第10話 男の娘とTSを一緒くたに語るな
「夏だ! 海だ! プライベートビーチだ!」
「突然どうしたんだ健太、大声出して」
「声に出して読みたい日本語のランキングで結構上位に来ると思うんだよな。まず日常で言わないしむしろ一生で言う機会なんてあるかどうか」
「いや、そんな別に思わないなあ」
「まじかよ……」
俺と颯人は藤原の実家である本州から離れた島に来ていた。一応東京都らしいが外からは勿論、衛星にもマップにも載っていない島なので正体不明である。どうしてそうなっているのかと言われても、金持ちの思考はよく分からんということである。俺に説明を求めても困るということだ。
というか、ここまで来るのにあまりにも現実離れした移動方法だった為未だに混乱している。
空間と空間を繋ぐゲートを通ってここまで来た。一般化されていない最新の技術は凄いな。
東雲達他メンバーは既に到着しているとのことで、今はゲストハウスにいるみたいだ。
藤原に荷物はゲストハウスにと言われたし早速、ゲストハウスに向かうことにしよう。
ゲストハウスに辿り着くと先に到着していたメンバーがいた。あの後ろ姿は間違いなく夢咲だ。あとは九十九、時雨先輩、生徒会メンバー、如月……如月⁉︎ なんで如月がいるんだ。藤原はどうやって説得したんだ。
というか東雲はどこにいるんだ?
「可愛いー! 何て名前なの⁉︎」
夢咲が興奮している。名前を聞いているということは誰かそこにいるのか。皆に囲まれていてよく見えない。
「あ、えっと……その……」
この場合逆ナン? いや何と言えば良いんだ? とにかく相手が困っている。俺が少し助太刀して包囲網を解かないとな。
「夢咲ー。その子困っている……ぞ……?」
「え?」
「郁……」
夢咲に絡まれていたのは我が妹だった。
「兄さん……」
「何でお前が⁉︎」
頭がクラクラする。どういう理由でここにいるんだ。
「よ、呼ばれたからに決まってる!」
あいつ妹にも声を掛けていたのか。
「へ〜郁ちゃんって言うんだ。よろしくね! てか高橋の妹?」
「そうだよ」
「同じ家系とは思えない可愛さだぁ」
「それ両親の事バカにしてるのと一緒だからな」
「あははごめんごめん冗談。高橋もかわいいよ」
「かわいい、かよ!」
そこは嘘でも格好良いとか言ってくれても良いじゃないか。
「で、何で呼ばれたんだ?」
「えっと……藤原さんが家に来て勉強合宿やるからよかったら来ないかって」
だからあの時夏期講習かって聞いた時に「そう」ではなく「そんなところ」って答えたのか。確かにここで学べるなら飛躍的に成長するかもしれない。
「なるほど……ってちょっと待て。いつから藤原と知り合いに?」
「この前駅の階段で転びそうになった時に助けてもらってその時に」
思わず右手で頭を抱える。あの主人公野郎は妹にまで手を出してーーって別に良いじゃねえか。望んでいたことだろ。というか都合良すぎじゃねえか。なんなんだあいつ。どこにでもいるな。
「な、なるほどな……」
「私も同じ。勉強合宿と聞いたからやってきた」
ここで如月が入ってきた。ああ、上手く釣られたな。如月ってもしかして思ったより単純なのでは? お兄さんちょっと心配。
「藤原のことはライバルじゃねえのか?」
「彼本人に聞くのは
「そういう理屈か」
ま、確かに教える人がいたとしたら満点取る秘訣を言うかもしれない。……俺は知っているんですけどね。常人には不可能なやり口であいつはやり遂げている。
「えっと、おはようございます先輩」
「おはよ後輩くん」
どこか元気ないな先輩。いや、この前のことがあったのだから当たり前だろう。後輩くんのままだし。
「集まったのはこれだけっすか?」
「他にも数人いるよ。楽しみだね」
全然楽しくなさそうに見える。俺いない方が良いのかもと思ってしまう。
「あ、はい」
その後生徒会メンバーとも挨拶をし、荷物を預けた。
「皆様お待たせいたしました。此度はお越しいただきましてありがとうございます。私、
ゲストハウスの入口に行くと綺麗な人がいた。メイドの格好、本物だよな。本物のメイドなんて初めて見た。フィクションに出てくる下品な格好じゃなくてガチなやつ。さすが金持ちだな。それにしても透明感、艶があって美しい人だ。髪は氷を思わせる水色で切れ長の目。思わず見惚れてしまうその人の名字はどこか聞き覚えがあった。
「ん? 縁……?」
「げっ……」
