれない。
実際のところ、結菜自身も海にこだわっている理由はよくわからない。それでも海を見ていると落ち着くのだ。
「開いてるかな」
ポツリとカナエが言った。結菜は視線で問う。彼女は微笑みながら「兄さんが好きだったおまんじゅうのお店」と言った。
「ああ、去年は臨時休業だったっけ」
「うん。代わりにコンビニで買ったおまんじゅうお供えしたよね」
「きっと父さん、これじゃないってブツブツ言いながら食べてたよ」
「絶対そうだよね。今年はちゃんと持って行けるといいな。綾音ちゃんたちにもお土産に買って帰りたいし。みんな大好きだもんね、あのおまんじゅう」
「そうだね」
頷く結菜をカナエは何か言いたそうな表情で見つめていた。なんだか今日のカナエはいつもと様子が違う。それは父の墓参りに行くからというわけではなさそうだ。なんだかソワソワした様子で窺うような表情を結菜に向けている。
「おばさん? どうしたの」
「え、何が?」
「変な顔してる」
「え、変って。いやいや、そんなはずは……」
カナエは自分の頬に両手を当ててから、浅く息を吐いた。そして「あのね、結菜ちゃん」と視線を俯かせながら言う。
「うん」
「その、
「母さん……?」
口の中で呟く。カナエが結菜の母の名を口にするのは年に一度。母の命日の時だけだ。それ以外では結菜の前でその名を口にすることは今まで一度もなかった。
結菜は怪訝に思いながら首を傾げた。
「どうしたの、急に。まだ先じゃん。母さんの命日は」
「そうなんだけど、ちゃんと聞いておこうと思って」
そう言ってカナエは顔を上げた。強い表情だった。あまり見たことのないカナエの表情に結菜はなんとなく膝の上でギュッと両手を握る。
「三回忌法要、結菜ちゃんはどうしたい?」
まっすぐに結菜の顔を見つめながらカナエは言う。結菜は彼女の顔を見返し、そして膝に視線を落とす。
「どうしたいって?」
「行きたい?」
「……そんなの、わたしに選択肢なんかないでしょ」
結菜は自分の手を見つめながら言った。
「どこにお墓があるのかも教えてもらえないのに、わたしにその案内がくるわけない」
「でも会いたいでしょ? 千紗都さんに」
「――なにそれ」
結菜はさらに強く両手を握りしめる。
「死んだ人に会えるわけないじゃん」
もう子供ではないと言っておきながら、こんな子供じみたことを言ってしまう自分が嫌だ。カナエが言いたいことはそういう意味ではない。それは理解しているのだ。それでもこんなことを言ってしまうのは、きっと望んでもそれが叶わないということも理解しているから。
こうして父に会いに行くように、母に会いに行くことはできない。
「わたしは会いたいよ」
結菜はハッと顔を上げた。カナエは強い表情のまま、結菜を見ていた。そして「こうして、結菜ちゃんと一緒に千紗都さんにも会いに行きたい」と続ける。
「千紗都さん、きっと結菜ちゃんの成長した姿を見たいと思うんだよね。結菜ちゃんの成長をわたしだけが独り占めしちゃったら怒られそう」
何かを思い出したのかカナエは笑った。懐かしそうに、悲しそうに。そして結菜に微笑む。
「結菜ちゃんはどうしたい?」
ゆっくりと電車が止まり、ガゴガゴと音を立てて扉が開く。乗客の乗り降りはない。結菜は開いた扉の向こうへ目を向けた。高台にある駅の向こうには、どんよりとした空に覆われた海が広がっている。少し風があるのか広い海の中で白波が跳ねていた。
「わたしは――」
向かいのホームに入ってきた電車が甲高いブレーキの音をたてながら止まった。視界に映るのは海に代わって無機質で冷たそうな車体。
「会いたいな」
鈍い銀色の車体を見つめながら結菜は呟いた。
――会えるものなら、また。
そうすれば受け入れることができるかもしれない。母との最後の記憶が上書きされたら、母はもういないのだと納得ができるかもしれない。だから――。
「会いたい」
結菜はカナエに視線を向けて言った。カナエは微笑んだまま「うん。わかった」と頷いた。それきり何も言わない。
発車のベルが鳴り響き、扉が重たそうな音をたてて閉まった。そしてゆっくりと電車は走り出す。
「はい、これ」
ふいに差し出されたのはラップに巻かれたおにぎりだった。
「また作ってきたの?」
結菜は苦笑しながらそれを受け取る。カナエは膝に置いたタッパーの中からおにぎりを一つとると「いいじゃない」と笑う。
「朝は始発で出るからお店も開いてないし道中の駅に売店もない。乗換続きで時間もないけど、お腹は減るでしょ? それに、おにぎり食べながら電車って遠足みたいで楽しいから」
「いや、遠足は電車でおにぎり食べないし、お墓参りも行かないから」
カナエは「もう、結菜ちゃん」と、まるで子供のように頬を膨らませた。
「そういう真面目な返しはいりません」
「はいはい。すみませんでした」
言いながら結菜はおにぎりを口に運ぶ。そして思わず笑みを浮かべた。
「明太子だ」
「好きでしょ? 結菜ちゃん」
結菜はカナエへ視線を向け、そしてただ微笑んだ。そのとき一瞬だけカナエが見せた表情が記憶の中の母と重なる。ほんの少しだけ、悲しそうな顔。
きっと期待とは違う反応だったのだろう。だけど――。
――もう、その言葉はいらない。
結菜はおにぎりを口に運びながら窓の外へ視線を向けた。乗客の少ない車内では、ただガタゴトと電車の走る音だけが響いていた。
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