短編小説集

早乙女かな子

頼むから、夢で会ってくれ

 自分以外信じていないような、少し吊り上がった切れ長の目。どんなものでも咥えられそうな、横に広い血色感の強い唇。他の女子とは一線を画すそのオトナな雰囲気に、俺は甘い想像をしてしまう。

 だが、俺が彼女を好きになったのは、その見た目でも、読者モデルをしているからでも、イタリアのハーフだからでも、ない。そうしたステータスは、あくまでついでの理由だ。

 俺は、堂前瑠奈どうまえるなの、17歳に似つかわしくない言動が好きだった。


 俺は一学期、堂前瑠奈が、担任の村上に告白する瞬間を見た。二学期の放課後の誰もいなくなった教室。自分より背の低い、猫背でだるんだるんのトレーナーを着ている村上に、堂前瑠奈は何かを懇願しているのが廊下から見えた。部活終わりの帰りがけに忘れ物を取りに来た俺は、なぜかそのとき引き戸を開けてはいけないような気がして、扉に手をかけて止まった。小窓から俺の姿が見えないように、ちょっとだけ屈んだ。


「先生、卒業したら付き合ってよ」

 聞き間違えだと思った。村上は即答した。

「無理無理、捕まるってばあ」

 堂前瑠奈の声は震えていた。明らかに冗談ではなかったその告白を、村上は明るく笑い飛ばすことで冗談に格下げしたのだ。


 だが、彼女も引き下がらない。

「先生を捕まらせない。私が、絶対に」

 しびれた。扉にかけたままの指の先が、どきんと脈打つ。なに、ドラマの台詞みたいじゃん。

「というか、俺のどこが好きなの~? どこにでもいる普通のおじさんだよ」

 そうだ、普通のおっさんだろ。俺は心中で村上に同調する。29歳数学教師、噂によるとバツイチらしい、顔は可も不可もなく、強いて言うなら薄めの顔、服装だらしねえ、たぶん女にもだらしねえ……いやそう考えると、普通どころかいい要素が皆無すぎるだろ。

 少しの沈黙の後、堂前瑠奈は言った。


「生きるの下手そうなところが、好き。」


 その切なそうな声とワードセンスに、俺は一発で惚れた。今、お前はどんな顔をしている? 村上だけがその顔を見る権利を有しているなんて、許せなかった。


 俺がわざと大きな音を立てて教室に入ってくると、堂前は眉尻を下げて残念そうな顔をした。薄茶色の大きな瞳はじゅわりと潤んでいる。村上は助かったとばかりに、早く帰れよ、と、俺と堂前の中間地点あたりに声を落とし、そそくさと消えた。


「今の、聞いてた?」

 さっき村上と話していた時から、2トーンぐらい落とした冷たい無機質な声。

「なんも」


 それが、堂前瑠奈と俺の記念すべき初会話であった。


       ●


 自分で言うのも何だが、俺は顔面が強い。日本人離れした彫りの深さは、父親譲りだ。背だって180ある。ついでに成績も悪くはない。むしろ、このままいけば推薦でそこそこの私大に入れるぐらいには、いい。

 女子なのに身長が170あって、読モをしていて、ハーフ美人の堂前瑠奈と並んでも、見劣りしない自信はあった。


今学期に入って、女子からの告白は2回目だった。高二に上がってからの半年では5回。高校生活通算で8回。今、俺に振られた子は、涙を目に浮かべながら、精いっぱいのお辞儀をして、ありがとうと言って去って行った。すぐに近くの理科準備室から、がんばったねえ、えらいよぉと何人かの女子が細い声で励ましているのが聞こえた。


 告白してきた女子の顔はみんな覚えている。容姿はクラスの中心のキレイ・可愛い系から、あまり目立たないタイプの地味な子までさまざまだが、外見には大して興味がない。

 俺は、返事をする前に必ず俺のことを好きになった理由を聞くことにしている。


「荒木君の顔がタイプだから」

「優しくて、ノリがいいから」

「一緒にいて楽しいなって思ったから」


 そんな陳腐な回答じゃだめなんだよ。俺の心は、満たされない。8人全員からの告白を断った。いつもつるんでる奴らには、贅沢な男、と皮肉を浴びせかけられるが、これだけは譲れなかった。


「生きるの下手そうなところが、好き。」


 数か月前に聞いた、堂前瑠奈が発していたフレーズを誰にも聞こえないように口ずさむ。普通の17歳には、こんな言葉、逆立ちしたって出ねえよな。

 もしも堂前瑠奈が俺に告白してきたら、俺を好きになった理由として、どんなことを聞かせてくれるだろうか? きっと俺が想像できないぐらい面白いことを言ってくれるに違いない。この教室にいる全員とは違う世界にいる、あいつのことだから。




 堂前瑠奈は、群れない。普通の女子と違って、いつも一人で行動している。その上、時々モデルの仕事で早退する。早退した分のノートは、誰かに見せてもらっているのだろうか。見ている限り、特別仲の良い友達もいなさそうだった。


