第4話 温もりの時間


 椿に連れられて、彼女の住まいの案内をされる。


 木とレンガで作られた、暖かな家。

 温かみのある色合いで構成されたそれは、可愛らしいと言えばそうなのだろう。


 物はそれなりに多い。植木や洋燈、ぬいぐるみ。どれもが綺麗に手入れされており、埃を被った物は一つとして見当たらない。

 それらをシュウは少しばかり興味を持って、眺め。


(……あの服に似合わないな)


 なんてことを、正直に思った。

 先導し、階段を上る彼女の装いはかつて存在したとされる、東方の地の島国……和国の衣装によく似ている。


 白と赤の配色は祝事の色……だったはずだ。

 これは、自分の身体の事と同じように、最初から知っていた出所の分からない知識である。

 故にそれ以上のことは何も分からないが。


 ともかく、この一般的な「家」の景観に、彼女のどこか異文化的な衣装は余りにも似合わなかった。


(この魔女の生まれは、そこなんだろうか?)


 だがその国は遠い昔に滅んだ地だという。世界が雪に埋もれるより、少し前に。


(彼女はその時からこの世界で生きている……?)


 まさか。とは思う。

 だが何処か、それは間違いで無いような気がした。

 実際彼女も、そのような事は言っていたのだから……。



「――そんなにピリピリしても仕方ないと思うよ。私も今すぐきみをどうにかしたりするつもり、ないんだから」



 考えごとをしながら歩く間に、どうやら目的の部屋に辿り着いていたようだ。

 説明を聞き流しながら長く口を閉ざしていたシュウを、椿はどこか不満げに見上げていた。


「ねぇ。聞いてる?」


 そうして改めて向かい合うと、小さいな――と、感じた。

 彼女の背丈は自分よりも頭一つ……でも足りない程に、小さかった。

 そしてふくれっ面。そういう顔をしていると最早、ただの幼子にしか見えない。


「……「今は」、ですか?」


 言葉を思い返し、口を開く。

 そうすると、椿の顔が嬉しそうに綻んだ。


「大丈夫。きみが約束を守る限り、私もきみを殺そうとはしないよ」

 ニコニコしてるくせに物騒極まりない。

 内心で毒づくシュウ。


 そんなシュウの内心など素知らぬ顔。椿はドアを押し開け、足を踏み入れた。

 案内された寝室は、寝台が備え付けられている程度の、シンプルな作りだ。ただ、綺麗に掃除されている事だけは、一目で分かる。

 シュウは、ため息を吐いた。


「その時は俺も全力で抵抗します。でもその前に殺し方は教えてくださいよ」

「教えても多分、勝てないと思うな」

「それでもです。俺は、俺の命と差し違えてでも貴女を殺したい。そのためにここに来て、貴女との望まない生活を受け入れたんですから」


 その言葉に椿は少しだけ、顔を曇らせた。


「……。自分は死んでも良いんだ」

「ええ」

「全部、世界のために?」

「そうです」


 ふぅん、と椿は何処か気のない返事をする。

 それから寝台にぼすんっと身を投げ出すように腰掛け、足をプラプラとさせた。

 足の指に紐を引っかけた赤い靴――確か、下駄と呼んだか――が、鈴の音をチリチリ鳴らして、揺れる。



「世界なんて救っても、ろくなこと無いと思うんだけどね……」

「壊した貴女が言う言葉じゃないと思いますが」

「ふふ。そうかも」


 鈴の音とよく似た声で笑う魔女。その笑顔に罪悪感は存在しない。

 何故彼女が世界を壊し、【獣】を世に放ったのか……それは分からない。

 だが少なくともシュウにとってそれはどうでも良い事だった。


 彼女を殺せば、世界は救われる。

 そう語られる以上、それが全てで、彼女の抱える「理由」など、無関係だ。



「俺は、世界を……誰かを、救いたいんです。それだけが俺の標でしたから……そうやって今まで、生きてきましたから……だから、」


 声に力がこもる。拳を力強く握り、シュウは断言する。

 対する魔女はやはり、軽い調子で、笑いながら、言った。



「それでシュウには何か良いこと、あったの?」

「――」


 痛いところを深々と突いてくれる。

 ぐっと顔を歪めたシュウ。脳裏に浮かぶ光景は……この場所を訪れる前に交わした、やりとり。


 恐怖を隠しきれず青ざめた、男の顔。

 何か、違う生き物を見るような目を向ける、子供。

 雪の中において尚、あの視線よりも寒々しいものなど、見つからないだろう。


「……」

 沈黙を選ぶシュウ。

 僅かばかり、椿の顔に罪悪感らしき物が浮かんだ。


「私……嫌なこと、聞いちゃった?」

