その夜、空が藍色に塗り変わる頃。

 極北では酒宴が開かれていた。

 ヨルの戦士復帰と、奇跡の乙女──これはレイのことだ──を迎えた、祝いの酒宴だ。


 あの後、水鏡の中庭に移動し、疾風のように休むほどではないが調子の良くないドラゴン五匹と相対し、その度に翼や足、首などの悪い部分に雷気を当てた。すると、試乗した乗り手は皆、口を揃えて「治っています」と驚愕の様子で言った。


「竜王宮にある書物の中には、外国のものも何点かある。その中の一冊に、はるか西のほうでは、電気で不調を治療する方法があると記載があった覚えがあってな。それが発想の手がかりになった」


 というのはジュードの談だ。


「そこでは、発電する魚を使ったと書いてあったが、人間と違ってドラゴンは皮膚も硬いし体も大きい。きっとお前の雷気が体に合うんだろう」


 セッタやジュードに脅かされたり不意に触られたりしながら、半信半疑で雷気を出し続けたレイも、三匹目を超えたあたりでいよいよ観念した。


 これ、本当に治るんだ……!! 人は傷つけちゃうけど、ドラゴン治療には有効なんだ……!!


 そしてこれもまたジュードの言う通り、レイに雷気が備わっているのがドラゴンには分かるらしく、乗り手以外に気を許さないはずのドラゴンが、みんなレイに対して驚くほど好意的だった。どれくらいかと言うと、元気になって飛び回った後、ドラゴンが降り立ちレイの頬に鼻先を当てた時など、集まっていた野次馬戦士たちから野太い歓声が上がったほどだ。


「すげえ、めっちゃ懐いてる。っていうか、マジで治るんだ」

「ドラクル、とんでもねえな。うちの国じゃ、こんな神秘聞いたこともなかったぞ」

「さすがボス、持ってるな~。とんでもない嫁さん引き当てやがる」


 急に注目を浴びて恥ずかしいやら照れ臭いやらで、レイは縮こまったが、戦士たちは興奮覚めやらない様子だった。

 中でも、ドラゴンを治療してもらった乗り手の感極まった様子といったら。


「本当にありがとうございます! 命の恩人だ! 本当なら女神様に、感謝のキスを贈りたい」


 涙を流しながら頭を下げて言う乗り手もいた。途端、「おいおい、ボスの花嫁だぞ」だの「戦士風情が触れていいわけねえだろ!」だのと容赦のないツッコミが飛び交ったが、彼はおいおい泣くばかりで言い返す余裕もなさそうだった。


「そんな、とんでもないです。私なんて、大したことはしていなくて……」


 と、恐縮して返すと「そんなことはありません!」と彼は泣きはらした顔をキッと上げた。


「我々竜騎士にとって、ドラゴンは魂で結ばれている唯一無二の相棒だ。なににも代えがたい宝なんです。あのまま不調を引きずって飛び続けていたら、私たちにはいつか必ず限界がきていました。だから奥方様。あなたは本当に、私たちの命の恩人なんです」

「私からも、改めてお礼を言わせてください。……っ本当に、ありがとうございました」


 隣に立っていたヨルにも声を詰まらせて頭を下げられると、それ以上の謙遜はできなくなった。いつも気丈なヨルが、こんなふうに声を詰まらせるのだ。本当は不安だったのだろう。


「っいいえ、こちらこそ。大事なドラゴンを私に預けてくれて、ありがとう」


 言って、レイも頭を下げ返すと、ワッと野次馬たちから拍手が上がった。

 そんな中、ジュードが進み出て、


「聞け、お前ら。俺たちは今日、大事な仲間であるヨルを、再び竜の戦士として輪の中に迎え入れた。ヨルの戦士復帰と、その復帰を支えたこの奇跡の乙女……俺の花嫁を極北に迎えたことを祝おう。今夜、酒宴を開く。ここにいないものにもそう伝えろ!」


 と、酒宴の開催をその場で決めてしまったのだ。


「だ、旦那様、私のことは結構ですから……!」


 小声で言っても、ジュードは聞こえないふりをするばかりで、最後には


「誰しもに荷を下ろす時間は必要、だろ? 水を差さずに付き合え」


 と言い返されて終わってしまった。


 で、それから数時間後たった今。

 広間の一段高いところ、ジュードの隣に用意された席に座る羽目になったレイは、目の前の光景に圧倒されていた。

 広間で車座になった戦士たちによって、次から次へと空けられていく酒瓶。杯も使わず直接アルコールで喉を焼いた彼らの笑い声は、酒量とともに豪快さを増していくよう。

 そしてそこを抜けた松明の炎が揺れる水鏡の周りでは、陽気な戦士たちがドラゴンの革を張った太鼓と、十五もの弦を持つ楽器の音に合わせて歌い踊っている。

 とにかく、どこもかしこもすごい熱気なのだ。

 いや、最初……酒宴の最序盤、ジュードが音頭をとって乾杯したすぐ後、戦士たちがレイに思い思いの挨拶をしに来てくれた頃までは、もう少ししっとりした雰囲気があった。


「歓迎いたしますぞ、竜の秘宝よ! ともにこの極北に骨を埋めましょうぞ!」

「ご機嫌麗しゅう、我らが奇跡の乙女。これほど美しき乙女の姿をとった竜の加護とともにあれるとは、なんたる果報でしょう」

「初めまして、花嫁様。ドラゴンの治療ができるなんて、すごいや! ジュード隊は敵なしですね」


 老いも若きも皆一様に歓迎をしてくれ、気のいい彼らはセッタが指示した遠いところから声を張り上げて、あらん限りの礼を尽くしてくれた。中には先日の黄色いドラゴンの乗り手もいて、五体投地で謝罪されかけて慌てて止めたくらい。


 が、戦士たちがかしこまっていたのはその時までだ。

 酒が進むにつれて場の空気はほどけ、今や誰がどこにいるかも分からないほどのドンチャン騒ぎ。

 あまりに陽気で、あまりに力強い。こんな熱気、レイは今まで一度も感じたことがなかった。


「すごいのね、酒宴って……」


 もはや呆然とするレイに「まあ、レイ様の気持ちは分かります」とヨルが頷く。


「率直に、うるさいですよね」

「ええっと、さすがにそこまでは思ってないけど……」


 そう言うヨルも、いつもより、ほんの少しだけ声が大きい。酒を勧められて何口か煽っていたから、いささか酔っているのだ。


「しかも、レイ様が嫁ぎに来た時は宴なんか開かなかったくせに。現金過ぎる」

「まーまー。あの時はみんな、レイの扱いがよく分かんなかったんでしょ」


 鼻白むヨルを、中庭の踊りの輪から抜けてきたセッタがたしなめた。手には酒瓶が揺れていたが、その足取りは平素と全く変わらない。


「なにかをダシにして飲み騒ぎたいでしょ。全く図々しいったら」

「そりゃごもっとも。でもま、今日くらいは許してやったら? 本日の主役の一人なんだし」


 肩をすくめたセッタが続ける。


「みんなが、今日はヨルは踊らないのかって騒いでたよ。盛り上げてきたら? うちで一番の踊り手じゃん」

「あ~……」

「まあ素敵! ヨル、私も見たいわ。踊ってきて」


 護衛の任との間で惑うヨルの背を、レイは笑って押す。せっかくこれまでの心労から解放されたのだ。ヨルにこそ、楽しむ時間は必要なはずだった。

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