先輩が小さく漏らす。先輩も縁だ。まさか、血縁関係があるとでも。
「ところで、時雨。何故あなたはそちらにいるのですか」
「ああもう! そうやって一々空気を読まずに突っ込んでくるからいつまで経っても行き遅れなんだよ伯母さん!」
今までに見たことのない先輩がそこにいた。めちゃくちゃ怒っている。
「お、おば……ごほん、失礼いたしました。では、ご案内しますのでこちらへ」
一瞬、氷雨さんは取り乱したがすぐに整え続けた。さすがプロだな。
「先輩……あの人家族なんですよね」
「……そう。私の母の姉。もうバレたから仕方ないけど、私の一族はこの島の従者。私はそのつもりはないんだけど、あの人が結婚しないから今のままだと私が継ぐことになっている」
あの時進路が確定しているというのはこの事だったのか。先輩は凄く嫌そうな顔をしている。本当は継ぎたくないんだろうな。縁という名字を嫌がっているのもそれが原因か。
藤原の事をよく知っているのも合点がいった。これだけ間近で見ていたら俺以上に詳しいわけだ。
「嫌、なんですね」
「ええ。早くあの人が結婚して子どもを産んでくれたらそれで解決できるんだけど。もう四十超えてるし望みは薄い」
「え、四十……? 全然見えなかった」
冷静に考えてみればそうだ。高三の先輩の伯母であるならばどれだけ若くても三十代後半くらいの計算になる。聞かなければまだ二十代にしか見えなかった。
「縁の血は長生きだからね。
曾祖父さんともなると少なく見積もっても八十を超えているだろう。それが現役。執事の仕事は大変なはず。俺には到底理解できない世界だ。
「こちらが龍司様の別宅となります」
これまた大きい一戸建てだ。島が大きいからか普通サイズに見える。それにしても子ども専用の家があるとは次元が違うな。ところで気になったことがある。
「別宅?」
「普段は都内で一人暮らししてるんだ」
家から藤原が出てきた。ゲストハウスに向かうまでさっきまで一緒にいたのにいつの間に。片付けでもしていたのだろうか。
一人暮らしだけど昼食は親が作った弁当を持ってきているんだよな。もしかして持ってきてもらっているのか? だとしたら親の愛が強いというかなんというか。
「氷雨さん案内ありがとう。ここからは俺がやるよ」
「かしこまりました。それでは失礼いたします」
深めの御辞儀をされる。凄くもてなされているのを実感する。
「よし。勉強したいものはここでやると良い。期間中は特別に講師を招いておいた。遊びたいやつは俺に付いてこい」
本当に藤原は遊ぶ気満々なんだな。
勉強で残ることになったのは郁と如月だけだった。そりゃ皆遊び目的で来ているしな。颯人と九十九は藤原を無視して遊びに行ってしまった。別に自由らしいので放っておくか。
俺も遊ぼう。勉強はまた後で。
「っと、その前にトイレ行かせてくれ」
「良いぞ」
藤原に家を案内される。トイレくらい一人で行けると思っていたが広すぎる。どこにあるんだ。
「入ってすぐ右手だ」
と思ったらすぐ近くにあった。変に迷わないようにしてくれたんだな。助かる。
「ん? この写真は」
玄関先に写真立てがあった。そこには藤原を挟んで二人の男女がいる。一人は藤原に良く似ている男で右頬に十字傷が入っている。兄弟だろうか。でも一人っ子って聞いているし誰だ。めちゃくちゃ若い。もう一人は眩しすぎて見えないほどの絶世の美女。絵からまるで飛び出してきたかのような女性だ。
「家族写真だ」
「家族……てことは」
「ああ。父と母だ」
これがあの噂に聞く藤原の両親。いやいや待て。年齢を考えろ。
「どう見ても高校生にしか見えないんだが」
確かに年齢不詳で未だに制服着ても違和感ないとは聞いていたけどこんなだとは知らなかったぞ。
「そうだな。二人の体年齢は高校生で止まっている」
「……は?」
ごめん、今こいつ何か変なこと言わなかったか。
「聞こえなかったか?」
「いや聞こえたけど。どう考えてもおかしいだろ! そんな出鱈目な話が」
「あるよ。健太、君の見えている世界が全てじゃない。
その話は凡人の俺には理解しえない類いのものなのだろう。もう考えるのはやめだ。聞きたくない。
それにしても母がこれだけの美人で体が高校生ともなるとそりゃ藤原は学校の女子に靡くわけないよな。
「そうかい……ちなみに二人は今どこに?」
「今は仕事しながら遊んでいるよ」
「う、羨ましい……」
