第5話 翳りの夢見
夢を見た。
いつの日のことかは分からない。
俺の三年間の記憶の中には、似たような日が多すぎて……でも、そのどれもが、結局は同じ顛末を辿る。
――燃えさかる炎を前に、シュウは立ち尽くしていた。
黒々とした煙を上げて燃え上がるのはかつて、村だったものの亡骸だ。
元々の、村の景観がどう言ったものであるのかは、分からない。
シュウが【獣】の群れを追い、此処に辿り着いた時には既に、村は壊滅状態となっていた。
それでもシュウは無我夢中で戦い、助けられる限りの人々を救った。
燃えさかる建物から子供を救い出し、【獣】の悉くに刃を突き立て、切り裂き、自らも身体を壊されながら、葬り、殺し、屠り――――そうし尽くして。
……訪れたのは、沈黙。
パチパチと炎の爆ぜるか細い音だけが、無音を打つ。
熱い空気が頬を焼き、その中から漂う異臭が胸の中を気持ち悪さでたっぷりと、満たしていた。
燃えさかる煙の中に蠢くのは、【獣】たちの身体だ。
火の音に紛れて、うめき声と泣き声の合唱が耳に届く。
人の声に良く似た、だけど言葉のない声。
『あァ――――ア――――――…………』
熱に焼かれ、苦痛を歌う声は、やがて白い灰になって舞い上がり、一つ、また一つと消えていった。
それをぼんやりと眺め――ふと、左腕の感覚が無いことに、気がついた。
目を向ければ左の腕は肘から先が無くなっていて、そこから血が絶え間なく流れ出している。
どぷり、どぷり、と脈打つように流れ出すそれは、奇妙なことに尽きることなく延々と続き、溶けゆく雪と絡み合って広がり……炎の中に続いていた。
左腕だけではない。
腹部は杭打ちの跡の様に抉り取られ、眼球も片方、頭と耳ごと持って行かれた。
反対側の耳も、戦いの最中、側頭部と共に何処かに千切れ飛んでいった。
身体中から絶え間なく血は溢れ、流れていく。
延々と、延々と。
シュウは、握ったままの剣を、解く。
空中にばらけた透明な糸は、身体に溶けるようにして消えていった。
時間と共に、身体は取り戻されていく。
まず、左腕が戻り、目が戻り、頭が戻り……両耳が揃ってやっと、後ろの人間の、圧し殺した息づかいがはっきりと聞こえた。
(振り向きたくないなぁ)
素直にそう、思った。
渋る身体を無理矢理動かして、背後へと向き合う。
夥しい数の目が、震えながら見開かれ、此方を射貫くように見つめていた。
シュウがなにか、口を開こうとすると小魚の水槽に手を突っ込んだときのように、さっとそれらが散らばった。
巻き戻るように再生していく腹を見ている目。
すっかり元通りになった頭を見ている目。
足下に反らされた目。
火事を見つめる目。
それらを見渡して――どうすればいいかを、考える。
どうすることも出来ない。
せめてもの笑顔を浮かべてただ、立ち尽くすしか無かった。
「助けてくれた事は、感謝する……」
しわがれた声が、投げかけられる。
確かこの村で一番偉い人だった、ように思う。
シュウが助けた人間の、一人だ。
腹部の傷は確か、この人間を庇ったときに獣によって負わされたものだったか。
「だが」
その声の震え、緊張に張り詰めた音だけでもう、次に何を言われるのかが分かってしまう。
先んじて、諦めの感情を用意する。
湧き上がりかけた悲しさは、ギュッと胸の奥に押し込めた。
「出て行ってくれ……俺達にはお前も、あの【獣】も同じ化け物に見えるんだ……!」
そうして、一度夢は、終わる。
でもまた別の場面に切り替わり……誰かを救った後の光景へとつながり……同じような拒絶の言葉で終わる。
何度も何度もくり返すそれら記憶の回廊をただ漂い、流され……不意に。
――余りの息苦しさに飛び起きた。
「ふがっ!?」
ブタの鳴き声のような、変な音が鼻から飛び出し、身体が跳ね起きる。
混乱したまま咄嗟に周囲を見渡し――剣を生成しようと、両手を持ち上げ――今いる場所が、先程まで見ていた光景とは全く異なる、安寧を具現化したような家の風景であることに気がつき――それから、その主の姿を思い出して――。
気付く。
ベッドに肘をついた椿が、此方を見ていた。
