第31話 糸切りバサミ
大気中の水分が、まるでベールの様に漂い空を覆いはじめる。それらは所々で渦を巻きながら吸い上げられ、やがて巨大な氷石となり地に降り注いだ。
落下を阻止すべく、ロックイーターやゴーレムによる投石や魔獣どもの火焰が飛び交い、ヒト族やエルフ族による焔系の魔法も放たれるが、高密度の巨氷の前にそれらはほぼ無力であった。
瞬時、防御魔法の展開がそこかしこのパーティーで行われたが、詠唱が間に合わない、または高次元展開の成せないパーティーから怒号と悲鳴が上がる。
地表からの健気けなげな奮闘も空しく氷石が地面に到達すると、凄まじい衝撃と共に粉々に砕け破片は氷の刃やいばと化した。それはいやらしい事に、繊細な硝子細工を落としてしまった時の様に細かく、そして鋭かった。
衝突の際に押し潰された者はまだ幸せと言えるだろう。辛うじて直撃を免れた者や、離れた所にいた者達はそれを避ける事は出来ずにそこいら中で藻掻き苦しんでいた。脚が尻の皮で辛うじてつながっている者、腕の千切れた者や、腹の柔らかな肉を引き裂かれ、臓物を引きずりながら呻き彷徨う者など様々居たが、そのどれもが手当てなど間に合わずゆっくりと絶命していった。
不幸にも生き残ってしまった者達もいるのだが、大抵が「首・だ・け・になった彼氏に話しかけるエルフ」「意中の者の腸はらわたを必死にかき集める屈強な剣士」「落ちている腕に回復魔法を唱え続ける魔法使い」など、まともな精神こころのあり処を失った者達ばかりであった。
・・・生・き・て・は・い・る・が・、といったところか。
連れを失った魔獣達が亡骸の傍で遠吠えを上げるのが聞こえる。その声は悲しみに満ち、切なく、か細い。
このところ、各地で戦闘が頻繁に起こっていた。それは例えば村の奪還であったり、引くに引けない名誉の為にだったり、種族間の戦であったり・・・。
戦自体はなにもめずらしい事では無い。ただこの各地の争いが、ほぼ同時に始まって、そのどれもが誰・か・始・め・た・の・か・分・か・ら・な・い・という共通点があったのだが、誰も気付かず、誰も気にしない。この惨劇もまた、そのうちの小さな1つにすぎなかった。
「大丈夫か?!」
「ああ!!わけないわ!」
魔獣の悲声がこだまする、割と大きな氷石の落ちた辺りからやや離れた小高い丘に、二本の巨大な斧が逆さまに突き立っている。
一方はコウモリの羽のような、両端が鋭く内側へ反り返る造りの漆黒の斧で、もう一方は満月の様に白銀の丸い斧であった。・・・二つの斧を合わせ空高く掲げると黒き英雄が現れる、とかなんとか・・・。
そこから様子を窺いながらひょこっと顔を出したのは、ドワーフの兄弟“シグとギグ”だった。自分の体よりも大きな斧を盾として氷刃をしのぎきったようだ。
「フン!敵も見方もあったもんじゃない!!こいつは赤子の食い散らかしたテーブルの上か?」
「たしかに。朝を迎えた酒場でも、もう少し綺麗だな」
眼下に累々と転がる二本足や四本足の肉片を、やり場のない怒りと苛立ちを含んだイヤミでそう例えた。
「まったく訳がわからん!今の魔法は何なのだ?!エルフの奴らではきっとないな?!あの技はまるで神か魔人の領域ではないか!この有様は何だ!!いったい誰の為の、何の戦いなのだ!!巻き込まれたとはいえ大義のない戦いくさは無益!!」
突き立てた斧を背負い直すと、改めて眼下に広がるこの惨状に苛立ちを覚え、それをぶつけるように足下のカブトを蹴飛ばした。
「ギグよ。今は仕方なかろうよ・・・。二度目の転生から目覚めてみれば、いきなり戦火の只中ときた。せめて降りかかる火の粉は払わねば。訳も分からず殺される雄鶏だけは勘弁だ」