「そうだな。俺達は恵まれている」
恵まれているという自覚はあるのか。いや、でも待てよ。その恵まれているやつに誘われた俺もまた同じだよな。普通の人生歩んでいたらこんな経験はあり得ない。俺も十分に恵まれている。
「そっか」
トイレを済ませてついでに気持ちも流してきた。仕切り直しといこう。
「おまたせ。行こう藤原」
「ああ、行こうか」
ビーチに着くと東雲がいた。東雲だけではなくあのギャルズの二人もいる。
「あの二人って……」
「今取り合い中」
夢咲が割り込んできた。取り合いってまさか東雲を巡って? この前のカラオケで縁は切れたかと思っていたけど続いていたのか。
「実はあの二人の彼氏が同一人物でね」
「……ん? つまり、男が二股してたってこと?」
急に生々しい話になってきたな。
「そ。で、修羅場ってるところにたまたま通りすがったところをって感じ。あたし現場にいないから詳しいことは知らんよ」
経緯は分からないが東雲がそんなことになっていたとは。最近見かけない理由はそれか。
「やるな……てか別れたのか?」
「もち。誠実さの欠片のない屑だって分かった瞬間二人ともバッサリ」
そりゃそうだよな。二股ってのは現実では上手くいかないものだ。その男もバカをやったな。
けど今度は東雲か。どちらかなんて彼に選べるのだろうか。そもそもどちらか以外にもなりそうなんだが、最近彼と話せていない為どうなるか分からない。
「あれが最近図書館に行けない理由」
先輩が三人を指差して言った。
「なるほど?」
「図書館でいちゃつくからどうにもね」
「司書は注意とかしないのか」
「見て見ぬフリをしてるからだめかな」
だから図書館がだめなのか。どういう経緯があったかは分からないがあのいちゃつきよう、顔とか抜きで割とマジで惚れているくさいな。
「はるーオイル塗ってー」
「あたしには日焼け止めね!」
二股されて嫌だったはずなのに二人とも同じ相手を好きになるとはまた厳しい世界だな。
「わ、分かったから落ち着いて……」
羨ま……いやけしからんな。ずっと見ていたら鼻血が出そうだ。水着ギャルの破壊力は凄まじい。あいつよく耐えられているな。
「とりあえず、私たちも着替えて遊ぼうよ」
「そだね。じゃ、またあとで」
「おう」
皆それぞれ個室の更衣室が割り当てられていた。配慮の塊か?
着替えて外に出ると生徒会メンバーが既に遊んでいた。その中で片瀬は一人海を眺めている。
「よっ」
「あ、先輩。どうかしましたか?」
「いや、何か輪に入ってないなって思って」
「自分はこれで良いんですよ」
ラッシュガードも身につけているし泳ぐ気はないのかな。
折角めちゃくちゃ綺麗な海なのに勿体無い気もする。
「そっか。じゃ俺は泳ぐぜ」
水温が丁度良い。海も透き通っている。本州じゃこれは見られないな。
危なくない程度に泳いでいると小学生の頃を思い出す。
「あの時は元気だったなあ」
あの頃は無邪気に泳いでいたが今はもうあんまりできそうにない。怖さもある。
けど、怖さよりも楽しいという気持ちが上回る。
「片瀬も来いよー!」
思わず叫んでしまったが女子を呼ぶってのもなんかちょっと気恥ずかしい。
「……少しだけなら」
彼女はラッシュガードを脱いだ。
「ぃっ⁉︎」
すると上半身が露わになる。
「どうかしましたか?」
「ちょ、ちょちょちょ待て。上はどうした上は」
思わず目を逸らすが片瀬は気にしていない。
「上って何言ってるんですか?」
「いや普通隠すだろ痴女かよ!」
「……? もしかして先輩自分のこと女子だと思ってます?」
「へ?」
「自分男ですよ」
「嘘だろ⁉︎」
どう見ても女子だっただろ! 声も骨格も……ってよく見ると下の方が少し膨らんでいるのが見える。あ、はい。
「嘘じゃなかった」
だからあの時そういう趣味はないって言ったのか。
これは所謂男の娘というやつじゃな。性格的に全然違うけど。見た目女子の性格ばりばり男だ。逆にこういうのが好みの人もいるのかもしれないが、俺にもそういう趣味はねえ!
よくよく考えると伊織って最近女子に多く付けられるようになっているが元々は男に付けられる名前だった。危ねえ、勘違いで暴走するところだった。
が、片瀬が男であることが判明したのでこれでもう遠慮なんていらないよな。
「なんなら直接確かめてみます?」
片瀬はパンツに手をかける。
「はいストーップ!」
片瀬ってもしかして変態か?