何かをつまむような形の指――俺の鼻にさっきまでくっついていたのだろうか――いやそもそも、どうしてここに――一体何が――。
まだ混乱した頭のまま、目を白黒させるシュウ。
椿は対照的にとても綺麗に、ニッコリと笑った。
「酷い顔。おはよ」
その言葉に、ようやっと落ち着きを取り戻した。
そうだ。自分は今、魔女の家に招かれ、共に住まうこととなったのだ、と。
「……おはよう、ございます」
そして昨日の例からして、挨拶にはさっさと挨拶を返すべきなのだろうと流石に学習した。
ぼそっと返し、それからせめてもの皮肉を叩く。
「いつ殺されるか分からない状況でしたからね。夢見も悪くなるってものです」
「なぁに。私に殺される夢でも見たの?」
「いえ……」
からかうように言われ、言葉を濁す。
酷い夢見を彼女のせいにしたした事が、妙なバツの悪さを生む。
彼女はあんな事は言わなかったのに。などと。
「……ん?」
ふと、部屋に良い匂いが漂っている事に気がついた。
昨日の物とは違う。
穏やかな香りが良い匂いであることは変わらないが……温かみのある、干した草のような匂い。
そしてその中にスッと鼻が通るような爽やかさがあった。
嗅ぎ慣れないが、妙に安心する香りだ。
シュウがそう思っていると、椿がクスクスと笑いだした。
「な、なんですか」
「だってシュウ、ワンちゃんみたいにお鼻鳴らしてるから……面白くて……!」
「……なっ」
頬が熱くなった。
そうするとますます面白くなったのか、椿は今度は声を上げて笑いだした。
お腹をかかえ、彼女はひとしきり笑って……目尻に浮かんだ涙を拭う。
「お茶、淹れておいたんだよ。飲も?」
ベッドサイドに置かれたお盆。ポットと、二つのティーカップ。
ぶすっとした顔でシュウは黙ったまま、応じない。
だが、
「いらない?」
首を傾げ、優しく問いかけられれば結局。
「……飲みます」
と、答えるしか無かった。
夢見の悪さのせいか、喉がカラカラに渇いていた。
昨日も飲んだ温かくて優しい御茶の味を思い出し……今それが欲しいと、素直に思えたのだ。
*
宛がわれた寝室には机はない。「お行儀悪いけど」と悪戯っぽくはにかみながら椿はシュウの隣に腰を下ろし、二人並んでお茶を飲んだ。
一口飲み、深い息を吐くシュウ。
心の奥で錆びて絡まった、重苦しい何かが解けていくような心地がした。
やっと、呼吸が正しく胸に届いたような……安心するような。
隣の椿が、此方を覗き込んでいる。
「どう? 美味しい?」
と、彼女は屈託無く笑い、聞いてくる。
少しだけ戸惑ったが……素直に返すことにした。
「……美味しい、です」
「よかったぁ。私の自信作なんだよね、この調合」
そう言って彼女自身もコップに口を付けて、美味しそうに顔をほころばせた。
シュウもまた、彼女に倣ってもう一口、二口……とお茶を飲み、それからふと、疑問を顔に浮かべた。
「気になってましたが。如何してこんな場所にお茶……とか。その、上等な物が?」
向こうの世界にはもう、このような嗜好品などロクに存在しない。
そのようなゆとりが世界にはもう、残されていないのだ。
降り続ける雪は豊かな食物を奪い、人々の生活を貧しく、苦しい物にした。
だがこの世界とて例外ではない。
窓から見渡せる景色は一面を雪に覆い隠され、白色以外の色彩を見つけられない。
なにも、変わらない。
ここに住む者が椿という【魔女】のみであること以外に、何も。
対して椿は、あっさりと返答する。
「温室があるの」
「おん、しつ?」
聞き慣れない言葉だ。
「そ。ちょっと特殊なガラスで囲って……ちょっと特殊な技術で……ずっと暖かい部屋、みたいな? ……世界がこうなる前の、産物、……の、再現、的な?」
「……?」
要領を得ず首を傾げるシュウに、椿は困った様子で目を閉じ、ううんと考え。
「じゃあ、お手入れするの、手伝ってよ。そしたら見せてあげる」
ニコニコと、彼女は笑いながら提案する。
無論。シュウはとても、とても渋い顔をした。
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