④
その翌々日の早朝、レイは離宮の中庭を囲む柱廊の下にいた。そこで待つよう、ジュードからヨルを通じて連絡があったのだ。ヨルは妙に塞いだ顔をしていたが、どうしたのか尋ねても「なんでもありません」と誤魔化すばかりだった。
ほどなくして、中庭にジュードとセッタが現れた。
「おはようございます、旦那様。セッタも」
「ああ」
「おはよ、レイ」
「それで今日はどんな実験を、」
「すぐに分かる」
ジュードはレイの疑問を一蹴し、柱廊の下、ヨルを挟んだレイの隣に立つと、ヨルに向かって顎をしゃくった。
「始めるぞ」
「……はい」
いつもより幾分固い顔をしたヨルが中庭に進み出る。その肩を、セッタが応援するようにポンと一つ叩いてから、ジュードとは逆側のレイの横に並んだ。
一体なにが始まるのだろう。
ヨルは噴水の手前あたりで足を止めると、緩く両手を広げた。手のひらを空に向け、目をつむる。しばらくその状態が続いたので、しびれを切らして「ヨルは、なにを?」と尋ねると
「自分のドラゴンを呼んでる」
とジュードの静かな声が答えた。先日のことが思い起こされ、頬に小さな雷気が弾けた。
「心配するな。この間は不測の事態で対処が遅れたが、最初から来ると分かっているものはどうにでもできる」
「ジュードは始祖竜の血を受け継ぐ竜族の中でも、相当血が強めだから。大抵のドラゴンはジュードをボスと認めて命令を聞くんだ。この間も、ちゃんと言うこと聞いて止まってたでしょ?」
セッタの言に、あの日の光景が思い出された。あの震えが来るほどの威圧は、ドラゴンに自分をボスだと認めさせるためのものだったのか。
「乗り手がいるときは急にストップかけると、勢いで振り落とされたり、最悪踏んづけられたりして危険だけど、ドラゴン単体なら、ジュードに任せれば平気だよ。それにほら、いざとなったら俺もいるしね」
身体全体でおどけるようにして笑いかけてくれるセッタに、不思議と心が落ち着いた。
「そうですね。ありがとう、セッタ」
「どーいたしまして」
「──来るぞ。無駄口をやめて、一応構えておけ」
「了解、ボス」
ジュードの声に空を見上げれば、遠くに小さな鳥に似た影が滑空するのが見えた。しかし、あ、と思ったときにはみるみる大きく、かなりのスピードでこちらに近づいて来ているのが分かる。
「あれが小型竜のスピード……」
「いや。本当の疾風はもっと速いよ。今は怪我してるから、セーブしてる」
釘付けになるレイの横で、セッタが注釈を入れた。その間にも緑色のドラゴンは急速に距離を詰めてきている。頭上に影が落ちたと思ったら、もう翼を折りたたんだドラゴンが、中庭に音もなく着陸していた。まるで一陣の風のような動きだ。
ヨルより一回り大きい程度の疾風は、降り立ってすぐにヨルの脇に頭を突っ込んだ。
「わ、疾風! なんだよ、分かった分かった! しばらく会ってなくて、寂しかったね。ごめん、忘れてたんじゃないよ!」
ヨルが鼻を押し返したり、首の側面を撫でたりすると、疾風の喉あたりからヒュイヒュイと口笛に似た音が聞こえた。
大きさが違っても、鳴き声は一緒なのね。魅入られながらも頭の片隅で考えていると、ふいに疾風と目が合った。ジュードと同じ金色の瞳は、凪いだ湖面のように静かだ。
「疾風?」
急に動かなくなった疾風に、ヨルが呼びかける。だが疾風は動かない。
獲物を前に息を殺して身を潜める獣のように、ただじっと、レイを見つめている。
「ヨル。疾風を離してやれ」
ジュードが言うと、ヨルは戸惑いながらも疾風の首から手を外した。疾風はゆっくりと方向転換して、こちらへ──いや、レイのほうへ向かってくるではないか。
ヨルと戯れているときはものすごく愛らしい生き物に見えたけど、やっぱり近づかれると怖い!!
腰が引けてしまい、腰の曲がった老婆のような体勢でジリジリ退がりながら
「あっ、あの! これ、どう、どうすれば……!」
と指示を仰ぐと、「動くな」と平然とジュードに言われる。そんなこと言われても!! 私、竜騎士じゃないし!!
しかしとうとう尻が壁に当たり、それ以上下がることもできなくなった。頬に弾ける雷気は今やパチパチと忙しない音を立てている。爆発寸前だ。
「疾風、」
「ヨル、手を出すな。言ったはずだぞ。──お前が竜騎士に復帰できるかは、今日この時にかかっていると」
疾風を退がらせようとしたヨルをジュードが制す。なんの話だか全く分からないが、とにかく誰も助けてくれそうもないことは分かった。
平常心平常心平常心……っ!!
必死に己に言い聞かせながら、体が感じ取る刺激をなるべく減らそうと目をつむる。あ、でもダメこれ。見えない分怖いし、逆に耳がめちゃくちゃ鋭くなって、ドラゴンの鼻息まで聞き取ってしまう。
慌てて耳も塞ぐが、それはそれで飛びかかられるのにも気づかなそうで怖い。かと言ってこれ以上どうすればいいかも分からず、結局そのまま震えていた。
しかし。
いつまでたっても、事態に進展はなかった。良いほうにも悪いほうにも転がらない。レイはおそるおそる目を開けた。
目の前にはやはりドラゴンがいた。だが、噛みつかれる心配はなさそうだった。こちらに背中を向けて座っていたからだ。
翼をたたみ、尻尾を己の体に巻きつけるようにして行儀良く座っている様は、ちょっとした置き物みたいだ。つるりと滑らかな背が柔らかく上下していなければ、オブジェと言われても分からないだろう。
まあ、なんておとなしい。さすがヨルのドラゴン、ヨルに似て最高。
ジュードがレイの近くに来て言った。
「右の翼の付け根に手を当てろ」
「へ? で、でも、ドラゴンは気難しくて、乗り手以外には触らせたがらないって聞いて……」
「いいからやれ」
思わずヨルに目を向ける。が、彼女も「お願いします」と頭を下げる。
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