幕間〈4〉 「彼女」

「拝啓 愛しき、我が世界へ」


 この手紙が届いたと言うことは、きっと冬の子は世界の為の死を、選んだのだろうね。

 世界の為……そう、椿という個人せかいのための、死を。


 この手紙はね、あの子の〈式〉に仕込んだ物なんだ。

 冬の子がその全てを――命を、世界に捧げた時。君の元に届けられるように。

 そう。

 だから私は、あの子がこの選択をしない限り……そんな瀬戸際に世界が追い詰められない限り。

 この感情を、誰にも伝えるつもりはなかったんだ。


 ……彼には辛いことを強いたと、思っている。

 それでも私は、後悔していない。

 赦して貰おうとも、思っていないよ。


 全ては、私にとっての世界の為。

 『世界』という牢獄の中に生まれでた、君の為。


 そのためであれば私は、幾らでも罪を犯そう。

 幾らでも、罰を受けよう。



 何だって犠牲に出来るし、きっと、どんなことでも成してみせる。



 ……ねえ、愛おしき、君。

 私は少しでも、君の心に何かを与えられただろうか。

 僅かでも良い。

 君への慰めに、救いに、私はなれただろうか?


 日々そればかりを、考えてしまう。

 せめて少しで良い。君が笑っていてくれる事だけを、願ってしまう。


 もう、何百年も、千年も……昔のことになる。

 君はまだ、覚えているだろうか。


 あの日、君と出会ってから……何か、せめて僅かでも、君の孤独な心に温もりを与えられないかと、私はその手段を、私なりに必死に考えてきたよ。


 正直、これが正解なのかは……今でも自信が無いが。


 私にとって、君が初めての恋で、きっと、最後の恋だから。

 だから、君に永遠の命を与えられて尚、私には恋という物の正しい形が分からないままだ。


 でもきっと。


 私は、君に、少しでも楽しんで欲しかったんだ。

 君が少しでも、自分の淋しさから目を背けられたなら。

 それが何よりも、私にとっての喜びでは無いかと。


 思って…………。

 ……………………。


 いいや。嘘だ。

 これが最後になるのかもしれないのだから、全てを正直に言葉にしよう。



 私はきっと君に、恋を知って欲しかった。



 彼らの恋路を見て貰う事で、『あの子』の強い恋心を受けとることで……それが君の心に何か影響を与えてくれないかと……憧れてはくれないかと。

 そんな風に、思ったんだ。


 「らしくない」と、笑われてもいい。

 君が笑ってくれるのならば、それでいい。


 だって私は、君に。

 わたしは、君に…………。



 もう一度私は、君に逢いたい。

 会いたいよ。

 名前もない、君に。


 だからこの世界が……君の心が、『この先』を得る事が出来たのなら。

 私はもう一度、君に逢いに行こう。

 今度はそのために、あらゆる犠牲を払おう。


 約束する。


 この無限の命、その全てに代えてでも。


 だから、どうか。

 どうかその時まで。

 再び私が君の元に辿り着くその手段を見つけられるまで……どうか。



 ――――――――どうか君には、生きていてほしい。



「君を愛した、シキ=ヒトトセより………………」



 深い深い、深い眠りの中……そんな恋文をひとつ、受けとった。



 世界わたしに呪われた人の恋文を。

 果てしない物語を捧げてくれた人の告白を、私は確かに受けとった。


 そう。彼女の作った物語を、ずっと、私は見つめていた。

 ずっと、ずっと。


 壊れた世界に描かれた、悲しくて報われない、綺麗な恋のお話を。


 それらはとても悲しくて、でも暖かくて、美しくて。


 そして、とても残酷だった。


 これで『憧れ』などと言う物を持たせたいと言うのだから、彼女はきっと、とても不器用な人だ――知っている。


 ずぅっとずぅっと…………遠い遠い昔。

 この場所に迷い込んでしまった彼女は、それはもう、とても不器用な人で。


 その不器用な心が、とても温かかった。

 不器用な彼女は、それでも私の為に、と沢山の言葉を、考えを、思いを、与えてくれた。

 難しい事を話すときは淀みなくつらつらと話せるのに。私自身のことを聞くときは途端に頬を赤くして、お喋りが下手くそになる人。



 私にとってのシキ=ヒトトセは、そんな人だった。

 それを今、やっと、私は思いだした。



 だから、もしかすると……シキ自身の恋がそうであるからこそ、こんな物語しか仕立てあげられなかったのかも、知れない。

 不器用な彼女の、精一杯。

 そう思うとほのかに、胸の中が暖かくなる。


「この場所に来てしまうくらいに賢いくせに、本当に馬鹿だね、シキは。……私にだってそれくらい、分かるよ……」


 そう。今なら分かる。

 あの『春の子』を通して沢山の心を知った今なら。

 あの、『冬の子』の血まみれの思いを、沢山沢山見つめてきた、今なら。


 今なら、シキがくれた言葉の意味だって、分かる。

 その思いの形も、色も、理解出来る。



 そう。

 だから――――この物語はここで終わっては、いけないんだ。



「もっと暖かくて、幸せな結末が恋には相応しいのにね……なんにも分かってないんだから、シキは……」


 ああ。

 微笑みを浮かべたのは……一体何千年ぶりだっただろうか。

 最後に涙を零したのは、一体いつだっただろうか。


「ふふ……本当に、本当に、馬鹿なんだから………」


 彼女と言葉を交した、遠い遠い昔の記憶が、胸に痛いほど、懐かしい。

 あの時の私には、理解出来なかったけれど。


 あの僅かな時間は……私にとっての宝物だった。

 掛け替えのない、大切な。

 何千何万と時を隔ててもきっと、いつまでも輝きを失うことは無い。




 ――――――もう一度私は、君に逢いたい。



 そう、彼女は言ってくれた。

 彼女に沢山の呪いを授けた私に、彼女は未だ、そう言ってくれるのだ。

「そうだね、うん……そうだね、シキ……、私……も……」



「きみに、あいたいよ」

 なら、私は……まだ、生きていなければいけない。

 もう一度会えるときまで、生きていなければ。



 孤独に、永遠に……世界わたしじしんに。

 絶望している場合じゃない。



「……私も、お返事を書かなきゃね――」



「ねえ、手伝ってくれるかな」


 そうして、後ろを振り返る。

 暖かくて優しい、黄昏色の瞳と目が合い――彼は一つ、コクリと頷いた。

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