「冗談ですよ。じゃ、泳ぎましょう」
冗談に聞こえないのが困る。
「お、おう」
こんな男の娘嫌すぎる。
ひとしきり泳ぐと疲れたので休むことにした。片瀬も満足していたみたいだ。
「おーい」
休んでいると声をかけられる。聞き慣れない女性の声だ。他に誰かいたのか。
「すまないがオイル塗ってもらえると助かる」
パラソルの下にいたのはサングラスをかけた黒のショートヘアの女性だった。何がとは言わないが色々でかい。これが大人の魅力というやつか。水着も黒でしっかりと決めている。この島の住民なのだろうか。
それにしても俺が塗って良いのだろうか。なんという魅力的な誘い。いかんいかん、俺には如月がいる。
「なんだ、塗ってくれないのか?」
「いや、塗ります塗ります塗らせてください!」
くっ、煩悩には抗えない。良いだろ、こんなの一生に一度も経験できないのかもしれないんだぞ。
「なんで敬語なんだ?」
そりゃ敬語にもなりますよ。
「まあ良い。頼む」
「お、押忍」
指先が彼女の背中に触れるとその柔肌の感触が伝わってくる。女性の体ってこんなんなんだ。背中でこれなら腕とかどうなんだ。
「ぎこちないな。もっとスムーズに頼む」
緊張して上手くできないんだよ!
それにしても本当に良いのだろうか。見知らぬ誰かにこんなことして。他のメンバーに見られたら何を思われるか。
ちらりと向こう側を見ると生徒会はビーチバレーに夢中になっていた。助かった。
「塗りましたよ」
「なら前も頼もうか」
「いやいやいや、前は自分で」
流石にそれは無理!
「そうか、健太には刺激が強すぎたか」
「……? なんで俺の名前を」
今この島にいる中で俺を名前で呼ぶのは二人しかいない。颯人と藤原だけだ。
何か、嫌な予感がする。
「なんでって、君も良く知っているはずだ」
「待て。それ以上言うな」
脳がおかしくなる。目の前にいるのは確かに女性だ。だがこの話し方、名前呼び。どう考えてもあいつしかいない。
「藤原なわけないよな」
「そうだが?」
即答される。
嘘だろ、じゃあ俺、藤原にオイル塗っていたのか? まじかよ……。
「お、俺の純情を弄びやがって……」
「はは、まあ気にするな。私は今完全な女性の状態だから」
「ど、どういうことだ?」
「簡単に言えば性転換している」
「性転換を気軽にすな!」
てことはトランスセクシャル、所謂TSってやつに分類されるな。いや、正確にはTSFか。おいおいおい、この島に来てから色々とおかしいぞ。親の体は高校生で男の娘がいてこいつはTSと来た。急にこんな属性てんこ盛りにお出しされても俺の脳内処理が追いつかないんだよ!
「私の家系は気軽に性転換するぞ」
つまりあの両親も入れ替わるってこと? なにそれ怖い。俺、島に来たつもりが異世界もしくは世界線超えましたかね。
「も、もう良い。腹一杯だ。で、なして女性になってるんだよ」
「その方が映えるだろう?」
「誰に向けてだよ」
「ともかく、女性の体は堪能できたかね」
「いやらしい言い方すんな! ったく、藤原がこんなやつだとは」
「だが楽しいだろう?」
「ああ、おかげさまでな‼︎」
ほんの少し、俺は藤原に怒った。が、これだけの舞台を整えてくれた藤原には感謝している。複雑だ。その相反する二つの感情を吐き出した。
「ちなみに、いつまでその状態なんだ」
「今だけだよ。さて、戻るか」
つまり俺を弄ぶ為だけにしたのか。こいつ……。
「その水着で男に戻るのは流石にキツいので着替えてからにしてほしい」
「む、そうか。確かにな」
こいつ自分の土地だからって遠慮なしかよ。実際今彼が元に戻った時の姿を想像したら吐きそうになった。
女性の藤原が更衣室に入り、出てきたのは男性の藤原だった。まじで気軽に性転換しているんだな。恐れ入った。
にしても藤原の肉体美が世界に伝わってしまう。190センチを超える長身な上に腹筋はバキバキに割れていて漢の中の漢だと言わざるを得ない。さっきのを無視すれば、だが。
「龍司遅い〜!」
バレーをしていた夢咲がやってきた。思ったより可愛い系の水着を付けている。最近の水着デザインは色々あるんだなあ。
「待たせてしまったな」
「夢咲、それ似合ってるな」
思わず口に出てしまった。
「ん? ああありがとね」
けど塩対応をされる。
「うむ、似合っている。良いチョイスをしたな」
「本当⁉︎ 嬉しー! ありがとー!」
この反応の差よ。これが現実だ。
落胆していると背中を突かれる。
「ひょわっ⁉︎」
「凄い情けない声」
「せ、先輩……ってぶっ⁉︎」
先輩の格好に思わず吹き出してしまった。
「やっぱりおかしいよねこれ」
その格好は明らかに泳ぐようではないメイドビキニ。実在していたのか……!