 こういう時に人目を憚らず「ノート見せようか?」と彼女に手を差し伸べると、他の女子がやっかんで戦争が始まるのを俺は知っている。

 堂前瑠奈は今日、古文の補習を受ける。うちのクラスで補習を受けるのが彼女だけだということはリサーチ済みだ。俺はその時間になるまで、勉強しているフリをして待った。


 五時を過ぎると、彼女はノートとペンケースを小脇に抱えて教室に戻ってきた。

 俺は軽く伸びをして、ああもうこんな時間か、と時計を見て気づく演技をした。久しぶりに心臓がばくばくしている。軽く咳払いをしてから、発声した。


「堂前さん、二学期になって今更だけど、ノート大丈夫? いちおう俺授業は全部起きてるし、見せてあげよっか」


 あれだけ心の中で練習した言葉は、上ずって妙に調子外れだった。堂前瑠奈は毛先だけカールした綺麗な髪の毛を靡かせて、俺を振り返った。


「いらない。全部村上先生が教科の先生からコピー貰ってくれてるから」


 表情は全くの、無。一応、今まで俺に話しかけられた子たちは、みんな嬉しそうにしたり、顔を赤くして焦るような素振りだったりをする。気を惹くためにわざと興味がないフリをする子もたまにいたけれど、それすらも感じさせない、圧倒的な、無。


「そーなんだ、了解~」


 俺がひらひらと手を振ると、堂前瑠奈はさっさとスクールバックを背負って、教室から出ていった。何も手に入らなかった虚無感と同時に、どこか納得した。ああ、これが堂前瑠奈という人間なんだと。

 胸が絞られる。きゅんとした。俺は、俺に興味のない堂前瑠奈が好きだ。このときめきを発散するために、誰もいない教室の中で、180センチの大男が足をばたつかせた。


 その日の夜、堂前瑠奈の夢を見た。夢の中だから、好き勝手にルナ、と呼ぶ。ルナは、俺と駅前の喫茶店でデートをしていた。(たぶん)大好物のプリンアラモードのホイップを口元につけて、クールな見た目に反してお茶目な一面を見せていた。

 ブラックコーヒー(現実では苦手だ)を飲む俺は、目を細めてルナの頬についたホイップを親指で拭って、それをぺろりと舐めた。

「そういうのやめてよ」 

 恥ずかしいじゃん。ルナは顔を紅くして怒った。つける奴が悪いと俺が言うと、もっと怒った。でも、いつもクールで無表情が多いルナの怒った顔は、かなりレアだ。ガチャで言うと、SSRぐらい。きらりと光る演出の幻をまぶたの奥で見た。夢だと判っているのに、嬉しくてしょうがなかった。


 

      ●


 それから俺は残りの高校生活で、何度もルナの夢を見た。

 夢の中のルナは、俺にたくさんの自分を見せてくれた。ルナは甘党。色は、実はピンクが好きだけど、可愛すぎて自分のイメージに合わないから黒って言ってること。ウサギが好きで、ベッドにはミッフィーのぬいぐるみをたくさん置いていること。

 俺たちは喫茶店どころか、ディズニーランドにも行ったし、キスだってセックスだってした。夢の中では、どんな恥ずかしい愛情表現も容易にできた。何百回でも好きだと言えた。

 この頃にはもう、朝目が覚めたとき、現実の自分の腕の中にルナがいない喪失感よりも、またルナが夢に出てくる日を待ちわびることができる喜びの方が大きくなっていた。恋人を待つ切なさと儚さ。このエモさに俺は病みつきになる。


 一方で、現実での堂前瑠奈とは、全く進展しなかった。理由はシンプルに、彼女はめったに学校に来なくなったからだ。

 堂前瑠奈は、読モから着実に人気を上げていたのだが、ある日ローカル番組での塩対応の食レポがSNSでバズり、それを皮切りに突然ブレイクした。

 それまでほとんど月一の雑誌しかなかった堂前瑠奈の情報源が、他の雑誌、バラエティ番組、朝のニュースの1コーナー、ラジオ、ネット記事、事務所のyoutube配信など、日を追うごとに凄まじい勢いで増えていった。

 俺はそれらをひとつと漏らさず確認して、ルナの人物像との答え合わせをした。これは、夢に出てくるルナに血を通わせ、より解像度を上げるための作業だった。

 堂前瑠奈は甘いものが大の苦手。好きな食べ物はプリンアラモードじゃなくて、イカの塩辛。好きな色は、ピンクでも黒でもなく、赤。寝る時はヨギボーの抱き枕を使っている。

 プロフィールはどんどんアップデートされた。それでも集めきれなかったのは、彼女が恋をした相手に、本当はどんな顔表情を見せるかという情報だけだった。俺の脳内補正が強くかかったルナは、いつだって俺の求める反応をしてくれるけど、いまいちリアリティに欠けていた。


