「──お気に召したようで何よりです」

「きゃあっ!」


 突然の声がけに、パチン! 音を立てて雷気が弾ける。慌てて振り返ると、そこには空の右手を顔の高さで所在なげに揺らすヨルが立っていた。驚きに反応した雷気が、彼女の手を弾いてしまったらしい。サアッ、と血の気が引く。


「失敬、ノックはしたんですが……」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ! 大丈夫だった? 痛くない? いくら女性でも、強い静電気ぐらいの威力はあるのに、私ったら……!」

「大丈夫です。戦士ですから、痛みには慣れています。こちらこそ、不用意に後ろからお声をかけるべきではありませんでした。外まで声が聞こえたもので、何かご用かと……」

「ご、ごめんなさい、ひとりごとです……村ではほぼ引きこもって暮らしてたから、つい……」


 ひとりごとが多いのは、もはや癖だ。家族が不在で誰とも喋れないとなると、一人で問答をするしかなかったのが尾を引いている。

 恐縮するレイに対し、ヨルはかすかに首を傾げた。


「お気になさらず。しかし、……引きこもりとは、もったいないですね」

「え?」

「私にそんな力があったら、きっと外に意気揚々と出歩いて、あらゆる敵を打ち倒してましたよ。うまく使えば、戦士としての出世も早そうですし」


 深く感心するように言われ、言葉に詰まった。そ、そんなこと言われたの初めて……。


「あなた……ヨルさんは、雷気はいつ頃終わったんですか?」

「敬称は結構です、奥様」

「なら、私も奥様じゃなくていいです。どうも正真正銘の妻にはならなさそうだし」


 自嘲を込めて言うと、また首を傾げられた。


「そうですか? では……レイ様とお呼びします。雷気のことですが、私にはそういう神秘が備わったことはありません。ドラクルの生まれじゃないので」

「あら、そうだったの? 生まれはどこ?」

「ジュード様の部隊には異人も多いですよ。使えるものはわりとなんでも使う方なので。ただ、生まれについてはご容赦を。今はドラクルに身を捧げる戦士ですので」


 小さく頭を下げる彼女の頬をかすめる編んだ髪に、レイはハッとした。


「あ……ごめんなさい。私、気が回らなくて……」

「いえ、気にしない人間もいますから」

「いいえ。無礼を指摘してくれて助かりました。今後は気をつけられます」


 ヨルはかすかに笑みを浮かべた後、


「そういえば、取り寄せていた香油が届きました」


 と告げた。


「まあ、ありがとうございます! 早いのね。もっとかかるかと思った」

「他の戦士に、方々回ってなんとしても手に入れるように言ったんです。そしたら、近場の村に運良く取り扱いがあったとかで」

「え、そんな、良かったの? お邪魔では……」

「大丈夫です。今、レイ様のおかげで私かなり権力があるので」


 ぐ、と親指を立てて言うヨルに、なんとも言えない気持ちになった。ジュードが言っていた、


『他に人手が欲しけりゃ、お前が勝手に決めていい。──その権限をやる』


 って、こういうことだったのか……今後、頼みごとは頻度を控えめにしたほうがいいのかもしれない。

 悶々とするレイをよそに、ヨルは「それで、あー……」とバツ悪そうに言葉を探す。


「レイ様、ちょっとご相談なんですけど」

「はい」

「まあ、嫌だったら全然断ってくださって構わないですし、なんなら私も断ってもらったほうがありがたいんですが、」

「んん? ヨルさ……、いえ、ヨル。ごめんなさい、よく分からないわ」


 なんの話? と尋ねると、ヨルは苦悶の唸りをあげた後、思い切るように言った。


「その香油を取ってきたやつが、レイ様に会って直接お渡ししたいと言っていて」

「まあ」


 男性だろうか。男性だろうな。戦士だし、ここにはヨル以外に女性はいないと言われている。

 会って平気だろうか。手渡されたりしなければ、距離は取れるはずだけど。


 悩む間も、ヨルの話は続いている。


「本当に、全然、断っていただいて結構です。なんせかなり無礼なやつですし、常識が備わってないっていうか、本当にムカつく野郎なんで、」


 その時、コンコン! と咎めるようなノックの音が響いた。驚きにレイの頬にうっすら稲妻が走る。ヨルは苦虫を潰したような顔でため息をついた。

 声を潜めて聞く。


「……もうそこに来てるの?」

「すみません、礼儀知らずの強引なやつで」


 コンコンコン!! 再びノックの音が挟まれた。聞こえたのだろうか。口を抑えると、今度は焦れたようにノックがリズムを刻み始める。


 コンコンココンココンココン、ココンコンコンココンノコン、


「──っうるっさいな! だから今聞いてやってんでしょ、大人しくしてろ!!」

「よ、ヨル、ヨル、落ち着いて、いいわ、入ってもらって! 私は大丈夫だから!」


 先程までの冷静沈着さをかなぐり捨てて怒るヨルを慌てて制止し、促した。ヨルが扉を忌々しげに開ける。

 そこにはグレーの布で頭部から目元までを覆い隠した、すらりと背の高い男性が立っていた。ジュードより少し低いくらいだろうか。けど、ジュードよりも分厚い体ではないのでそこまでの威圧感はない。角のないすっきりした頬から口元にかけて浮かぶのは、大げさに思えるほどの笑顔だ。その笑顔が、彼の得体の知れない印象を和らげていた。

 表情豊かな口元が、レイを認めてまた口角を上げた。布の下から肩に落ちた、何本かに分けて編まれたごく暗い青の髪を揺らしながら、彼は気安い挨拶をした。


「ヤッホー! 俺の名前はセッタ! ようこそ、俺たちの花嫁! このクソ暑い極北へ、って痛ぇっ! なんで殴るんだよ、ヨル!」

「うるさい、あんたの花嫁じゃないから」


 冷徹に拳を握るヨルに「よこしな」と手に持った包みをふんだくられたセッタは


「ちょい待ち、渡す前に聞きたいことあんだって」


 と包みを取り返して、頭より高く上げてしまう。レイより高いとは言え、それほど背丈のないヨルがやすやすと取り返せる高さではない。ヨルは盛大な舌打ちをする。

「ならさっさと聞いて帰んなさいよ」と言うヨルに、セッタはヘラリと笑ったまま


「じゃあ簡潔に。花嫁、これ、何に使うの? ジュードの暗殺とか?」


 と言った。


「えっ………」

「おい!」


 言葉を失うレイの代わりに、ヨルが叱責とともにセッタの尻に蹴りを入れた。


「痛! やめろよ、そうやって人の尻バカスカ蹴るの。飛べなくてストレス溜まってんのは分かるけどさあ」

「あんたが失礼なこと聞くからでしょ。それはただの香油。それに、あんた自身が買いに行ったシロモノなんだから、この香油が変なものだったら、それはあんたのミスでしょうが」

「念のためだよ。俺たち一応、第一王子様の部下なんだしさあ。ジュードに敵が多いのなんて今に始まったことじゃないし、花嫁が間者かも、って、警戒すんのは部下の義務だろ?」


 そのセリフにギョッとする。確かに出会いは傍目から見ても最悪だっただろうけど、そんな嫌疑をかけられていたなんて!


「あ、あの、私、違います! 暗殺なんてそんな、これはただ、気を落ち着けるためのもので、」

「そうだよ、この人、動きも体も明らか素人だから。そんな芸当できっこない」

「そう、そうです、……うん?」


 なんだろう、今、軽く悪口を言われた気がする。

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