「ソ、ソンナコトハナイデスケド」
「カタコトになってるし……」
「い、いや! でも可愛いっすよ!」
けどなんだろう、この格好ってコスプレの領域だ。確かに縁は従者だからメイドってのは問題ないんだけど、こんな下品ではなかったし彼女の言い方から察するに誰かの入知恵だよな。
「そ? 別に嬉しくはないんだけどね……なんか段々恥ずかしくなってきたし」
ですよね。自分で選んだならともかく着せられているようじゃその反応もやむなし。
「な、なら……」
俺が着ていたパーカーを渡す。
「これならある程度緩和されるんじゃないすかね」
「ありがと……」
ここまでしおらしい先輩は初めてだ。いつも冗談混じりにやってくる癖にこういう時は顔真っ赤にしているから俺の心も掻き乱される。
「で、誰に着ろと?」
「藤原くんだけど……」
「ま・た・あ・い・つ・か!」
藤原は俺に一体何を求めているんだ。そりゃこの光景を見られるのは男子としては嬉しいかもしれないけどさ。先輩の気持ちも考えろよ。
ああ、でも将来的には先輩が藤原の執事になるのか。こんなの逆らえるわけがない。
「こうすれば君が喜ぶって言ってたんだけどね」
「まあ……そうすけど」
何で藤原はこんなにも俺に気を使う? 思えばここに来ることもここに来てからも全部俺の為に動いているのではないかと勘繰ってしまう。あいつの行動原理がまるで分からない。
「……やっぱり恥ずかしいから普通のにしてくるね」
先輩はそうやってこの場から離れた。
「ふぅ」
一気にイベントが発生したので一息つく。うち二つは男絡みだったわけだが、あの虚無の日々を比べるとましになったのかもな。
時間を見るとまだお昼にすらなっていなかった。ただ、喉が渇いたな。
更衣室付近に海の家らしき建物があったのを思い出し、そこに行ってみることにした。
海の家に着くと当然プライベートビーチなので利用客は誰もいない。海の家貸切なんて贅沢だな。海の家は基本的にシーズン中にしか無く、そのシーズン中は客で大盛り上がりだ。ところで、海の家って毎回建て直しているんだよな。毎年出しているところはさぞかし儲かっていらっしゃるのでしょうな。
店番もおらず、厨房に“ご自由にお使いください”というメモ書きが貼られている。天井付近を見るとカメラが設置されておりセキュリティの方はしっかりしているみたいだ。尤も、この島に訪れている人はごく僅かで顔も名前も割れている。この島は盗人が入る余地もないが、念の為、といったところか。抜け目がない。
冷蔵庫を開けると様々な食材が入っていた。珍しい南国の果物もある。折角だしこれを使ってトロピカルなジュースでも作るか。
調理器具もどれも一級品が揃っている。喉から手が出るほどに欲しい電動調理器具が使えるなんて藤原様様だな。
ジューサーを使って抽出していると颯人と九十九がやってきた。二人とも水着姿になっている。バカップルみたいに色合わせしている。
「大将、やってる?」
「大将じゃねえよ。店もやるつもりはない。が、なんか飲むか食うか?」
「折角だし今作ってるやつ俺達にも分けてくれ」
「分かった。九十九も良いんだよな?」
「良いよ」
今思ったけど九十九と初めてまともに話をしたような気がする。
どうせなら二人分のグラスがあるしカップル用のハートのストローもあるからこれをあげるか。こんなものも用意しているとはな。ちょっと痒いところに手が届きすぎるぞ。
「おまたせ。味は保証しないぞ」
「うはっ、お前まじでか」
颯人はハートのストローを見て驚いている。一方、九十九はサムズアップしてきた。
「高橋、分かってるね。それじゃ颯人、一緒に飲もうよ」