 高校を卒業する頃には、堂前瑠奈は、朝の情報番組にお天気キャスターとしてレギュラー出演するようになっていた。CMやバラエティのゲストやラジオの仕事もこなす、モデル出身のハーフマルチタレント。決して誰かのコピーではない、媚びずに塩っ気のあるキャラクター性。堂前瑠奈は、世界に見つかったんじゃない。きらびやかな芸能界の舞台に、自分から満を持して現れたような存在だった。


 そんな人気タレントの堂前瑠奈は、高校の卒業式に遅刻して現れた。テレビ局からそのまま来たのだろう。卒業生を送る歌の途中で、まぶたを化粧できらきら光らせながら走ってきて、こっそり最後尾の端に並んだ。目立たないようにしていたつもりだろうが、その場にいた全員が、堂前瑠奈に視線を向けていた。

 式典後に、彼女と写真を撮りたいという人たちの群れが過ぎ去る頃には、夕方になっていた。


 俺は、この時を待っていた。

 今日こそ、本物の堂前瑠奈に告白する。第二ボタンはおろか袖口まで全てのボタンを失くして、胸元に赤い花飾りだけがついたブレザーを纏って、俺は意気揚々と体育館裏に向かった。さきほど、堂前瑠奈が一人でこちらに走って行ったのを見かけたのだ。


「先生、好き」


 心臓が裂かれた。曲がり角を曲がって、彼女の名前を呼ぶ直前でのことだった。夢の中で何百回何千回と俺の名前を読んだその声が、現実ではやっぱり別の男に愛を囁いている。


「わはは、困ったなあ~……」

「誤魔化さないで答えて。私もう、高校卒業したよ?」


 村上はいつもの間延びした口調で逃げ切ろうとするが、ねえ!と強い口調で堂前瑠奈に正される。村上は溜息をついた。そして、いつになく真剣で、丁寧な口調で諭すように語り始めた。


「堂前さん。君はもう立派な芸能人だし、その前に一人の大人になった。ここで話してることだって、誰に聞かれているか分からない。もし、君に悪意を持ってる人がどこかで動画を撮ってネットなんかに流したりしたら、君はせっかく自分でつかんだチャンスを不意にすることになる。もう大人だっていうなら、そういうことにだって気を配らないといけない」


 村上の数式を解説するような理路整然とした説得に、堂前瑠奈のすすり泣く声が混じる。それでも彼女は、朝に全国の視聴者に天気を伝えてきたばかりのその声帯を振り絞って、叫んだのだった。

 

「スキャンダルなんて怖くない! 仕事がなくなったって、先生と一緒にいられたら私、幸せだよ」


 俺は音を立てないように、顔を伏せて、静かに座り込んだ。腹の底から湧き上がるものを必死で抑える。やっぱり、堂前瑠奈は、最高だ。


「私、まだ先生から答え聞いてない。教え子だから、芸能人だからってことを全部抜きにして答えて。……先生は、祥太郎さんは、一人の女として、堂前瑠奈が、好き?」


 高校二年の一学期、あの時教室で一瞬だけ見た、堂前瑠奈の潤んだ目を思い出す。きっと今も、あの目をしているに違いない。


 村上は諦めたように、好きに決まってるだろ、と呟いた。


 ここで、俺と堂前瑠奈の物語は幕を閉じた。俺はゆっくり立ち上がって、その場を後にする。


 堂前瑠奈は、村上を選ぶ。村上もいつか、堂前瑠奈を選ぶ。頭の半分では、いつかこうなるんじゃないかって、本当は分かっていた。

 俺は、俺に興味のない堂前瑠奈が好きだった。同年代じゃ持て余す、大人びたクールな堂前瑠奈が、好きだった。それでも、振り向いて欲しい気持ちが微塵もなかったというわけでもなかった。村上に向ける笑顔の、ほんの1%でもいいから、俺にその感情を見せてほしかった。メディアを通じた情報じゃなくて、生身のお前を通じて、堂前瑠奈という人間の奥行きを、もっと知りたかった。

 きっと、そのためには、自分からたくさん話しかけるべきだったんだ。俺は告白をされたことは何回もあるが、自分からしたことは人生で一度もなかった。今さら言い訳にすらならないが、俺は人を好きになったとき、どうしたらいいのかを知らなかった。自分を好きになってくれた子には、偉そうに理由とか聞いていたくせに。


 堂前瑠奈が村上にしていたみたいに、俺も周りなんて気にせずに、なりふり構わずアタックしまくってたら、何かが変わっていたんだろうか。

 いや、現実の俺には、無理だ。夢の中でなら、どんなに恥ずかしい愛の言葉だって、臆面もなく囁けたのに。


「生きるの下手そうなところが、好き。」


 いつか俺も、その言葉を誰かに言われてみたかった。でも、その「誰か」はきっと、堂前瑠奈以外にはいない。過去にも、この先にも、現れない。


 俺は後輩から貰ったチューリップの小さな花束を片手に、三月の夕方の冷えた風に体温を奪われながら、帰路についた。ルナの夢は、もう見れない気がした。

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