秘宝の覚醒


 

 小さな火がいくつも灯る東の離宮の居間に、書物をめくる音がする。通り抜ける風で火が揺れるたびに、大きな影もまた揺れ動く。

 レイは目の前の光景が未だ信じられず、これは何かの夢ではないか、と目を瞬かせた。

 だが、何度瞬いても、籐椅子に座る王者然とした大きな体躯も、組み替えるたびに大仰な印象がする長い足も、部屋中に満ちる重厚な響きのテノールも、やはりそこに在る。


「次のページだ。

『竜の秘宝はドラゴンの母。

 母の周りでドラゴンたちは踊り、賛美を歌う。

 乾いた大地に雨を降らせるように、洪水を灼熱の火で消し去るように。

 空に嵐が来たる時、ドラクルに永遠の繁栄が約束された。

 母を讃え、ひれ伏せよ。始祖竜の恵みを享受せよ。』……おい、聞いてるのか?」

「あ、はいっ! 聞いてました、聞き入ってました、もちろん」

「聞くだけじゃなく、考えろ。この俺が、わざわざ、時間を割いて、読み聞かせなんかをしてやってるんだぞ。なにか収穫でもなきゃ、わりに合わん」


 眉間を揉んでため息をつくのは、レイの夫。どさりと寄りかかる籐椅子は、セッタがどこかから運び入れた簡素なものだ。だが、ジュードが座ると無闇やたらに豪華に見える。


「お忙しいのに、すみません。時間を作っていただいて」


 頭を下げながら、レイはひっそりと思う。

 どうしてこうなったんだろう。


 

 少なくとも雷気の制御を身につけるまでは、レイに本を持たせるのは危険すぎる。それが皆の共通認識になってすぐ、


「他の方法を考えるしかないですね。レイ様が勉強すると決めた以上、読まないっていう選択肢はないし」

「じゃあ、誰かに読んでもらうとか?」


 と言い出したのはヨルとセッタだ。


 ──それって、誰に?


 レイは伺いの視線を二人に向けたが、セッタには


「俺はほら、この通り目が悪いから」


 とグレーの布を指差され、ヨルにも


「私も、ドラクルの言葉を話すのは支障ないですけど、読み書きはちょっと」


 と断られてしまった。


「なら、今から他の人を探して……」


 と言いかけたものの、そもそも異人の多い部隊だ。ヨルのようなタイプは多いだろう。かと言って近くの村に文字が読める女性が、運よくいる確率も低い。書物など滅多に手に入らないこの時代、読み書きは庶民が生活する上で絶対的に必要なスキルではないのだ。

 途方に暮れていると、セッタがあっけらかんと言った。


「じゃあ、やっぱジュードしかいないか。仮にも王子様なんだから、語学は完璧でしょ?」

「そんな、これ以上旦那様のお邪魔をするわけには……!」

「でも、そもそも『雷気の制御』はジュードの提案なんだし。これ以上の適役いないって。ジュードにとっても、きっといい息抜きになると思うんだよな」

「おい、勝手を言うな」

「勝手なもんかよ。レイが雷気の制御を身につけたら、城の守りは磐石になるって言ったのジュードだろ? 本当にそうなったら俺たちだって格段に楽になるし、今は忙しくて刻まれっぱなしのジュードの眉間のシワだって取れるかも」

「これは元からだ」

「それに、ジュードだって、どうせ一回は届いた書物に目を通すつもりだったでしょ?」


 ね? と表樹豊かな口元がニンマリと弧を描く。ジュードは眉間を揉みながら唸ったが、他に良い案もないと思ったのか、ついには降参するように「……時間を取る」と了承した。


「ただし、仕事が終わった夜だ。セッタの言うように忙しくて、昼は時間が取れない。俺の執務室に、」

「昼ならまだしも夜にレイ様を離宮から連れ出すのは反対です。何が起きるか分かりませんし、私のフォローも遅れる」

「ならセッタ、お前が連れて、」

「俺、世話係じゃねーもん」

「……分かった。俺が、夜に、離宮に行く」


 パチン、とヨルとセッタが愉快げにハイタッチしたのは気のせいだろうか。ジュードは諦念の息をつき、部下二人の挙動を無視した。


「居間でいいか」

「もちろん。でも、本当によろしいんですか?」


 おずおず聞けば「構うな」と首を振られる。


「失われかけた神秘には、俺も興味がある。書物を読むことで、もっと別の活用法も見つかるかもしれないしな。それを一人で読もうが二人で読もうが一緒だ。時間の短縮にもなるだろう。これも先行投資と思えば……」


 まるで自分に言い聞かせるように頷きながら言う様子は、とても「構わなくていい」ものではなかった。が、長年苦しめられてきた災厄を手懐ける鍵は、今のところ書物の中にしか望みがない。レイもそれ以上遠慮する余裕はなく、ではありがたく、と読み聞かせてもらうことにしたのだ。

 とはいえ、同じ部屋で王子様に本を読み聞かせてもらう機会など、これまで想像したこともない。信じられない気持ちがイマイチ抜けず、時々ジュードが見咎めるほどボンヤリしてしまう。もうこの読み聞かせの会も、始まってから五日を過ぎたというのに。


「しかし……次に届いたのがこの本だったのは痛いな」


 ポツリとジュードが言った。

 ジュードの手にあるのは、古代の詩歌集。訳者である竜王宮の文官の注釈によれば、当時有名だったものや優秀な過去の歌を集めて編纂したものだという。

 レイが燃やしてしまった雷気の本は、もう一度訳して送るよう頼んだものの、書き起こしには時間がかかる。その前に訳に取りかかっていた別の書物が書き起こし終わったから、と送られてきたのがこの詩歌集だった。


「内容が抽象的ですものね」

「ああ。どこまで正確なのかも分からん。雷気の記載があればなんでも、とは言ったが、まさかこんなものまで送られてくるとは」


 学術的な文章ではないので、ジュードもどう扱っていいか迷っているようだ。

 おまけに吟遊詩人が作った始祖竜への賛歌から、雷気を持つ娘へ捧げられた詠み人知らずの愛の歌までと、膨大な量の詩歌が収録されているのだ。これは、と思って読み始めた歌でも「いや、これは多分違うな。ただの国への礼賛だった」と、途中で止まることもしばしば。


「でも、今のはわりと重要な歌だった気がします。今までの賛歌とは一味違う感じがしました」

「そうだな。まず『竜の秘宝』が文頭にあるのが気になる。この『ドラゴンの母』というのは、ただの親和性を意味するのか、ほかに意味があるのか……」

「『永遠の繁栄』ってなんでしょう?」

「普通に考えれば平和だが……何かの比喩か?」

「うーん、永遠の平和……ありますかね?」


 ジュードは、ふ、と鼻で笑った。


「現実味がないな。やはりただの創作か……いや、『空に嵐』、これは雷気の出現を現すのか?」

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