②
ジュードが眉の上を苛立たしげに掻いた時、ふと思い至ったことがあって尋ねた。
「そういえば、あの黄色いドラゴンは元気ですか?」
「集中しろ」
案の定呆れ混じりの叱責が飛んだが、「すみません。考えてたら、ちょっと気になっちゃって」と前置きして続けた。
「あの時は元気そうに飛び立って行きましたけど、その後どこかで墜落してたりとか……」
「いや。どこも問題ないと聞いている」
ジュードが言うには、乗り手も反省はしているものの、少々の打ち身で済み、元気らしい。急にドラゴンが興奮しだして操縦を失った、との証言から、騎乗はしばらく様子を見て、別途技術試験も設けるそうだが。
「見舞いがてら様子を見に行ったら、自分もドラゴンも問題なく、むしろ絶好調なので、奥方様にはくれぐれも気に病まないよう伝えてくれと言われた。俺を伝書鳩にする気か、と聞いたら、やはり直接言います、と。どうやってお前に近づこうとしてるかは知らんがな」
「どうしてそんな意地悪を……」
思わず咎めると、また鼻で笑われた。
「死にかけたのに、他人の心配か? 慈悲深いことだ」
「……旦那様が私を気遣ってくださっているのは承知していますけど、それでも、あまり意地悪を言うのは、」
「待て。なぜそうなる」
「なにがですか?」
「気遣ってない」
渋面で唸られ、図らずもキョトンとしてしまった。
「? でも、そう聞こえました。まずは自分を大事にしろ、って意味かと。それに、わざわざ今、伝書鳩の真似事をしてくださったのも、私が長く気に病まないためだとばかり……」
「違う。俺はお前のそのおめでたさを……もういい」
何事か言い募ろうとしたジュードは途中で言葉を濁す。レイは首を傾げつつも「でも、良かった」と胸を撫で下ろした。
「私のせいで、取り返しのつかないことが起こったわけじゃないんですね。本当に……良かった」
沈黙が落ち、レイはハッとして、慌てて
「す、すみません! 興味ないですよね、ごめんなさい、脱線しちゃって……!」
と謝った。だが、ジュードは静かに「いや、いい」と目を落とす。
「取り返しのつかないことは、少ないほうがいい。気持ちは分かる」
ドキリとした。ひどく悲しげな響きだったからだ。
「……なにか、あったんですか?」
おそるおそる尋ねる。ジュードはしばらく沈黙していたが、「すみません、話したくないなら、」とレイが引っ込めかけて、ようやく口を開いた。
「戦闘が最も激化していた頃……ちょうどお前の父親が戦場に出ていた頃だろう。母が危篤だと、知らせがあってな。戦場でそれを受け取った俺は、結果を出すまで帰ってくるな、という竜王の命令に背いて帰城した。竜王の命に背いたのは、後にも先にもあの一度きりだ。だが、結局母の死に目には会えなかった。それどころか、戦場を離れた時に……弟までもを失った」
「それって……」
「『戦場で逸って敵に撃たれ、クレバスに落ちて帰らなかった』、レンダ・ドラクル第二王子だ。俺の選択が、あいつの未来を奪った。……全て、俺の心の弱さが招いたことだ」
「そんなことありません! なにもかも、不運な事故だわ。ご自分を責めるのはおやめになったほうが……」
弾かれたように否定したが、ジュードは頑なに「いいや」と首を振る。
「俺がいてやれれば、あんなことにはならなかった。もしくは、迅速に勝利を収められていたら。──どちらにせよ、弱さは罪だ。部下の命を預かって、部隊を率いるのなら、なおさら」
頑なな横顔に、レイは胸が強く軋むのを感じた。その言葉に、自分が殴られたような気にさえなった。苦しくて苦しくて、……とても悲しかった。
「話を戻すぞ」過去を振り切るように話を変えるジュードに、レイはたまらず「あの」と口を開いた。
「どなたかに、そう言って責められでもしたんですか?」
「……なに?」
不機嫌な口調が耳に刺さる。それでも、深く息を吸い、思い切って憤りを言葉にした。
「なにもかもを背負おうとする旦那様のその高潔さ、心の底から敬服いたしますわ。常人にはとてもできることではありません。けれど、それでは旦那様が救われないのじゃないかと思って……」
「これは俺が負う咎だ。誰にも許されたいとは思っていない」
「っそれでも! ……私は、あなたが全て悪いとは思いません」
レイの鬼気迫る必死の顔に、ジュードは口をつぐんだ。
「あなたは、精一杯、生きていただけです。誰も、なにも悪くありません。たとえ旦那様がそうは思えなくても、私が保証いたします」
震えた声で、それでもきっぱりと口にすると「……お前になにが分かる」と苦い声が返った。
「……分かりません。悲しみは、その方だけのものですから。けれど、苦しい時には、荷を下ろしてもいいと思うんです。失くしたものを数えるより、今ある幸福を数えるとか。次来る希望に思いを馳せて、心を遠くに逃がしても」
「……」
「それか、私に吐き出してくださってもいいんですよ。幸いこの離宮には、あなたの部下はおりません。強く見せなくてはならない相手は、一人も。ただ、苦しい、と一言口に出すだけでも違うと思います。全て背負った心が折れる前に、どうか……」
炎の揺れる金色の瞳に見据えられているのに気づき、レイは急に我に返って、落ち着かない気持ちになった。慌てて「ほら、私は元から不要の花嫁ですし! 空気と同じようなものですから! お気になさらず!」と付け足す。
だが、
「空気になにができる」
しかめ面で一蹴され「それは……えっと、寄り添う、とか」と言い澱んでしまった。とうとう根負けし、
「……すみません、分かったような口を。忘れてください」
小さくなってそれだけ言う。失敗した。
ひっそりと苦悩していると、ジュードはしばらく経ってから
「……気遣いをどうも」
と静かに呟いた。予想外に、とても穏やかな声だった。紐で縛られたような心がほっと緩まり、レイはほっとした。
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