名も無き坊主&龍ノ王(戦場の曼珠沙華) 死闘版

 山程もある巨大な鬼。顔が三つに腕が四本と、まるで仏のような姿をしていた。

 然しそのうちの一本の先に、錫杖を持った彼がいた。大きいせいで動きは遅い、蚊を捕まえるように他の手が迫ってくる。

 だっと駆け出し、赤黒い腕の上を走る。懐から一枚札を取り出した。落ちる覚悟で一際大きく足を踏み出し、首に目掛けて投げた。

 右足が宙に浮く。結界でどうにか衝撃を和らげられたらいいが⋯⋯そう落ちていく視界に札がほんのり光っているのを確認した。刹那、どんっと横からぶつかられ、思わず口を開いた。

 反射的に手が緩み、錫杖が地面に吸い込まれる。坊主は咳き込みつつも相手の肩に手を置き、睨みつけた。

 横から飛び出してきたのは人間と鬼が混ざったような風貌の老人で、この城の重鎮として活躍していた武将の一人だ。恐らく巨大な鬼、殿に札を貼った場面を見たのだろう、舌打ちをかまし相手の角を掴んだ。

 既に両手には物理的に妖怪を殴る事が出来る札を貼っており、拳を引くと硬いこめかみに向かって何度も殴りつけた。だがぐんっと向きが変わる。視界に空が見えた。

 はっとして振り向いた。自分の背中が瓦礫に向かっている。折れて鋭利になった木材に向かっている。

 結界では到底防ぎきれない、坊主は首筋に血管を浮かべ更に殴りつけた。皮膚が負けて血が流れようとも痛みは感じない、歯が砕ける程に力を入れ、角に両手をかけた。

 力を入れにくい体勢のまま外側に向かって角を引っ張った。あと少し、あと少しで串刺しになる。その一歩手前で角が根元から剥がれ、痛みに喘ぐ声が聞こえた。

 同時に手の力が緩み、坊主は上手い事鬼の身体を蹴って引き剥がした。然し無傷では済まない、蹴った反動で余計に近づいてしまった。

 土埃をあげて衝突する。鬼は受け身を取って立ち上がり、様子を見た。

「くっそ⋯⋯」

 身体を貫かれる事はなかった。だが彼の右腕に突き刺さっており、無理矢理引き抜くとだらだらと血が流れた。

 腕が一本いかれた、それだけでも不利になる。瓦礫の山から降りる。薄汚れた土の地面に血溜まりができ始める。

 眼前の老鬼は余裕綽々としており、いつでも動きだせる雰囲気を纏っていた。巨大な鬼に札を貼り付けられたのは大きいが、これでは祓う前に死んでしまう。

 そう判断すると息を吸い込み、腹から声を出した。来い、と。

 刹那、どこからともなく龍の咆哮が聞こえ、老鬼も巨大な鬼も反応した。この世に今いる龍は一体しかいない、それを本能的に知っているのだろう。

『酷い有り様だ』

 空から降りてきたのは片眼のない真っ黒な龍。傷だらけで角もばらばらな龍は、坊主を護るように老鬼を睨みつけた。

 元々陰の妖怪であり、長い事仏具に封印されていた影響で陽に転じた龍ノ王の威圧は、元々人間であった老鬼にはかなりのものだった。ずっ、と足裏が後ろにずれる。

 坊主は右肩を軽く押さえつつ後ろに退る。片腕だけならでかいのは自分一人で出来る、それを言わずとも感じ取ったのか、龍ノ王は般若のような顔で咆哮した。老鬼は身震いしたあと呼応するように怒りの声をあげる。

 瞬間坊主は走り出し、懐から残り少ない札を探した。老鬼が反応する前に龍ノ王が長い身体を鞭のようにしならせ、腹にぶつけた。

『よそ見をするな』

 ごろごろと暗雲から雷の音が響いてくる。腹を押さえて歯を見せる老鬼に、龍ノ王はこれ以上通さないと言いたげに坊主に背を向けた。

 懐から取り出した札を口に咥え、錫杖を拾い上げる。然し影が降り、上を見た。

 巨大な足裏が迫ってきていた。慌てて跳び退く。地鳴りが響き、土がそこを中心にひび割れた。

 動きはかなり遅い。だがその代わりに気配が薄い、死角から迫ってきてもぎりぎりまで気がつけない。

 坊主は眉根を寄せ、首にある札を見た。待機状態だ、いつでも発動出来る。然しあれを発動させるには、口にある札をもう一つの急所に貼り付けないといけない。これは他の者でもいい、だが老鬼と巨大な鬼以外は全員やってしまった。

