第20話 そして、終わる世界に恋文を


 黒く染まった空が、サラサラと崩れていく。

 雪が舞うように。


 或いは燃え尽きた灰が、空に還るように。


 椿が刻み込んだ『死』の傷痕は、絶大にして甚大な物だった。

 このまま放置すれば……破壊の余波は外の世界も道連れに、静かに滅びて行くのだろう。


 黒い『死』が全てを染め上げて……世界は滅ぶ。


 仮初めの救済では足りない。

 ズタズタに破壊された世界を救うには、強い力が必要だ。


「本当……気付くのが遅すぎたなぁ……」

 握られたままの手。

 小さな小さな掌の力強さに、笑ってしまう。


「ええ。分かってます。分かってますよ、椿さん」

 一本一本、丁寧に、丁寧に、彼女の指を解いていく。


 そうして解いた掌を、頬に添える。

 血まみれでボロボロで……でも確かに暖かい、大事な女の子の、手。

 この手に何度、救われただろう。

 この手にどれほど、助けられただろう。

 果てしない記憶を思い返し……そして、謝罪を口にする。


「ごめんなさい。分かっても、それでも俺は……」



「やっぱり貴女には、生きていて欲しい」



 顔を上げた拍子に涙が二粒、零れ落ちた。

 椿の頬に滴り落ちたそれを、驚いたように柊は見下ろし……笑った。


「なんだ……俺、痛くなくても……泣けるんだ……。そっか……」

 滴った雫を指で丁寧に拭き取り、視界を歪ませる涙を、拭い去った。


「……そっか」

 きっと今、自分は、悲しいのだ。

 涙は、そういうときに流れる物なのだから。


「悲しい。そう。俺は、間違ってるから。だから……」


 彼女が求める幸福の形には、自分の存在が必要不可欠だと、もう分かっている。

 分かっている。


「俺だって」


 彼女の傍に居たい。

 彼女の傍に居て、その笑顔を見たい。

 その涙を、止めてあげたい。


「おれ、だって……」


 ぽたり、ぽたりと涙が溢れては、零れていく。

 それは黒い地面に落ちて、吸い込まれていく。

 吸い込まれても吸い込まれても、また新しく生まれ出ていく。

 零れ落ちていく。絶えることなく。


「……はは」


 笑えてしまう。

 今になって、やっと、悲しくなってしまったのだ。

 やっと、正しい気持ちが分かってしまったのだ。



「やっと、気付いたのになぁ……っ」



 顔を覆い、震える声で、叫ぶ。


 彼女の手を放したくなんて、無い。

 彼女の傍に、いたい。

 胸が、痛い。

 涙が溢れて溢れて、止まる事が無い。


「でも。……でもさぁ、俺……」


 世界が死んでしまえば、大事な思いごと、全部消えてしまう。

 自分の『世界』が――大事な人が、消えてしまう。


 その命も、笑顔も……死んでしまうのだ。

 そんなもの、認められない。


 でも……彼女が、自分の犠牲に涙を流すのも、認められない。

 もう、そんな辛い想いはさせたくない。


 なら。

「なら……そう」


 かつての自分が良く抱いていたもの――慣れた言葉を、口にする。


「仕方ないよ、俺……」

 広げた手から、スルリと〈式〉が細い帯状に生まれ出た。

 そしてそれを、彼女に遺す、最後の贈り物に仕立てあげる。


 そのための〈式〉を、丁寧に丁寧に、描いた。


 胸の中から溢れる想いを、その輝きの一つ一つを細緻に象るように。

 そこから生まれ出る彼女への言葉を、一片たりとも零さず、書き記すように。



 それはまるで――――――恋文を、綴るように。



 〈式〉はやがて白いリボンの形になって、手に収まった。

 それを、眠る彼女の髪に、結ぶ。


 一つの呪いを、結ぶ。

 彼女の苦しみを取り除く、呪いを。


 柊のもつ〈式〉の――無貌にして、無限の創造。

 そのルールは一つ。



 それが世界を救うための行為であること。



 この選択は、彼女にとって。

 或いは世界にとっての、『安寧』になるだろうから。


「……結局、こんな方法しか選べない俺を……赦さないで、くださいね」

 言い訳を連ね……目を閉じる。

 椿によって壊され、命を注ぎ損ねた〈式〉に、意識を集中する。

 バラバラになってしまったそれらを繋ぎ合わせ、辿り直し――もう一度、命を注ぎ直す。



 今度こそ、世界に命を捧げる〈式〉を、完成させる。



 その修復にかかった時間は、長いようで……とても短かかった。

 その間ずっと、柊は椿の手を握り締めていた。


 だがそれも、解かなければならない時が、やってくる。

 〈式〉が再び綺麗に繋ぎ合わさったことを、感じ取る。


「さようなら、椿さん」


 震える声で、告げる。返事はない。

 届かなくてもいい。

 ただ深い、深い願いを込めて、言葉を紡ぐ。


「貴方は春に向かってください。……せめて暖かい世界で、生きて」


 強く絡めた指を、解く。

 結んだ呪いに、触れ……手を、放す。立ち上がる。


 掌に残る僅かな温もりを、大事に、大事に、胸に抱えた。


「俺は冬だから……貴女に託して、消えていく季節だから……」

 胸の奥底が、引き裂かれるように痛い。

 それでも柊は笑うことを選ぶ。

 零れる涙は、知らないフリをした。



「だから、俺は最初から、



 〈式〉より生まれ出た白い光が、黒い世界を照らし出した。

 光は暖かく、まるで太陽の日差しのように、目映く地表を染め上げ。


 そうして、暖かい日差しに解ける雪のように。




 柊は世界から、消えた。

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