シグも斧を手にし、ふと気配に目をやると、気が触れて視点の定まらぬエルフ族の女がユラリ、ユラリと近づいて来た。衣服は所々が裂け、右の乳が露出していた。片耳が千切れてそこから血がとめどなく流れている。口は半開きで、血の混じったよだれが糸を引いて乳首へと垂れていた。
瞬間、血走った眼の焦点はシグを捉え、噛みつかんばかりに襲いかかって来たが、白銀の丸い斧を軽く振るうと、飛びかかった女の右乳と腕がふわりと空くうを舞った。
「ガハハハッ!!やはり魔法に頼り切っていて肉体の鍛錬がおろそかな種族だ!フン!エルフごときが俺達に襲い掛かるなどおこがましいわ!!」
ギグが高らかに笑うが、切り捨てた当の本人は苦い顔で視線を逸らしていた。
自分達が一番優れていて、他種族は一律に格下だと考えているのは、ドワーフに限った事ではない。ご・と・き・と言われたエルフからしてみればド・ワ・ー・フ・ご・と・き・なのだ。ただそれは、ライバル意識の裏返しで、実のところ文化や伝統といった類いは、互いに認めざるを得ないものがあったからだ。巨人族もまた然り。
唯一例外なのが、ヒト族であった。彼等からしてみれば短命、浅い歴史、魔力も、知力も腕力も全てにおいて劣る種族など家畜や野の獣と同列と考えられていた。
「・・・命の糸という物は・・・簡単に切れるものだな」
伏せていた視線を再び戦場へと向ける。つい先ほど、あれだけの攻撃を受けても、気を取り戻した奴らが戦闘を始めている。魔獣どもは種の危機感からメ・ス・を犯し狂っている。いくら猛り立つものを乱暴に振るい、精子が溢れ出しても尚注ぎ込んだところで子など出来るはずもないのに・・・。
硝煙と血の臭い、喧騒と炸裂音とが精神こころをささがきの様に削っていく。
・・・あれ程、戦闘に心踊っていた自分が今は自分では無い気がしてならない。
「ならば俺達は糸切りバサミよ!
・・・何だ?随分と弱気ななまくらバサミだな!!それが“白銀の月”と呼ばれる猛者の言葉とは、とても思えん。どれ!研いでやろうか?」
冗談で髭でも引っぱってやろうかと、シグへと近づく。頭上を小型ワイバーンやら石やら魔法弾やらが飛び交っていて賑やかだ。
流れ玉の火焰球を、黒・い・コ・ウ・モ・リ・で弾き飛ばすと、その辺にいた巨人族が数人燃やされ叫び声をあげ、こちらも賑やかになった。
「・・・ギグよ。死を恐れるのは下等な種族だ、という考えは捨てろ。俺達ドワーフにも死は等しく訪れる。転生によって魂は繋がるが、だがそれは器が在っての話だ。それに、ハサミもいつかは・・・なぁ、お前は嫌がるがいい加減、俺の魔法を受けろ!」
「フン。女神に会った、とか何だとかの眉唾エルフの技か・・・。転生の為に城に戻り、久しぶりに会ってみればエルフの弟子になりました、ついでに魔法が使えるぜ、ときたもんだ。まったくつまらん話よ!糞フンについてのう・ん・ち・く・を聞かされているようだった!
・・・シグよ。お前以上に尊敬と信頼出来る男はおらん。だのに、何故エルフごときに?」
シグはしばらく黙っていた。
再び口を開くまでの間、ヒト族にしては大柄な体躯の剣士が襲いかかって来たが、ハエでも払うかのように容易く切り捨てる。手足がピクピクと動いているのを、潰された虫でも見る様に眺めていた。
「・・・初めての転生の後、そう・・・五百年ほど前だったか。そこでお前と別れ、二度ほど大きな戦に出向いてな・・・」
脱皮がうまくいかなかった蝉を見つめる様に、剣士が動かなくなるのを見届けてからようやく、重い口を開いた。
RUIRIN 涙鱗 ~竜飼いのオッサンは女神の涙を見られるのか~ @kadononai
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