不遇を託つ

三鹿ショート

不遇を託つ

 気が付くと、真白な空間に立っていた。

 虚空に向かって叫んだとしても、返事をする人間は存在していない。

 一体、私は何故この場所に立っているのだろうか。

 此処で目覚める前までの記憶が無いために、どのような方法でこの場所から出て行くのかがまるで分からない。

 首を傾げていると、不意に背後から肩を叩かれた。

 振り返ると、其処には見知らぬ女性が笑顔を浮かべていた。

 先ほどまで無人だったにも関わらず、何時の間に現われたのだろうか。

 私の疑問を余所に、彼女は頭を下げた。

「手違いが発生したことを、謝罪します」

「手違い、とは」

 顔を上げた彼女は、神妙な面持ちへと変化していた。

「能力に応じた人生を送らせるはずでしたが、あなたが送った人生は、別の人間のものだったのです。此方の手違いで、あなたを苦しませることになってしまったことは、どれほど謝罪したとしても、許されることではないと思っています」

 その言葉から、彼女が人間ではないということを理解した。

 同時に、私は此処で目覚める前のことを思い出した。


***


 私は幼少の時分から、他者より優れていた。

 これは傲慢でも何でもなく、事実である。

 だが、それを自慢するような言動を示してしまうと、他者の怒りを買うことになるということは理解していたために、謙虚な生き方を心がけていた。

 しかし、その選択が全ての原因だった。

 優秀ながらも他者を尊重するために、私は多くの仕事を押しつけられるようになってしまったのだ。

 手を抜くことも可能だったのだが、不備が発見されれば私の責任であることは間違いないために、常に力を尽くしていた。

 その結果、私は過労で倒れ、人生に絶望し、背の高い建物の屋上から飛び降りたのである。

 そして、目が覚めると、この場所に立っていたのだった。


***


 既に終了した人生を思い出していると、彼女は指を三本立たせた。

「手違いに対する詫びとして、人生をやり直す機会を三度与えます。誕生したときからでも、学生時代からでも、始まりは何処でも構いません。勿論、一度目の選択であなたが満足すれば、二度目、三度目をわざわざ行う必要はありません。ですが、そもそもやり直す必要は無いと言うのならば、それでも構いません。どうしますか」

 彼女にそう告げられた私は、迷うことなくやり直すことを決めた。

 私の能力を考えれば、より良い人生を送ることができたはずなのだ。

 たとえ間違った方向へ進んだとしても、やり直すことができる機会は一度だけではない。

 取り返しがつかない結末に至った場合、再びやり直し、異なる道を選べば良いのだ。

 私がやり直すことを告げると、彼女は首肯を返した。

「目を閉じてください」

 その言葉に従い、目を閉じた。

 気が付くと、小学校の入学式だった。


***


 記憶は引き継がれていたために、私はこれまでの人生とは異なる選択をするように心がけた。

 他者の仕事を全て引き受けることはないが、不親切な人間だと思われないためにも、全てを断ることはない。

 傲慢さを出さずに、自身が優れているということを示し続ける。

 その結果、明らかにやり直す前よりも良い生活を送ることができるようになった。

 誰もが耳にしたことがあるような会社で働き、贅沢な日々を過ごし、美しい恋人と週末を愉しんだ。

 やがて結婚し、子どもが誕生してからも、およそ汚点と呼ぶことができるような事態に遭遇することはなかった。

 これならば、わざわざやり直す必要も無いだろう。

 そのように考えたが、せっかくのやり直す機会を捨てることは勿体ないのではないか。

 二度目のやり直しで、悪事に手を染めた場合にどれほどの美味なる蜜を味わうことを出来るのかを体験することも良いのではないか。

 そして、三度目のやり直しで、元の幸福な生活に戻れば良いのである。

 早速とばかりに、私は虚空に向かってやり直すことを求めた。

 その後、目を閉じ、再び開いたところ、私はかつて通っていた学校の教室に立っていた。

 笑みを浮かべていた私に対して、友人は首を傾げていた。


***


 捕らわれることがないように心がけていたものの、悪事を働いた私は、然るべき機関に捕らわれた。

 もう少し楽しみを味わいたかったが、仕方が無い。

 私は虚空に向かって、やり直すことを求めた。

 その後、目を閉じ、再び開いたところ、私は妻と子どもが存在している家の中に立っていた。

 妻と子どもが笑いかけてくるが、私は笑うことができなかった。

 味気ない日々を送らなければならないということが、退屈で仕方が無いのである。

 気が付けば、私は妻と子どもの首を、同時に絞めていた。

 二人は苦しそうな表情を浮かべながら私の腕を叩いているが、今さら止めようとは思わなかった。

 その表情こそ、私が求めていたものだったからだ。

 それから二人は二度と動くことが無くなったが、後悔は無い。

 夜になったところで、私は家を出た。

 確か、この時間は隣人の娘が帰宅する頃である。

 帰路は知っているために、私は道中の物陰に隠れ、隣人の娘が来るまで待つことにした。


***


「これで、何人目でしょうか」

「数えることが嫌になるほどである。やり直す機会を与えると、どの人間も危険な味を知ろうとする。そして、その味を忘れることができず、再び悪事に手を染めてしまう。愚か以外の何物でもない」

「ですが、私は正常な人間が現われることを信じているのです。もう少しだけ、待ってくれませんか」

「断る。やり直した人間が殺めた人間の数は、既にこの惑星の人口を超えているのだ。やはり、人間は作るべきでは無かったのだ。ゆえに、やり直しの機会を与える必要は無い。言葉も無く、知能も無い生物のみが生きていれば良いのだ」

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