九十九に褒められるとは思わなかった。俺は男だし颯人に近付く泥棒猫とは思っていないのだろう。ある程度の距離は縮められそうだ。
「健太の前だと恥ずかしいが、ええい」
俺はカウンター越しに頬杖をつきながらそのバカップルを眺めていた。既に色んな経験を積んでいると思っていたけど思ったより颯人って奥手なのかもしれないな。九十九はグイグイ迫っていて見ていて飽きない。
自分の分もできたのであれを見ながら水分補給をした。あー彼女良いな。欲しいな。なんて、馬鹿げたことを考えながら自分の作ったジュースを堪能した。
「そういや、昼はどうするんだっけ」
「案内なかったよね」
二人とも飲み切ると俺に聞いてきた。
「君達聞く前に遊びに行ったからじゃないか。今日の昼は自由だぞ。多分ここを使えって事なんだろう」
なお、夜は一流シェフによる豪華ディナーとのこと。一般人の俺では普段食べられない一品五千円とかそういう次元のものが出てくるんだろうな。量もちょこっとなアレ。
「それなら今から準備しようぜ。炭火焼きも出来そうだしバーベキュー的な感じにしてさ」
「それ、良いな。準備できたら皆も呼ぶか」
「向日葵も良いよな?」
「良いよ。颯人が望むことなら」
「さんきゅ。じゃ、俺と向日葵は炭の方やるから健太は料理の方頼む。普段作ってるんだろ?」
確かに、作ってはいるものの大人数になると話は別だ。が、ここは俺の腕の見せ所だ。
「分かった。任せておけ」
「いよっ、料理長。頼んだぜ」
本当、調子の良いことを言う。
「おべんちゃらを言っても美味さは変わらんぞ
「ははっ」
「高橋、颯人の為に美味しいの作ってね」
「おーけーだ」
二人は外に出て火起こしを始めた。
まずは串打ちから始めるか。これだけ食材があると色々試したくなるな。牛をベースにしながらよくある玉ねぎとピーマン、パプリカの組み合わせ。それから焼き鳥用に小さめに鶏をカット。大きすぎると火が通らないからな。あとは豚トロも良さそうだ。脂が落ちて跳ねそうで少し心配ではあるが、そこは彼らがどうにかするだろう。ものの十分程度でバーベキュー用のセットは完了した。
後定番なのは焼きそばか。イカの丸焼きもいいな。なんか、海の家というか縁日みたいになってきた。
「大将やっているな」
作業をしていると藤原がやってきた。時計を見るとお昼前になっている。
「お前もか」
「お前も?」
「いや、何でも。藤原も食べに来たのか?」
「元々は俺が振る舞う予定だったが健太がするなら手伝うぞ」
だから一人早くここに来たのか。丁度良いし手伝ってもらおう。流石にこの量を一人で捌くのは結構辛い。
「助かる」
その後準備が整い次第皆を呼ぶことにした。
「ここで食べられると聞いて」
「めっちゃ良い匂〜い!」
「はるくん一緒に食べよ〜!」
「あたしとなんだから!」
「二人ともくっつきすぎ……」
遠くから皆の声が聞こえる。声だけだと誰が誰だかわからない。殆ど話していないので顔と名前と声が一致しない。分かるのは東雲くらいだ。
「兄さん来たよ」
「あ、郁。来たのか」
妹が如月と一緒に来た。二人は勉強組だがお昼は一緒なんだな。
「どうせ食べるなら兄さんの作ったものの方が良い」
え、何その発言。もしやデレですか。
「嬉しいこと言ってくれるじゃん」
「うっさい」
やっぱりデレてない。
「高橋、この子兄さんの作る料理が好きだって言ってたよ」
「ちょ、如月さん……!」
「それは本当か⁉︎」
郁と如月、一体何を話していたのだろうか。気になりすぎる。にしても妹が俺の料理が好きだなんてもしかして普段俺に作れ作れって言うのも好きだからだったんだな!
