竜王宮の本




「まったく、なぁーにが『徳高き息子』よ。自分の息子可愛さに目が曇ってるんじゃないの? 竜王って」


 東の離宮の一角。与えられた主寝室の天蓋付きベッドに寝転んで、レイは悪態をついた。

 夫に突きつけられた『妻なんかいらん、とにかく俺の邪魔をするな』宣言から早三日。最初は衝撃に呆然とばかりしていたが、慣れてくるとふつふつ不満がこみ上げてきた。

 もちろん、彼が『徳高き息子』だったのは昔の話で、今は『乱心の王子』。けど、これほど落差があると、そもそも初手の印象自体が間違っていたのでは? と思いたくもなる。とはいえ、レイは『徳高き息子』と呼ばれた頃のジュードには会ったこともないのだが。


「妻がいらないなら、最初からそう言っといてよね。竜王に押し付けられたんだかなんだか知らないけど、押し付けられる側の身にもなってほしいものだわ」


 人生で初めて求められたと思ったのに、決めたのは竜王で、本人は別にレイのことなんかいらなくて……考えれば考えるほど陰鬱とした気分が雨雲のように心に垂れ込めてくる。ティルラー竜王はよほどあの長子が可愛いらしいが、政略の道具にさえ成り損なったこの身は、ただただ悲しい。


 トドメに『雷気を制御しろ』ときた。

 それも、ただ抑えるだけじゃない。自在に操り、人を狙って真っ二つにできるようにしてみせろ、と。


「乱心も、人に暴力を強要するまでになると重症ね」


 口にするとゾッとして、それから怒りがこみ上げた。


 なにが目的か知らないけど、雷気で人を真っ二つ? できるわけないじゃない!! 仮にできても、頼まれたってしないわよそんなこと!!

 私は絶対に、人を傷つけるための訓練なんかしない。──乱心王子の思い通りになんかなってやるもんか!


 飛び起き、拳を固めて決意する。しかし、決意はしたものの……そうなると、だ。


「あーあ。ここでも結局、居場所なしかあ」


 レイは再びベッドに倒れた。

 本物の花嫁になれないなら、なにかここでできる仕事を、と思っても、引きこもって家のことをしてきたレイには家事しかできることはない。ところが、ここでは戦士たち自身が家事を全て担うという。

 なんでも『自分の面倒も見れない人間に、任務が正しく遂行できるわけがない』という名目の元、持ち回りで家事当番が決まっているのだとか。そんなところにレイ一人が「家事はお任せを!」と乗り込んだところで顰蹙を買うだけだろう。雷気が誰かを傷つけない保証もない。


 つまり、居場所なし。村にいた時と同じに。


「はあ~あ~、がっかり……」


 人生がガラッと変わる転機だと思ったのに、これでは場所が変わっただけだ。ロマンスはおろか、冒険のボの字もないではないか。


「こんな力さえ無かったらな。いつも私の足を引っ張るんだから。ほんと、竜の加護なんて大っ嫌い……」


 レイはしばらくそうやって暗い気持ちに浸った。だが、やがてむくりと起き上がると、拳を握った。


「こうなったら仕方ないわね……良いところを考えましょう、レイ!」


 レイの長所は、この楽観的にも見える前向きさだ。不運に飲み込まれないためには、現状の良いところを探すに限る。

 レイは指を折って現状の確認を始めた。


「まず、サイリとメイリと離れられた。よくやったわ。これで妹たちの縁談に障りはなくなった。それどころか、……もしかしたら、良いところに貰ってもらえるかもしれないわね。乱心してるとはいえ王子様なんだし、縁続きになりたい人はいるかも。その分、政略の縁談も多くなるかもしれないけど……そこはお父さんがなんとかしてくれるでしょう」


 父の愛が妹たちをあらゆる毒牙から守ってくれることを信じ、これは良いことにカウントする。レイがジュードの正真正銘の妻になることはなさそうだが、外野からはそんな事情、分かりっこない。


「命じられたことは……雷気の制御は、やりたくなかったらやらなくてもいいって言ってたし、実質一つ。『邪魔をしないこと』だけっていうのも大きいわ。これさえ守れば追い出されはしないんでしょ? この方法なら熟知してる。引きこもってれば、解決ね。慣れてるし、きっと完璧にこなせるわ」


 雷気を出さない方法……それすなわち、刺激から遠ざかる。これ一択だ。

 心を揺らしさえしなければ、レイは誰も傷つけないでいられる。残る逸話のほとんどないこの災厄と、なんとか手探り状態でともに生き延びてきたレイの知恵だ。

 もちろん最初からそんなつもりはなかったけれど、部下を傷つけたとしたら、これは『邪魔』にカウントされるだろう。自分の身を守るためにも、引きこもりは最優先事項と言える。


「あとは、……そうね。東の離宮をくれるなんて、運が良かったわ。不要の妻なんて、話を遮った時点で牢に入れられてもおかしくなかったもの。斬られそうにはなったけど、今のところ怪我もなく、無事。うん。ラッキーね」


「それに──」レイはぴょんとベッドから飛び降りて、くるりとその場でターンし、両手を天に掲げた。


「この離宮の美しさって言ったら! 見てよ、あの装飾を!」


 レイは誰もいない寝室の天井を指さす。指の先では、美しいドラゴン、それに太陽と月、流れる水の模様の彫刻装飾が天井から壁面にかけてを覆い尽くしていた。

 しかもそれはここだけではない。この離宮のどの部屋、どの天井、どの廊下にも、これと同じような精緻な彫刻装飾が施されているのだ。置かれた調度品も、建物に見合う豪華さである。天蓋付きのベッドに寝たのなんて人生で初めてだった。

 外見は素っ気ないほど簡素な四角が連なる建物だが、内部は実に豪奢で目がくらむ。


「本当に、どこもかしこも綺麗よね。オアシスだとは聞いてたけど、ここまで水が潤沢だとも思ってなかった」


 外は砂を孕んだ乾いた風が吹き付け肌に痛いほどだが、ここは違う。敷地には大理石の石が寸分の狂いなくぴったりと敷かれていて、砂の入り込む余地はまったくない。アーチ型の柱廊に囲まれた中庭はちょっとした宴ができそうなほどの広さがあるし、中心には清い水の流れる噴水まである。

 レイが呆然と三日も過ごしてしまったのは、ジュードからのあの宣告の他、この離宮の豪華さに脳天を揺らされたからだ。これがなければ、ぼけっと過ごすのもきっと二日半で済んでいたことだろう。

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