第14話
「ごめん。最後のとこ、よく聞こえなかった」
陽菜乃は結菜に視線を向けると薄く微笑んだ。弱い月明かりとランタンの明かりに照らされたその笑みは、なんだかとても儚くて悲しそうで、そして辛そうだった。
「気にしないで」
彼女はそう言うと長く息を吐き出して続ける。
「別れが辛いなら最初から仲良くならなければいいっていう考えに至ったっていうだけの話。子供っぽい考えだってのはわかってるんだけどね」
「ふうん」
だから自ら壁を作っている、というわけか。しかしそれでは今ここにいる彼女はどういうつもりなのだろう。こうして結菜と一緒の時間を過ごすのが楽しいと言っている彼女は、結菜と仲良くなる気はないということなのだろうか。
考えてから「ああ、なるほど」と呟いて結菜は納得する。
結菜が最初に言ったのだ。ここで起きたことは全て忘れる、と。だから彼女はここで結菜と一緒の時間を過ごしたがっている。
きっと彼女は好き好んで壁を作っているわけではない。本当は心から笑い合える相手が欲しいのだ。
それが、この夜の海なら叶えられる。だって結菜はここで起きたことを忘れると約束しているのだから。そしてきっと彼女も同じ。
「なにがなるほど?」
陽菜乃は不思議そうな顔を結菜に向ける。
「陽菜乃はめんどくさい奴なんだなと納得したところ」
苦笑しながら結菜が言う。すると陽菜乃は子供のように無邪気な笑みを浮かべて「そうかも」と頷いた。
――やっぱり、綺麗だな。
彼女の笑顔を見ながら結菜は思う。
「そういう笑顔も、ここだけでしか見られないってことか。もったいない。男子たちが見たらさぞ喜ぶだろうに。女子も喜ぶかもだけど」
結菜が真剣な口調で言うと、陽菜乃はキョトンとした表情を浮かべてからニヤリと笑った。
「そう。結菜にだけト・ク・ベ・ツだよ」
そんなからかうような口調に結菜は「うわー」と思いきり顔をしかめた。
「殴りたいほどイラッとする。ね、殴っていい? 一発バシンと」
「やめて」
陽菜乃は笑ってから「でも」と続けた。
「今、ここでこうしているのが特別なのは本当だよ。ここは、唯一わたしがわたしでいられる場所だから。誤魔化したり気を遣ったりする必要も無いし」
「いや、わたしには気を遣ってよ。てか、家は?」
しかし彼女は答えずに「ね、それより良い物持ってきたんだけど」とレジャーシートの隅に置いていた大きなバッグを引き寄せた。そしてファスナーを開けると、中から何か袋の束を取り出す。
「これ! やろうよ」
嬉しそうに言いながら彼女が取り出したそれは手持ち花火のセットだった。しかも三袋分もある。
「多いな。てか、なんで花火……。もう秋も深まって肌寒い時期ですが」
「だからでしょ。安売りしてたんだよね、昼に行ったスーパーで」
売れ残りの処分セールか何かだったのだろう。もしかすると、もう火薬が湿気ているかもしれない。
「点かないかもよ? ていうか、バケツもいるでしょ。そもそもここって花火大丈夫だったっけ」
「え、ダメなの? バケツなら持ってきたんだけど」
「持って来てんの?」
「うん。ほら」
言って陽菜乃はランタンを手に持つと前方に向けた。砂浜の上には確かにバケツが一つ置かれている。
「……やる気がすごい」
「当然だよ。結菜とやりたかったんだもん。もう水も入れてるよ。でも、ダメなの? ここ」
心から残念そうに陽菜乃は眉を下げる。結菜は「んー」と唸ってから微笑んだ。
「まあ、パッと済ませてゴミとか全部綺麗に持ち帰れば大丈夫だよ。人もいないし」
「そっか。そうだよね。ここにはわたしたちしかいないわけだし」
「見つかったら陽菜乃が謝ってね」
「えー、二人で謝ろうよ」
陽菜乃は笑いながら立ち上がるとレジャーシートの上に袋から出した花火を置いた。そしてバッグの中から太いロウソクを取り出す。あまり見慣れないサイズのロウソクである。
「……それ、非常時用じゃないの」
「うん。一緒に売ってたから。ほら、専用のトレイも。細いロウソクだと海風で消えるかもしれないでしょ?」
「えっと、うん」
果たして消えにくさが太さと比例するのかは不明だが、結菜はとりあえず頷く。陽菜乃はそんな結菜の反応には目もくれず、砂浜の上にロウソク用のトレイを置くとそこにロウソクを立てた。そしてマッチで火をつける。幸いにも今は風も強くない。ロウソクの火は苦労することなく点いたようだった。
「さて。じゃあ、はい。結菜はまずこれからね」
「ああ、うん。て、いや多いな?」
陽菜乃が差し出した花火は五本。一本ずつやれということなのか思ったが、陽菜乃がロウソクに向けた花火を見て違うと悟る。彼女は花火を五、六本まとめて持っていたのだ。
「ねえ、陽菜乃」
「ん?」
「それ、一気にやる気?」
ジジッと音が聞こえるが、まだ花火には引火していないようだ。陽菜乃は真剣な様子で頷く。
「だってパッと終わらせなきゃなんでしょ? こんなにあるんだから、まとめてやらないと終わらないじゃん」
「いや、別日にするとかさ。てか、ストップ。それはダメ。危ない」
結菜が陽菜乃の腕を掴む。陽菜乃は不満そうに「えー」と頬を膨らませた。
「結菜がパッと済ませようって言ったのに」
「言ったけど、それやったらロウソク消えるかもしれないし」
「え、そうなの?」
「着火の勢いで火が消えるかもでしょ。まとめてやるならまずは一本に付けて、それを種火にして他の花火に点けるの。こうやって――」
言いながら結菜は実際にやってみせる。やはり火薬が湿気ているのかなかなか火は点かない。それでも地道に待っているとようやく鮮やかな色の火が飛び出した。
結菜はそれをロウソクから離れた場所に持って行くと、残りの花火の火薬部分に近づける。すると連鎖するように次々と真っ暗だった砂浜に色とりどりの花火が点っていった。
「おお、すごい」
感嘆の声に振り向くと、陽菜乃が食い入るように結菜の手元を見ていた。特に驚かれるようなことではない。ただ火を移しただけだ。しかし陽菜乃は真剣な面持ちで結菜と同じように花火に火を点け始めた。
「最初に一本……」
ボッと火の花が開く。
「で、これに他の花火を」
呟きながら彼女は残りの花火に火を移していく。そしてフワッと明るくなっていく砂浜。
「できた!」
陽菜乃が嬉しそうに結菜を振り向いた。
「結菜、見て! できた! ほら、すごい!」
初めて花火をした子供のように陽菜乃は何度も結菜に「できた!」と繰り返す。結菜は苦笑しながら「もしかして」と首を傾げる。
「あんまり花火したことない?」
瞬間、陽菜乃は我に返ったのか「あー、ごめん」と笑った。
「そうなの。たぶん小さい頃に一回くらいしかやったことなくて」
「マジで……?」
陽菜乃は「マジで」と笑うと手元の色鮮やかな花火を見つめながら「だから」と続けた。
「やりたかったんだぁ。結菜とここで」
「わたしと?」
「うん。結菜と」
言って嬉しそうに笑う陽菜乃の顔は花火の色に照らされてキラキラしている。
――なんでわたしなんだろう。
彼女の綺麗な笑顔に見惚れながら結菜は思う。
きっと彼女なら望めば誰だって友達になってくれる。ここで会ってくれと言えば、きっとそうしてくれる。彼女は誰からも拒まれたりはしない。なのに、どうして自分なのだろう。
――最初にここで会ったから?
きっとそうなのだろう。ここにいたのが結菜じゃなくても、彼女はきっとこうして楽しそうにその誰かと花火をしていたに違いない。
きっと、あの満月の夜にはその誰かにキスをしていた。
彼女が結菜のことを綺麗だと言ったのは満月の光のせいで、結菜自身が魅力的だったわけじゃない。
彼女は相手が結菜ではなかったとしてもキラキラした笑顔を向けて「会いたい」と言ったのだろう。
彼女にとって大切なのは、この時間にこの場所で誰かと過ごすことであって結菜ではないのだ。
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