「……っ」
「素直に言ってくれれば毎日ちゃんと作ってたのに」
「そういう問題じゃない……如月さんも余計なこと言わないで」
「ごめんなさい」
如月が素直に謝っただと。妹め、俺の知らないところでどういう関係を築いたんだ。俺にも教えてくれ。
「君達、立ち話もなんだし座ったらどうだ?」
配膳している藤原が提案してきた。
「そうだな。二人とも用意してくるから座っててくれ」
厨房に戻り、テーブル席を見ると大所帯になっていた。先程までの貸切状態とはまるで違う。一気に季節らしくなった。やっぱり海の家はこうでないとな。
そして予め作っておいた料理を全員に配る。
さて、俺の席はどこにしようかな。グループで分かれているから悩むな。先輩含めた生徒会、東雲とギャルズ、颯人と九十九、そして如月と郁。とりあえず東雲と颯人のところはやめておこう。絶対面倒臭い。やはりここは郁のところに行こう。
「勉強は捗ったか?」
「おかげさまで。氷雨さんの教えが上手で」
如月は言っていた通り藤原を教えていたであろうその人に教えてもらっていたみたいだ。
「なんでも現当主の師匠役としても務めていたみたい」
現当主というのは藤原の父親のことである。あの父親の師匠ともなるとさぞかし頭の良いのだろう。
「師匠というか姉を勝手に騙っているみたいな感じだったけど」
「ヤバい人だったオチなのか?」
「どうだろ。真相は闇の中」
二人は俺の作った塩焼きそばを食べながら話をしている。
俺も食べてみると良い塩加減で出来ている。ソースも良いけど塩にして良かった。
「そっか。郁、如月とは仲良くできそうか?」
「……まあ、多分。似てるところもあるから」
「大丈夫。この子は良い子」
如月が人を褒めている。なんと珍しいことか。良くやったぞ郁。
「良かったな、如月が人を褒めるなんてそうそうないぞ」
「そうなの?」
「理由があるから褒めている。私はそんな冷淡な人間になったつもりはない」
やばい、今のは失言だったな。
「そ、そうだな。すまん」
「そうだよ如月さんは良い人だから。如月さんが周りの人間に対してあまり対応が良くないのはダメな人ばかりなだけだよ」
「ズバズバと物言うなあ」
その理論だと俺もダメ人間の一人だよな。如月の求める人間にはまだまだ遠い。
「言われるのが嫌なら兄さんも頑張れば」
「へいへい……」
妹がいるとはいえ折角好きな人と一緒に食べられるのに真面目な話ばかりになってしまった。このままだと如月の水着姿も見られそうにないか。
そんな時この少し重めの空気を吹き飛ばす風がやってきた。
「二人とも、午後からはビーチバレー大会をやるんだが参加してくれるかな」
藤原は本当にタイミングが良い。助かった。
「え?」
「ビーチバレー大会。二人一組で」
「知ってるけど。でも私達は勉強するから」
「えっと、あはは……ごめんなさい」
二人とも藤原の誘いを断っただと。
「そうか、残念だ。優勝者には豪華景品があるんだがな」
こういう時の大会の豪華景品って豪華でも何でもない大嘘だったりするんだけど藤原のことだ。本当に豪華なものを用意してくると思う。
「勿論、参加者全員にも何らかのものを与える。ティッシュなんかじゃないぞ。それでも勉強を取るか?」
「ええ」
「んな……」
如月は物には釣られないのか。
「そ、それなら私は出ようかな……如月さん、ごめんなさい」
郁は釣られたか。それで良いんだよ。
「仕方ないわ」
「郁は参加ということで良いな」
「は、はい。よろしくお願いします」
藤原と郁は大会の説明の為に席を外れた。皆も出ていく。俺と如月だけが残った。
「如月、本当に良いのか?」
「ええ。何も問題ない」
残念だ。俺は如月が皆と遊ぶところが見たかったのに。
「……俺、よく分からないんだ。如月がそこまで勉強に拘る理由が。まるで何かに囚われているかのように感じるよ」
たった半日でも許されないのだろうか。前の息抜きは何だったというのか。
俺は如月のことを何も知らない。だから。
「……だから、知りたいんだ。そこまで拘る理由を。如月のことを理解したい」
「……それを言ってあなたが理解したり、納得するとでも」
「さあな。聞いてからしか」
「そう……いいわ。話す」
彼女は諦めたように溜息を吐き、語り出した。
「約束があるの。亡くなった祖父母の。国公立に行って正社員として就職して親を安心させるというね」
その内容はごく一般的な家庭ではよく言われる話だ。それに後半は以前聞いた話の通りだ。ただ、それだけではなかった。
「祖父母の時代は貧乏だった。一族が財閥の支援を拒んだせいで。だから父は身を粉にして働いて稼ぐしかなかった。ここに来たのも父が転勤族だから」
如月の転入理由も親だったな。それにしても財閥の支援を受けるほどの貧乏とは相当だ。財閥は人として生きられないほどの収入になった時に支援する制度を設けている。それを受けなかったなんて何を考えているのだろうか。
