繋いだ手と花火

第9話

 翌朝、登校した結菜は机に頬杖をついて教室の後ろへと視線を向けていた。その先では陽菜乃が穏やかな表情でクラスメイトとお喋りをしている。彼女が結菜を気にしている様子は一切ない。まるで昨日のことなどなかったかのようだ。

 結菜は彼女を見つめながら「何か違うんだよなぁ」と呟いた。

 陽菜乃がクラスメイトに向ける笑顔は昨日の夜に見たものとは少し雰囲気が違っていた。どこか遠慮がちというか、一歩引いたような感じがするのだ。楽しそうにお喋りをしていても自分から積極的に話している様子ではない。

 そこに座っている陽菜乃はお淑やかで控えめ。そして愛想が良くて自分をあまり表に出していない、人見知りのような雰囲気。あの海で会った彼女とは別人のようにすら思えた。


「んー、やっぱ双子では……」


 そのとき「何が?」と頭上から声がした。頬杖をついたまま視線を上げると、綾音が自分の席に鞄を置きながら結菜を見下ろしていた。


「いや別に。おはよ、綾音」

「うん。おはよ」


 綾音は不思議そうに頷きながら椅子に座ると「そういえば、あんたさ」と結菜の机に腕を乗せた。


「昨日、カナエさんに怒られたでしょ」

「え、なんでわかんの」

「コレ」


 言いながら彼女はスマホの画面を結菜に見せた。着信履歴のようだ。そこにはカナエの名前がズラリと並んでいた。スクロールしてもカナエの名前が続いている。


「うーわ。こんなに仲良かったの? 綾音とおばさん」

「おい」


 綾音の低い声。結菜は笑って「綾音のとこに連絡いってたんだ? 昨日」とスマホの画面を見つめる。カナエからの着信は夕方から結菜が帰るまでの間に二十件ほど続いていた。


「鬼のように電話が鳴り続いてたんだけど」


 睨むように目を細めながら綾音は続ける。


「結菜が帰ってこない。まだ帰らない。探しに出た方がいいんじゃないか。挙げ句には警察に連絡するって、もう大変だったんだからね。どれだけ苦労して宥めたと思う?」


 結菜は「あー、それはそれは……」と誤魔化すように笑う。しかし綾音の視線は冷たい。どうやら笑って済ませることはできないようだ。結菜は勢いよく両手を合わせて「すみませんでした!」と机に額をつけた。


「スマホ、鞄に入れっぱにしててさぁ。まったく気づかなかったんだよ。おばさんからの電話」


 そして帰宅したときにカナエから散々泣かれながら怒られてしまった。


「まったく……。早く帰れって言われてたんでしょ。何してたのさ、連絡ひとつせずに。心配させんなっての」


 その声に顔を上げる。綾音は少しだけ眉を寄せて結菜のことを見ていた。結菜のことを心配しているような顔。けれど昨日の夜、連絡があったのはカナエからだけだ。綾音からは一件も連絡は入っていなかった。


「結菜?」


 結菜はハッと我に返るとヘラッと笑って「何ってこともないんだけど」と答える。


「また海?」

「まあ……」


 綾音は呆れたように「懲りないね、あんたも」とため息を吐く。結菜は「いや、昨日は不可抗力というか」と椅子の背にもたれた。


「不可抗力?」

「そう。早く帰ろうとは思ってたんだけど」

「なんで早く帰らなかったの」

「それは……」

「それは?」

「内緒」


 結菜は笑みを浮かべて小首を傾げた。瞬間、綾音は「うわ」と舌打ちをする。


「イラッとする。朝からめっちゃイラッとする」


 結菜は笑ってから「それよりさぁ」と陽菜乃の方へ視線を向けた。


「あの転校生、どう思う?」

「いや、そんな軽く流すなよ。理由を言えよ。てか、なに。また転校生?」

「うん。どう思う?」

「どうって、美人で頭が良さそうで性格が良さそうですでに学年人気の上位に躍り出てそう」

「え、なにそれ」

「クラスの皆の意見。集約版」


 綾音は言いながら陽菜乃に視線を向ける。


「ま、わたしは昨日の挨拶程度しか話したことないからよくわかんないけど。あんま興味もないし」

「そっか」

「気になるなら話しかければいいじゃん」

「いや、それは」


 どうなのだろう。彼女は学校ではダメなのだと言っていた。夜の海で会ったときだけ話したい。そういう意味のようにもとれた。けれど、もしそうだとしてもその理由がよくわからなくてモヤモヤする。いや、それはまた海で会ったときに聞けばいいことかもしれない。あの様子だとまた週末には海に来るのだろうから。