 こうなるなら残しておけば良かった⋯⋯そう後悔したところで遅い。油断してしまった自分を恥じるしかない。しゃりんっと錫杖を鳴らし走り出した。

 もう一つの急所は左胸か頭だ。太ももでも元が人間だから急所にはなるが、望みは薄い。どうにかして先程のように上に行かなければならない。

 龍ノ王が老鬼を抑えている以上、死を覚悟で誘う方法しか彼には無い。手で握りつぶしたくなるように、厄介な蝿のようにちょこまかと動く。すると前かがみになって手を使い始めた。

 然し掌も拳もふざけた大きさで、尚且つ四つもあって気配も薄い。かなりぎりぎりで、飛び移ろうにも上手くいかなかった。

「やっぱ片腕は、きちいな」

 息があがる。錫杖が長く重たいせいで動きに制限が出る。それに止血を中途半端にしたから、どんどんと身体から抜けていってしまう。札を咥えている分口呼吸もままならず、錫杖を捨てるか迷った。

 だがこれにも妖怪は屈する、攻撃を一度弾いたり出来るし、いざとなれば突き刺して痛手を負わせる事も出来る。手放すにはあまりにも惜しい存在だ。

 然しその時、横からの手に反応が遅れた。血液不足で集中力がきれたせいだろうか、はっと眼を見張った時には遅く、がっと掴みあげられた。

 と同時に全方位から力が加わる。全身の骨が砕け散り散りになってしまう、そう思ってしまう程の力で身体のなかからみしみしという音が聞こえた。

 このままでは握りつぶされてしまう、どくんどくんと心臓が波打った瞬間、手首に龍の牙が突き刺さった。分厚い皮膚に食い込み、敗れる。血が吹き出すと共に力任せに引きちぎった。

 だが龍ノ王の頭上に小さいが確かな影があった。坊主が叫ぶよりも前に老鬼の踵落としが脳天にぶつかり、ぎょろりとした眼が上を向いた。口から手首が離れ、そのまま落ちた。

 硬直した大きな指になんとか抜け出す。然し右腕を庇う程の余裕はなく、傷が広がった。ずきんっと心臓に響く痛みに錫杖を落とし唸り声をあげる。ふーふーっと耐え忍ぶ息が吐き出される。

 その時、巨大な鬼の悲痛な声が響き、呼応するように老鬼の怒号が鼓膜を刺激した。嫌な予感がして顔をあげる。気絶しかけている龍ノ王の顎下を掴んでおり、めきめきめきっと僅かに音が鳴っていた。

 本体は寺にあるから死ぬ事はないが、かなり本体に近い幻影である事は確かだ。それなりの欠損を負えばその分本体の力も弱まり、すぐに復帰出来なくなる。ここでそれをされれば⋯⋯坊主は喉から血が出る程の勢いで叫び、錫杖を持った。

 殺意が老鬼の意識を向けさせる。鬼の眼がこちらを向いた瞬間、肩を壊すつもりで錫杖を投げた。豪速球のそれは老鬼の額に突き刺さり、奥まで貫いた。

 静寂が流れる。左肩は案の定筋が切れ、手先が痺れていた。荒い息を何度も吐き出す。

 然し後ろに仰け反った頭がゆっくりと動き出し、眼を丸くした。

「嘘だろ」

 頭は急所だ。普通はこれで死ぬ。痺れる左腕がだらりと降りた。

 瞬間、龍ノ王の眼がぎょろりと老鬼を睨みつけ、そのまま頭を思い切り振るった。老鬼は吹き飛ばされ、積まれた城の基礎にぶち当たった。その衝撃で錫杖が抜け落ちる。

 老鬼は白眼を向いて落下するとぐしゃりと静かに音をたてた。気配がすうっと消える。息を吐いた。

 名も無き坊主はふらふらと立ち上がり、鬼を見上げた。もう左腕も自由には動かせない。だがこうなれば道筋は見えている。

 龍ノ王の背に飛び乗り、隙を窺う。痺れてはいるが貼り付けるだけならなんとかなる。左手に札を持ち息を整えた。その時だ。

 ぐんっと引っ張られ、足元がふらついた。龍の尻尾が握られており、老鬼の攻撃もあって力が弱っている龍ノ王は抵抗が出来なかった。このままでは落ちるだけだ、それなら。

 坊主は少し身体の上を走ると気合いだけで跳び上がった。そして左腕の僅かな感覚を頼りに札を掴み、心臓のある胸に向かって振り下ろした。ぴたりと貼りつく。

 また落ちゆく感覚に、首と胸の札が強く光ったのを見た。そして効果が発動、同時に太刀で切り裂かれたように一本赤い線が現れ、血が吹き出した。後ろに倒れていく。

 ぽたぽたと雨のように血が降り、坊主はやりきった安堵感で繋ぎ止められていた意識を手放した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

アクション 白銀隼斗 @nekomaru16

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

同じコレクションの次の小説