レイはなにがなんだか分からないまま、おっかなびっくり手を伸ばす。

 ひたりと触れた鱗はひんやり冷たく、それでいて慕わしく肌になじむ感覚があった。疾風はピクリとも動かない。代わりに、ヒュイヒュイと鳴く音がする。


「きれい」


 陶然と呟けば、ヨルは誇らしげだった。


「撫でてやってください。甘えてます」

「え? そうなの?」

「ええ。この口笛のような音は、ドラゴンが甘えるときに出すんです。レイ様が気に入ったみたい」


 半信半疑ながらそっとさすると、鳴き声は先ほどよりも長く響く。心なし首が伸びをするように前に出て、ふと父の飼う牛を思い出した。怪我をさせるかもとレイは触れたことはなかったけれど、父に懐いていた牛はちょうどこんな様子だった。小さい頃は、遠くからいつも羨ましく見ていた。


「えへへ……嬉しい。私、動物を撫でたこと、今までなかったんです。夢が叶いました」


 自然と頬が緩んでしまう。今やすっかり雷気は収まっていて、これなら安心、ともう一度撫でさすろうと思ったのも束の間。

 ジュードが言った。


「手から雷気を流せ」

「……は?」


 なんて?


 またまたご冗談を、と笑い飛ばしたかったが、どうもそんな雰囲気ではない。ジュードの目はいたく真剣だし、ヨルもまた神妙な顔をしていて、セッタに至っては握り拳を作ってレイを鼓舞するそぶりを見せる。


「で、できません、そんな」

「いいからやれ」

「できませんってば!」


 有無を言わさぬ口調にカッとなって言い返すと、ジュードの片眉が上がる。

 しまった。だが、できないものはできない。睨み合っていると、


「あ! レイ! あんなところにもう一体ドラゴンが!!」


 セッタが唐突に空を指差し叫んだ。つい顔を上げ「え? どこ?」と影を探してしまう。だからすぐそこに近づいて来たジュードに気がつかなかった。


「わひゃあっ!!」


 首になにかが触れ、バチン、と雷気が強く弾けた。慌てて首を抑えて振り向くと、そこには右手を振ってサッと距離を取るジュードが。首を触られたのだと気づいて、顔が真っ赤になった。


「な、っななななにを、って、ああああああ! な、なん……なんてことするんですか!!」


 だが、すぐにジュードの目的はレイに雷気を出させることだと気づく。首を触ったのは単なる手段で、セッタもグルだ。

 首を抑えていた手が震える。きっと疾風を撫でていた手からも雷気が弾けただろう。


 ど、どうしよう。この間よりずっと雷気は弱かったはずだけど、また、気絶するようなことになっていたら……。


 怖々、疾風に目をやる。しかしレイの心配をよそに、疾風はどうともなっていなかった。むしろ、くるくると二、三回肩を回すような動きをしたかと思えば、首だけで振り返ってレイを見る。そうして、ヒューイ、と一度高く鳴き、するりとヨルの元へと戻っていった。


「げ、元気? 元気なの? 本当に? ……よ、よかった……」


 がっくりと腰が抜け、その場にへたり込んだ。セッタは「ごめんね、レイ」と謝ってくれたが、ジュードは何も言わず、それどころか平然とした様子でヨルに「どうだ?」なんて声をかけている。


 ──親しみを覚えてたの、撤回!! 絶対この人乱心してる!!


 座り込んだまま心の中で悪態をつくレイをよそに、ヨルはすり寄ってきた疾風を真剣な様子で検分している。


「……乗ってみてもいいですか」


 ジュードが頷くと、ヨルは懐から取り出した手綱を素早く疾風にかけ、そのままひらりと飛び乗った。一人と一匹は互いが互いの体の一部であるかのようによく馴染んでいた。

 ヨルが二回、疾風の首を叩く。体長の二倍はあろうかという翼が、音もなくめいっぱい広がる。そして、ぐ、と一度深く沈み込むと、目にも留まらぬ速さで空中に飛び出した。

 翼が生み出した風に巻かれた砂埃がすっかり落ち着いた頃、レイは空を見上げた。

 その先では小さな点が、豪速で大きな弧を描いていた。先ほどとは比べ物にならない速さだ。かと思えば、急降下と急上昇を繰り返し、空に波模様を作る。


「絶好調じゃん」


 ひゅう、とセッタが口笛を吹く。


 確かに、さっきと全然違う。なにがどうして?


 呆然としている間に、試運転を終えた疾風とヨルが中庭に帰ってきた。


「どうだ」

「問題ありません。完全に治ってます」


 砂煙の中、疾風から降りたヨルが言って、それからレイを見る。その目には常とは違う色──畏敬の念に似たなにかが滲んでいた。

 居心地悪さに、未だ地面に落としたままの尻が逃げ出すようにわずかに下がる。が、セッタとジュードが振り返り、レイを見ると、それも叶わなくなった。


「……なるほど。これは確かに、『竜の秘宝』だな」


 ジュードが呟いた。


「あの、これは、一体……?」

「『空に嵐が来たる時、ドラクルに永遠の繁栄が約束された。』……お前が癒しに聞こえると言った歌の一節だ。ドラゴンはこの国を作った始祖竜の使い。神がドラクルに与えた恵みそのものだ。ドラゴンの存在はそのまま、神がこの国に健在である証明にもなる。なら、その健康長寿は、国家の繁栄と捉えても差し支えない」

「はあ……えっと、ごめんなさい、ちょっと言ってる意味が、」

「ドラゴンにとって、雷気は薬だ」


 言葉尻に被せるようにジュードが言って、すぐに「いや、それ以上のなにかかも分からないな」と打ち消した。


「だが、とにかく、ドラゴンはお前の雷気を求めてる。母に癒しを求める子のように。だからお前に懐くし、お前の存在を感じると、お前を目指して飛んで来るんだ。乗り手の操縦を無視してでもな」

「そ、れって、」


 ゴツ、ゴツ、とジュードが音を立ててレイの前に立ち、目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


「つまりだ、レイ・ドゥーベルト。お前は現状、この国唯一の、ドラゴンの治療師、ということになる」


 柱廊の影の下で未だ座り込むレイに、目を焼くほどの日差しの中に膝をついて告げたジュード。その瞳は、まるで太陽のようにレイの目には映った。

 

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