 そんなことを考えていると「ねえ、速川さん」と突然、綾音が陽菜乃に話しかけた。


「は? ちょ、綾音?」


 結菜は綾音に手を伸ばすが、彼女はそれを無視して立ち上がった。そして陽菜乃の元へ向かうと彼女の机に手をついて陽菜乃を覗き込むように腰を屈める。


「もしよかったらさ、今日のお昼はうちらと一緒に食べない?」

「え、一緒に?」


 驚いたような陽菜乃の声。綾音は頷く。


「なんか、うちの子が速川さんとご飯食べたいって希望するもんだからさ。あ、もうミチたちと食べるって決めてるんだったら別にいいんだけど」


 言いながら綾音は結菜へ視線を向けた。結菜は慌てて「いやいやいや!」と立ち上がる。


「わたしは別に――」

「うん。別にいいよ?」

「お、マジ? ミチたちもいいの?」


 綾音はミチこと、大貫おおぬき美智惠みちえにも訊ねた。彼女は笑いながら「いいも悪いも、どこで食べるのも自由でしょ」と頷く。


「でも珍しいね。綾音が松岡さん以外の人とも一緒にご飯食べるなんて」

「まー、うちの子たってのお願いだからねえ」

「うちの子って、なによそれ。ほんと仲良いよね。綾音と松岡さん」


 ミチは笑うと「今度うちらとも一緒にご飯食べようよ」と続けた。


「んー。でもミチたち、いつも学食だからなぁ」

「だから、綾音たちが学食行くときに」

「ま、気が向いたらね」

「ツレないなぁ」


 ミチはふて腐れたような表情を浮かべたがすぐに「まあ、松岡さんはいつもお弁当だから仕方ないか」と笑った。綾音も笑って「じゃ、速川さん。お昼よろしくね」と手を振って席に戻ってくる。陽菜乃は頷き、そして結菜に視線を向けてきた。少し困惑したような表情。結菜は誤魔化すように彼女に笑みを向けてから、席に戻ってきた綾音を睨みつけた。


「何してんの、あんたは」

「何が?」


 きょとんとした表情で綾音は自分の席に座る。


「誰がいつそんなことを希望したんだよ」

「えー、あんたが転校生気にしてたから誘ったのに」

「だから、なんでそうなるんだって」

「面倒くさいんだもん。気になるなら直接話した方が早いでしょ。どんな子なのかすぐわかるだろうし」

「……綾音ってさぁ」


 結菜はため息を吐きながら綾音を見つめた。彼女は「なに」と眉を寄せる。

 綾音はいつもこうだ。悩むくらいなら行動する。そんな性格なのだ。

 勉強もそこそこできて運動神経もいい。カラッとした性格で裏表もないし、見た目だってボーイッシュな雰囲気で可愛い。男女問わず人気があることは結菜だって知っている。友人だって多いのだ。彼女は自分とはまるで逆の人間。そう結菜は理解している。


「なに、そんなにわたしのこと見つめて。さては惚れたか?」

「バカなの?」

「あんたよりは頭も顔もいいと思ってるけど?」


 得意げな表情で言って彼女は黒板の方を向く。そのとき始業のチャイムが鳴り、タイミングを見計らったかのように担任が教室に入ってきた。結菜はため息を吐きながら「バカでしょ」と呟く。

 きっと綾音は結菜がそばにいないほうがもっと充実した高校生活を送れるはずなのだ。彼女だってそうしたいと思っているはず。最近、彼女と距離があるように思うのはきっと綾音にその想いがあるからだ。それなのにこうして結菜と一緒にいてくれるのは同情心が残っているからに違いない。


 ――もう、いいのに。


 綾音は優しいから結菜が言わない限り、いつまでもそばにいてくれるのだろう。そんな彼女の優しさに甘えて結菜はいつまでも綾音を縛っている。もう彼女を解放してあげたいと思う自分のすぐ隣には、綾音のことを縛りつけて離したくないと思う自分がいる。


 ――バカなのは、わたしか。


 そんなことをしたところで自分の気持ちが満たされるわけもないのに。


「速川」

「はい」


 出席点呼に返事をする陽菜乃の声に結菜は振り返った。そのとき、陽菜乃と目が合ってしまった。慌てて視線を逸らそうとした瞬間、彼女は嬉しそうな笑みを結菜に向けてきた。それは昨日の夜に見たようなキラキラとした笑み。思わずドキッとしてしまい、結菜は視線を逸らす。


「――岡」

「結菜? 呼ばれてるけど」


 綾音が振り返る。


「へ?」

「松岡」

「あ、はい! います!」


 思わず声がひっくり返ってしまった。教室にクスクスと笑い声が響く。


「いますって何よ。見りゃわかるっての」


 綾音がからかうような笑みを浮かべて言う。


「うっさいな」


 結菜は綾音を睨むと頬杖をついて窓の外へ視線を向けた。そして密かにため息を吐く。

 なんだか気持ちがグシャグシャしているのは陽菜乃のせいだろうか。それとも綾音の態度が最近少しおかしいからか。あるいは、もうすぐまたあの日がやってくるからだろうか。


 ――大丈夫。もう、大丈夫。


 窓の向こうに広がる秋空を見上げながら結菜は自分に言い聞かせる。

 もう自分は子供ではないのだから、大丈夫。

 もう大切な人たちを不幸にしないためにどうすればいいのか理解しているのだから、大丈夫。


「――大丈夫」


 思わず口の中で呟く。そのとき綾音の肩がピクリと動いたような気がした。聞こえてしまっただろうか。思った瞬間、日直が号令ををかけて全員が起立する。綾音がこちらを振り向くことはなかった。

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