「私は祖父母と必ず国公立に行くと約束した。二度と一族の過ちを繰り返させない為に。一族は学が足りなかったから祖父母も父も大変な目にあった。因果は、私が断ち切らないといけない」
「それが理由なんだな」
一族のせいで彼女は雁字搦めになってしまっている、ということだ。ただある意味、彼女もまた一族が性格に表れているのではないだろうか。他者とあまり仲良くしないのもきっと財閥の支援を断った時と同じように感じる。
それに分かったことがある。今のままじゃどの道将来就職しようが彼女は幸せにはなれないということがな。この考えのままじゃ一生、一族に囚われ続けてしまう。
「分かった? だから私は時間を無駄にすることはできない」
如月は立ち上がる。部屋に戻るつもりか。
「無駄なんかじゃない」
如月が出て行こうとするので止める。
「何?」
今はまだあいつの言葉を借りることしかできないけど、それでも言うしかない。
「何事も経験だ、って。俺は如月が笑顔で皆と楽しんでるところが見たいんだよ。今の話を聞いて尚更思ったよ。そんなの、ただただ悲しいだけだ」
一族の因果を断ち切る為に、今はもういない祖父母との約束を果たす為に今を捨てて先の見えない暗闇の未来に頑張ってもそれが報われるかどうかなんて誰にも分からない。それで報われなかったとしたらあまりにも悲しすぎる。
「悲しい……? 別に私が望んだことだから」
「本当か? 就職ができたってその先が上手くいくとは限らないんだ。そんな不確定な未来よりも今を楽しむことはできねえのかよ」
「……高橋に何が分かるの。それは無責任だから」
確かに、遊んで後で後悔してしまうという無責任な選択を与えることかもしれない。けど、今高校生であるこの時はこの一瞬にしかないんだ。俺の天秤への答えはやっぱりこれしかない。覚悟を決めた。
如月にどう思われようがもう良い。どの道本音で言い合える関係性になれないなら、最初からその道はないんだから。俺は、俺の信念をぶつけるだけだ。
「わっかんねえ! その因果とやらの片棒を担がせてくれなきゃな!」
如月の表情が少しだけ崩れたように見えた。続ける。
「無責任で結構だ! 人間誰しも無責任を押し付けて誰かが割りを食ってんだよ。俺は、如月がその割を食う側になってんのが見てられねえんだよ……」
「あなた、本気で言ってるの」
「本気だ。俺の答えは決まった」
藤原には至れないのは分かってる。それでも全部やる。中途半端はもうなしだ。勉強も遊びを全力で。若いうちにできること全部。体力のある限り。これが押し付けがましいことだとしても、如月が皆と遊ばずに孤独になっていく様をただジッと眺めていられるほど俺は呑気ではいられない。
「そう……」
如月は右手を上げた。まさか俺を殴る気か。
だがその手は俺には来ず、如月自身の顔を叩いた。そしてまた表情は強張る。
「私だって……いや、もう良い」
私だって、の後に続く言葉は俺には分からなかった。ただ、ほんの少しだけ僅かに如月の本音を引き出せたように見える。あの鉄仮面に初めて傷が入った。
「そんなに大会に出て欲しいの」
「当たり前だ! 出て、優勝するぞ!」
彼女は大きく息を吸い、深呼吸をした。
「ふぅー……分かった。出る。どうせ出るまでここに残させるのなら選択肢は一つしかないから」
「そうだな。そのつもりだった。合理的な判断で助かるよ」
「なら早く行こう。時間は無駄にできない」
「ああ」
俺と如月は皆のいるところへ向かった。
「それにしても随分と人が変わったわね。あいつの影響なの?」
「知らね。そうかもしらねえけど。とにかく、もう吹っ切れたんだよ」
あれこれ考えて前に進めない内は何者にもなれないということが嫌というほど分かった。藤原はずっとヒントを与えてくれていたんだ。何でなのかは分からないけど、俺を前に進めさせてくれてありがとう藤原。
「……そ。高橋がどうなろうと私の知ったことではないけど、そっちの方がよく見える」
「……! なら、やるしかねえな」
「調子には乗らないで」
「分かってるよ」
浜辺に辿り着き、藤原の元へ行く。
「追加で二名だ。まだ間に合うよな?」
藤原はちらりと如月の方を見て、少し微笑んだ。
「……ほぅ、やるな。どう説得したは置いておくとして支障はない。もう既に組分けは決まっているから健太と瞳美のペアになるが良いな?」
「構わない」
「良いよ。ところで、藤原は出るのか?」
「主催が出るわけにはいかないのでな。うっかり優勝したら意味がないだろう」
うっかりも何もお前が出たら優勝が確定するんだよ。だが戦いたかった気持ちもある。
「そっか、ま、そうだよな」
「うむ。……よし、皆集合! これからビーチバレー大会を始めるぞ!」
これから、豪華景品を懸けた熾烈な争いが始まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます