名も無き坊主(戦場の曼珠沙華) 無双版

 とある城の当主が鬼と化し、大勢の兵士や民が下等な陰の妖怪になってしまったという知らせを受け、名も無き坊主はシノビの熊吉が手配した馬に乗り一直線に向かった。右手に手綱、左手に錫杖を握りしめたまま先を見つめる。

 刹那、ぐっと手綱を引きながら馬の向きを変えた瞬間、飛びかかってきた化け物を錫杖で殴り飛ばした。べちゃっと地面に叩きつけられる。

 視線をあげると禍々しい雰囲気の城を背後に雑魚妖怪が向かってきていた。恐らくこのまま村や集落、挙句の果てには他の城下町まで飲み込むつもりだろう。

 馬から降りるとぽんぽんっと首を叩いた。指示を受けた馬は逃げるように走り去っていく。

「ここで食い止める」

 懐から札を取り出し、錫杖に貼り付けた。柄の先を地面に向けたまま真っ直ぐ構える。

 どんどんと百鬼夜行は迫ってくる。彼一人では到底抑えきれない程の物量だ。然し坊主の足元は一切揺らがず、手で掴むようにふんじばっていた。

 妖怪達は人間一人を轢き殺す勢いで全体的に速度をあげた。然ししゃりんっと怒涛の音と鳴き声を掻き消す清い音が鳴ったあと、数秒の間をおいて先頭から順に爆発していった。

 柄の先は地面についており、妖怪の身体が弾け飛ぶ音が連続で響き続けた。そうしてしんっと静まり返る。ややあって錫杖の動く音が鳴った。

 辺り一面に散らばった妖怪共の血肉はゆっくりと消えていく。名も無き坊主は使い果たした札から模様が消滅したのを確認し、引き剥がした。そうして今度は錫杖を地面に突き刺した。

 袖から黒い数珠を取り出す。手に巻き付けると同時に妖怪が消える代わりに煙のような人影が次々と起き上がってくる。元は人間、とすれば魂は穢れている。

「必ず連れて行ってやる」

 然し普通に食われたのとは訳が違う。その魂の数も、穢れ方も、何もかもが桁違いだ。

 風が吹き荒れ、雲が太陽を隠した。汚れきった魂達は同じ邪気を吸っているせいか融合し、どんどんと山のように大きな陰に変わっていく。だが坊主は一切怯まずに瞼を閉じた。

 小さな子供程の陰、女性のような見た目の陰、そしてより固まった塊の陰、そのどれもが生者である彼に黒い手を伸ばした。のろのろと動きは遅いが確実に近づいてくる。そのうち小さい陰の指先が錫杖に触れようとした。

 だがその前に名も無き坊主の念仏が発動する。彼の足元を中心に巨大な蓮の花の蕾が出現し、ぴたりと陰達の動きが止まった。蕾は幾つか大小問わず広がっていき、巨大な陰の足元近くにまで辿り着いた。

 風が収まり、ややあって彼の足元から順にゆっくりと顔を見せた。全てが満開になった時、陰の腕が一斉にだらりと降りた。

「極楽浄土へ」

 彼がそう呟くと雲が割れ、静寂のなかを太陽光が照らした。陰達はそれを見上げ、霧のように消えていく。手前から、妖怪共が弾け飛んでいった時のように奥へかけて......。

 刹那、坊主が足を前に出して左手で数珠を引きながら右手で錫杖を掴んだ。がきんっと続けざまに甲高い音が鳴る。

 特殊な技法で造られた錫杖は鬼の牙さえ防ぐ、袖から覗く筋肉質な腕に血管を浮かべ、片手だけで二本の刃を受け止めていた。

「次は兵か」

 四本の腕を持つ武者の姿に気合いだけで振り払い、一つ跳んで距離を取った。袖に数珠をしまいながら一息吐く。かと思えば一気に姿勢を低くし、弾丸のように飛び出した。

 先程防いだ妖怪の喉元を柄の先で突き、そのまま押し倒しながら札を貼った。手荒な方法だが効果が発動、ばりんっと稲妻が走ったように震え、力を無くした。

 相手は理性のない陰の妖怪のなかでも位の低い存在、続け様に襲いかかってくる。然し坊主は的確にどの刀から振られるのかを判断し、自身の身長よりも長い錫杖を嘗ての薙刀のように振るった。

 当たれば札が発動して電撃が走る。そうでなくても彼自身の人間とは思えない怪力が腹や背中を強打する。流石に本能が危機感を覚えたのか、どんどんと無闇やたらに襲いかかってくる者は減った。

 息を短く吐きながらしゃんっと勢いよく錫杖を振るった。こびりついた妖怪の血肉が飛び土の上に広がる。

 消えていく死体を跨ぎ、右手に太刀と変わらない重さの錫杖を持ったまま近づく。数体の妖怪が彼の気迫に押されて後ずさった。

「逃がすか」

 ぼそりと呟いた瞬間、新たな札を貼り付けると一番近い妖怪に向かって走った。眼を見開き、錫杖を振りかぶった状態で右腕に力を入れた。ばんっと甲冑に長い柄が当たった瞬間、身体がばりばりと震える。

 然しそれだけではなかった。他二体の身体も震え出した。新たに貼った札の効果だ。文字や模様がほんのりと光っていた。

 ふわりと袖が舞う。反応しきれないあいだにも瞬きをしない坊主が迫る。あっと思った時には遅く、錫杖による一撃が身体を触れ、仲間を道ずれにした。

「ふう」

 静寂が流れる。名も無き坊主は一切呼吸を乱す事なく、再度錫杖を地面に突き刺した。そうして穏やかな気持ちと確かな法力を持って黒々とした数珠を絡める。

「極楽浄土へ」

 彼らが天を目指して消えていったあと、ふっと瞼をあげた。数珠をしまい、錫杖を抜く。城のある方角に顔を向けた。

 まだ当主以外の妖怪がいるはずだ。しかも幾らか強い連中だろう、明らかに漂ってくる妖力と邪気の強さが違う。

 名も無き坊主は着物の襟元を整え、錫杖を片手に足を踏み出した。

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