「……お役に立てて、嬉しいです」


 震える声でやっと言った。胸がいっぱいだった。

 ここにいてもいいのか、本当に役に立てるのか、ここでもずっと、邪魔者ではないのか。そんな不安でいっぱいだった心が、ようやく手に入れた実感で満ちていく。


「……私、これまでずっと、息を殺して生きてきました。大木を真っ二つにするような危険な娘が近所に住んでるなんてこと、一日も、誰も思い出さないように、気配を消して、閉じこもって」


 ジュードがなにも言わずに聞いてくれるのをいいことに、レイは続けた。


「それでも、時々、思い出したように嫌なことが起きました。『出て行け』なんて書かれた手紙はしょっちゅうで、少しだけと思って森に出たら運悪く見つかって、聞こえるように『化け物』って言われたり。家に石を投げられたりしたこともありました。私のせいで、妹がいじめられたと泣いて帰ってきたことも」

「は、竜の秘宝を害すか。神をも恐れぬ所業だな」


 嘲るような一喝。代わりに怒ってくれているのだと思えて、胸が暖かくなった。


「家族は「気にするな」って言ってくれましたけど、無理でした。両親はいつも疲れていたし、悲しそうで。せめて役に立たないと、って家事も覚えたんですけど……家族の助けになれた気は全然しなかったです。早く家族を解放してやらなくちゃって、毎日思ってた」


 あの王命がなかったら、私、家を出て、どこか静かなところで一人で暮らそうと思ってたくらいなんですよ。辛い記憶を軽く聞いてもらおうと、えへへ、と無理矢理に口角を上げて笑って続けたが、ジュードは決して笑おうとはしなかった。ただ、真剣な目でレイを見ていた。


 どうしてだろう。真剣に向き合われると、涙が出そうになる。もう終わったことなのに。


 化け物と呼ばれ、人は寄り付かず、それどころか外に出ても、閉じこもっても、石を投げられた。

 どこまでいっても逃げ場がなく、いつも息苦しかった。この世界に自分の居場所はないのだと思った。

 それでも、家族は自分を愛してくれた。唯一の救いだった。けど、永遠の居場所だとは思えなかった。

 レイは家族に、不幸をもたらす存在だったから。


『ごめんね。普通の娘に産んでやれなくて』

『怪我はないか? レイ。すまない、一緒にいてやれなくて』

『お姉ちゃんが化け物だから、私とは遊びたくないって……』


 母が懺悔する度、父が家に投げられた石を拾い集める度、妹がいじめられて帰ってくる度、その思いは強固になった。

 愛しているからこそ、いつかは離れなくてはならない。家族を自分から解放して、楽にしてやらなくてはならないと感じていた。


 けど。じゃあ、──それって、一体どこまで?


「……大抵は『現状の良いところを考えよう』って思うんです。でも、そうは思えない日もあって。世界を呪う気持ちとか、男の人なんかいなくなっちゃえば良いとか……」


 レイはそこで一度言葉を切る。

 人を傷つけるこの力のせいで、疎まれ、蔑まれ、いつかは愛する家族さえも捨てて一人にならなくてはいけない。


 ──私、どこまでいったら、一人じゃなくなるの?

 ──この世界に、私がいて良いところなんて、本当にあるの?

 ──だって、この力はずっと、私に付いて回るのに。


 途方もない気持ちに襲われるといつも、同室の妹が寝静まった頃を狙って、声を殺して泣いた。


 竜の秘宝になんてなりたくなかった。私は普通に生まれたかったのに。

 好きでこうなんじゃないのに。傷つけたくなんかないのに。


 どうして、私ばかりが、こんな力を持って生まれたの?


「……『お母様も、あの子さえいなければもっと長生きだったかもしれないのにね』と、村の人に陰で言われているのを聞いてからは、怖くて堪らなくなりました」


 今まで誰にも、家族にさえも言えなかったことを、そっと白状する。ジュードが息を飲んだ気配がした。


「以前、旦那様の事情を聞いたときは、つい、自分と重ねてしまって……分かったような口を聞いてしまいました。改めて謝罪いたします。ただ、私も……本当に、私が心労をかけたせいなのかもと思うと……自分が早く消えていればこんなことには、って、思ってしまうこともあって」


 母を亡くした後。……いや、その前から。


 レイはずっと、本当は消えてしまいたかった。

 死にたかったのではない。そんなことをしたら家族が悲しむ。分かっていた。疑いようもなく愛を注がれた。

 それでも、家族を苦しめる自分が、家族に罪悪感を植え付けるこの身が、この力が、憎くて憎くてたまらなかった。

 だからただ、誰にも知られないように、ひっそりと、みんなの記憶からいなくなりたかった。泡のように。


「私にこの力が備わっているのは、前世でなにか大きな罪を犯して、だから神様が呪いの印を付けたんだと、絶望する時もありました。自分を孤独に追いやる雷気も、呪われた自分も、大嫌いだった。……けど、今は自分が、この力が、少しだけ好きになれました。なにもかも、旦那様のおかげです」


 伏せていた顔を上げ、しっかりとジュードを見返した。

 自分は世界で一番不幸で、災厄の星の元に生まれた娘。仕方ないんだ、そういう運命だから。けど、せめて今ある良いところを見よう。心が折れないように、上を向こう。心だけは自由でいよう。ずっと、そうやって自分を励ましてきた。


 けど、もういいんだ。

 もう、どこにいても、なにをしても、世界から拒絶されているだなんて思わなくていい。この世のどこにも居場所が無いような気持ちで、不安に思わなくていい。もう、隠れていなくてもいい。


「よくやった」とジュードが認めてくれたから、やっとそう思えた。

 ずっと一羽きりで飛び続けてきた鳥が、安住の地を見つけた。そんな気分だった。


「今は、この力があって良かったとすら思うんです。だって、雷気がなくては、ヨルを、ドラゴンを救えなかったでしょう? 私は呪われていたんじゃない。他でもない私が、この力を呪いにしてたんだって、気づきました。……私、ここに来て……いいえ。旦那様の妻になれて、本当に良かったです」


 あなたが私に道を示してくれなかったら、私は今も、宴の熱気も感謝の暖かさも生涯知ることもなく、部屋に閉じこもっていたでしょう。そう、にこりと笑って言った。


 不思議だ。初めてジュードと会った時には、こんなふうに彼に笑える日が来るとは予想もしていなかった。

 驚くほど朗らかで、心地よい気分だった。戦士たちの歌い踊る声も、砂混じりの夜風も、揺れる松明の影も、すべてが完璧だった。自分がこの場の一部であると、自然に受け入れられていた。

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