「関係無いでしょ、アンタには……」


 吐き出した声が、酷く震えている。

 胸の中で主張する痛みはきっと、怒りではない感情だ。


 怒りよりももっと苦しくて、鉛のように重くて、叫びたいくらいに悲しいもの。

 どうしてか、椿の眼の色に、労りのような物が浮かぶ。


「……ごめんね。今日のお喋りは、このくらいにしとく、ね……?」

 彼女はどうやら本当に「悪いことをした」後悔に打ちひしがれているようだった。

 眉を下げ、俯いた視線の先、小さな手が服の裾をギュッと掴んでいる。


「……」

 そんな顔をされると、此方にも罪悪感が芽生えてしまう。

 如何に魔女と言えど、見かけだけは幼くて愛らしい少女なのだから。


 やり場のない感情を息の形で、吐き出す。

 努めて言葉に棘が出ないよう、声を抑え。


「……申し訳ないですけど、その方が助かります」

「あの、……ごめんね。傷つけたかった訳じゃ、ないの」

「俺の事情です。貴女には関係無いですから、別に」

「うん……」


 彼女は寝台から重たげに立ち上がり、そしてそのまま部屋を去る……のかと思えば、シュウの真正面に立った。

 罪悪感に陰る、悲しそうな顔。

 どうして彼女がそんな顔をするのかは、分からない。


 困惑するシュウに、彼女は言う。



「私は、良かったよ」

「何が、ですか?」

「きみが来てくれて、それだけで凄く、すごく、嬉しかったの」

「……」



「だからね。ありがとう、シュウ。悪い魔女を殺しに来てくれて」

「私を、殺しに来てくれて」


 そのたった一言に……向けられた笑顔に、じわりと、胸に染みいるものがあった。

 長く、誰にも向けられなかった感謝と労りの気持ち。

 何故だか無性に、目が熱くなった。


 彼女の言葉が、笑顔が、そうさせる――認めたくなど、ない。

 手の震えを悟られたくなくて、背中に隠してギュッと握りしめた。


 心がどれ程に飢えていたのか――僅かな水を与えられて初めて、知らしめられる。


 知らしめられて、それが世界を壊した魔女によって与えられると言う事実が、どうにも受け入れがたかった。

 シュウはせめて強気を装い、皮肉気な顔を作る。



「それなら、殺しに来た甲斐がありましたよ。俺も」

 その言葉にやはり魔女は、心から嬉しそうに笑った。


「うん、ありがと。……じゃあ、おやすみなさい、シュウ」

「…………」

「おやすみ」

「……」


 言葉とは裏腹に一向に立ち去らない椿。

 最初は意図に気付けず、首を傾げるシュウ。

 やがて気付き、シュウは顔を不機嫌そうに歪めた。


 どうやら「おやすみ」への返事が欲しいらしい。


 口を頑なに引き結んでそっぽを向き、無視を貫く。

 だが突き刺さる視線の「圧」に耐えかねて、チラリと目を向けてしまった。


 それが間違いだった。

 彼女はジッと此方を見上げて、返事を待っていた。

 たっぷりの期待に満ち満ちて、キラキラと輝く椿の瞳。


 そのまま睨み合いが続くが……最終的にはシュウが折れた。

 わざとらしいため息を吐いて「おやすみなさい」と小さく、ぶっきらぼうに返す。


 そうすると彼女は満足そうに、頬を染めて「えへへ」と笑い、手をひらひら振って部屋を出て行った。


 パタパタと長い袖の揺れる音。チリンチリン、カランコロンと賑やかな音。

 静かに扉が閉ざされる音を最後に、部屋が、静かになる。


「……」

 すっと、肌に触れる空気の温度が寒くなった気がした。

 彼女と共にいた時間が暖かな賑やかさだったのだと、遅れて気付かされた。


 気付かされて、それからそれがどんなに愚かなことであるかと、理解させられる。


「くそ……」


 何かから逃げるようにベッドに潜り込む。そこには埃っぽくない、暖かさがあった。

 何処か安心するような、甘く心地よい匂いだってする。

 彼女がいつ来るか分からない客人のために、こまめに手入れをしていたのだろうか。


(あの小さな女の子が、たった一人で?)


 ――違う。

 見た目は関係無い。

 は、世界を終わらせる魔女だ。



(世界を壊した魔女。俺が殺すべき、相手……)



 頭まで布団を被り、身体を小さく丸めて目をぎゅっと閉じる。

 途端に身体は休息を求め、目蓋は重く、視界は暗く溶けていく。



 眠りに落ちる瞬間、ふと思う。

(そう言えば)




(「おやすみなさい」と誰かに言ったのは、生まれて初めてだったな)


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