第13話

 土曜日。いつも通りにバイトを終えた結菜は、やはりいつも通りに自転車に乗って海へ来ていた。そしていつもと同じ場所に停めた自転車に跨がったまま腕を組んで砂浜を見つめる。


「……いるなぁ」


 砂浜には膝を抱えて座る陽菜乃の姿があった。なぜか彼女の周囲だけぼんやりと明るい。ライトでも持ってきたのだろうか。彼女は少し寒そうに肩をすくめている。寒いのなら待たなくてもいいのに。そんなことを思いながら小さく唸る。


「どうしよっかな」


 土日は必ずここへ来ると言ってしまった手前、浜辺まで行くのが道理だろう。しかし正直なところ、陽菜乃と自分との関係が結菜には理解できていなかった。学校では陽菜乃と関わることがほとんどないのだ。一昨日、一緒に昼食を食べた日から今日まで会話もなかった。


「んー……」


 行こうかどうしようか悩んでいると「あっ!」と浜辺の影が動いた。


「結菜! こっち!」


 結菜が気づいていないと思ったのだろう。彼女は大きく両手を振ってその場でジャンプした。


「……見つかってしまった」


 となれば、行くしかないだろう。結菜はため息を吐いて自転車を降りると砂浜へ向かった。


「結菜ってば、早く来てよ!」

「あー、はいはい」


 結菜は言いながら彼女の近くまで歩くとその足元に視線を落とした。そこにはレジャーシートが広げられてあった。その上には大きなバッグとキャンプに使うようなランタンが置かれている。


「座って?」


 言いながら彼女はレジャーシートの上に腰を下ろす。


「ランタン持ってきたの?」


 結菜は彼女の隣に座りながら聞いた。


「うん。だってここ、月がなかったら何も見えないし。それに灯りがあった方が結菜の顔がよく見えると思って」


 そう言って無邪気に笑う陽菜乃の顔を結菜はじっと見つめる。それに気づいた彼女は不思議そうに首を傾げた。それでも無言で彼女のことを見つめていると、やがて陽菜乃は「やっぱり」と視線を俯かせた。


「何か怒ってる?」

「何かって?」

「それは、わからないけど」


 彼女は言うと上目づかいで結菜の顔を見てくる。


「あの日から学校では目も合わせてくれなかったし」

「あの日って?」

「……だから、一昨日。一緒に昼食を食べた日。ご飯の途中で結菜、どっか行っちゃったしさ。わたし何か気に障ることでも言ったかな」


 沈んだ声で彼女は言った。結菜は彼女を見つめたまま「そういうわけじゃないけど」と息を吐く。


「ただ、よくわからなくて」

「何が?」

「速川さんのことが」

「……やっぱり、陽菜乃って呼んでくれないんだ?」


 顔を上げた彼女は悲しそうに微笑んだ。


「そっちだって、学校ではわたしのこと松岡さんって呼ぶでしょ」

「今は結菜って呼んでる」

「それがよくわかんないって言ってんだけど。何なの? 二重人格なの?」


 僅かに苛立ちながら結菜は問う。すると彼女は「そう、かもね」と小さく呟くように答えた。


「え、そうなの?」

「違うけど」

「怒るよ?」

「もう怒ってるじゃん」

「別に怒ってない。よくわからないだけ」


 結菜が言うと、彼女は「だって、呼んじゃダメなのかなと思って」と結菜の顔を見つめながら言った。結菜は眉を寄せる。


「何で?」

「学校で結菜のこと名前で呼んでるの、綾音だけでしょ? 一緒に行動してるのもご飯も、休憩時間のお喋りだって綾音とだけ」

「何言ってんの。そんなこと――」


 ない、と言いかけて結菜は首を傾げた。


「いや、たしかにそうかも?」


 元々、結菜は自ら他人と関わろうとする性格ではない。

 孤立しているわけではないが、他のクラスメイトたちと話すときは必ず綾音が間に入っているような気がする。挨拶くらいなら誰とでも交わすが、クラスメイトとの会話といえばそれくらいだ。


「だから学校ではあまり気安く話しかけられたくないのかなと思って」

「それはそっちでしょ」

「え……」


 陽菜乃は少しだけ目を見開いた。


「学校でのあんたは、なんていうか、こう」

「こう?」

「こう……」


 なんと言っていいのかわからない。良い言葉が見つからない。あの笑顔の違和感を言葉にするなら何だろう。

 しばらく考えてから結菜は「胡散臭い」と言った。


「え、なにそれ」


 陽菜乃は困惑したように眉を寄せた。やはり伝わらなかったようだ。結菜は「えーと」と言葉を探す。


「だから、学校でのあんたはここにいるときよりも不自然っていうか」

「不自然?」

「うん」


 結菜は頷いた。


「笑ってるのに笑ってない感じがする。距離があるというか……。ああ、そうだ! 壁だよ。見えないけど分厚い壁がある気がする」

「そう……」


 陽菜乃は頷くと「結菜にはわかっちゃうんだ?」と笑った。その笑顔は学校で見るような不自然なものではなく、本当の彼女の笑顔。心から嬉しそうな、そんな笑顔だった。

 結菜は困惑して眉を寄せる。


「なんで嬉しそうなの」

「んー。結菜はわたしのことわかってくれてるんだなぁと思って」

「いや、わかんないって言ってんのに」


 それでも陽菜乃は嬉しそうに笑った。しかしすぐにその笑みは沈んでいく。彼女は膝を抱えるようにしながら「わたしね」と呟くように言った。


「引越が多くてさ」

「転勤族? 親」

「んー、そうとも言えるし、違うとも言える」

「どっちだよ」


 結菜が言うと彼女はフフッと笑う。そして穏やかな真っ暗な海へ視線を向けた。


「早くて数ヶ月。長くて数年。物心つく前からそんな感じで引越を繰り返して、人と関わりたくなくなったの」


 結菜は海へ視線を向ける陽菜乃の横顔を見つめた。


「……ちょっと、よくわからなかった。引越が多いから人間が嫌になったってこと?」


 陽菜乃は横目で結菜を見ると「すぐお別れするでしょ」と言った。そして再び海へと視線を戻す。


「仲良くなっても、お互いのことを良く知ろうとしてもすぐにお別れ。それきりサヨナラ。しかも、いつだってわたしが誰かに――」


 ザッと波の音が一際大きく響いて彼女の声は掻き消されてしまった。

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