第3話 【魔女】の人質



 パチパチと、暖炉の火が爆ぜる音が、耳を打つ。

 乾いた音だが、そこにどこか安心するような温かみを感じるのは……実際今、この場の空気が暖かいせいだろう。


 雪から逃れるためか、程高い丘の上に作られた、木とレンガ造りの家。

 辺り一帯の墓標を一望するように建つそれが、【魔女】の住処なのだという。


 小さく、控えめな住処は内部も同じようにこぢんまりとしていて。

 だが、暖炉の暖気や、橙色の洋燈――何処か可愛らしい、アンティークな装飾が施されている――の灯が、家自体を暖かな印象へと仕立てあげていた。



 実に不本意ながら、【魔女】の住まいへこうやって、有無を言わせず強引に招かれる羽目となってしまったシュウとしては……本当に誠、遺憾ながら。



 少し……いや、かなり、居心地の良い家、なのであった。



 そうして、現在。



 二人は今の机に向かい合わせに座っている。

 二人の間に会話はない。

 【魔女】は何も言わずに、シュウの顔を見つめるばかり。

 その視線にやや、落ち着かない心地を覚えながら、シュウは俯き、沈黙を選び続け。

 指先を凍らせていた冷えもすっかり解れてきた、頃。


「殺しに来た人間をわざわざ歓迎するんですね、貴女」


 久々に出した声は、何処か毒を含んだ、刺々しい物だった。

 出してから少しばかり「やってしまったか」と思う。


 内心焦りながら、向かい側に座る【魔女】――椿を見やったが、彼女は機嫌良さそうに両の手を頬に添え、ニコニコと微笑んでいた。


「……。どうして嬉しそうなんですか」

「きみがね、やっと喋ってくれたから、嬉しいの」

「……」


 驚くほどに凡庸な……或いは細やかすぎる喜びだった。

 そんな風に思う心を察したのか、彼女は独りでに言葉を続ける。

 何処か不満そうに、唇を尖らせながら。


「だってここ、人なんて滅多に来ないもの。お客さんなら尚更。だからそれだけで嬉しいの、私。嫌そうな顔してお話して貰うのも、とっても嬉しいよ」


 そうして彼女は小さな家のリビングをグルリと見回す。

 洋燈や植物、ぬいぐるみで飾られてはいるがやや、物の少ない寂しげな家であることは、確かだろう。


 そもそも【魔女】と呼ばれる存在がそんな感情を持っているかは、定かで無いが。


「変な人ですね」

「【魔女】だもの」

「変な【魔女】、です」


 至極、正直な感想を口にするシュウ。

 手にしたコップから昇る湯気が、ため息と共に揺らぎ千切れ、消えていった。



(どうしてこんなことになったんだか……)



 胸中に浮かぶのは、呆れとも落胆ともつかない思いである。


 ――あの『境』を抜け、【魔女の庭】へと足を踏み入れた時。

 シュウが想像していたのは、遭遇と共に始まる死闘だった。


 世界の生死をかけた、血みどろの争い。



 片や、世界を滅ぼす【魔女】。

 片や、世界の救いを望むもの。



 そうして運が良ければシュウは世界を救い……そうでなければ死ぬ。

 世界は雪に埋もれて滅ぶ。予定調和の、緩やかな滅び。

 シュウという、無謀にも救世を望んだ愚か者の存在は終ぞ誰にも知られないまま、世界は、終わる。


 たったそれだけの、シンプルな展開を彼は望んでいた。


 だが現状、そんな望みは絶ちきられたも同然――少年は、【魔女】の家に招かれ、【魔女】と暢気なお茶会と洒落込む羽目になっていた。



 もう今となっては、彼女が本当に世界を滅ぼす存在なのかも、よく分からない。

 コップを小さな手で抱え、温かい御茶をふぅふぅと息を吹きかけて冷ます彼女の様子は、見かけ通りの幼い女の子にしか見えない。


 【魔女】と言う名前から、一般的にイメージされるような黒い装束も、ローブも、帽子も、魔法の杖も、無い。

 色鮮やかで華やかな彼女の容姿は、どちらかというとお姫様のようですら、ある。


 余りにも「可憐な少女」然とした愛らしい見た目に、先程の、【獣】を屠った姿すら何かの見間違いだったのではないかと、そんな思考さえ、浮かぶほどだ。

(いやいや!)

 と、シュウは首を振り、信用を失いつつある記憶に縋るように額を押さえていると。



「それで」

 と、切り出す椿。



「その【魔女】を殺しに来たきみは、どうしたいの?」

「どう、って……」

「今すぐ私のこと、殺す? 結構難しいと思うけど」

「……」


 先程のやりとりを思い出せば、真正面からぶつかって彼女に勝てる気はしなかった。


「逆に、俺を殺すつもりはないんですか」

「あったらこんな風に歓迎すると思う?」

「……そうですね」


 困り果てたことに、その言葉がどうにも、嘘には思えなかった。


 どうやらこの【魔女】は、自分を殺すつもりはないらしい。

 そして、彼女をシュウが殺すというのならそれなりに抵抗はするつもりで――そしてその目的の達成は「難しいこと」だと自負はしているらしい。


 実際、それは正しいのだろう。


 【獣】を屠った謎の「爪」の威力も、咄嗟の攻撃に対する反応速度も、どれもが驚異に値する。


 彼女を殺すのには相当の苦労が必要なのは自明。

 だが、かといってシュウが彼女の殺害を諦めるかと言えば。


(否、だ)


 自分は世界を諦めない。

 自分という不明瞭な存在は、救世という明確な目的の為のみに、在る。

 そのために自分は生きているのだと、シュウは心から言い切れる。


(……なら、俺は一体、如何すれば……)


 甘く、優しい花の香りを漂わせるお茶は、呆れる程穏やかで、平和的だった。

 だがそこに映る自身の顔は、困惑と戸惑いに満ち満ちていた。


「シュウ」

「……」

「シュウってば」

「あ、はい」


 馴染みのない響きが自分の名であることに、気付くのが遅れる。

 遅れた結果、馬鹿みたいに正直な返事をしてしまった。してから苦い顔で後悔する。


 対する【魔女】は、ニンマリと、子猫のように笑った。

 そうして彼女は、囁くような声で――まるで、大人に隠れて悪戯に誘う幼子のような声で、言う。


「ね。取引、しよ?」

「……取引?」

「そ」

「内容次第です」

「えとね。きみがルールを破らなければ、私はきみを殺さないでいてあげる。だから此処にいて欲しいの。それだけ」

「……」


 シュウの苦い顔が、苦虫を噛みつぶしたような顔になった。

 それでも一応、聞いてみる。


「そのルール……というのは?」

「難しくないよ。凄く簡単なこと」



「私を怒らせないで」

「私を、悲しませないで」



「この二つだけ」

 簡単でしょ?――そう、無邪気に笑い、小さな手の、二本の指を突きつけてくる【魔女】。

 それを真正面から見据え、シュウは引き攣った笑いを浮かべた。


「……つまり俺は、俺の命の人質と言うことですか?」

「うん? まぁ……そう言うことになるかも?」


「巫山戯た話です。死にたくなければ貴女の元で大人しくしていろと……」


 そこで、一つの疑問に思い至る。

 彼女の言葉には、大事な物が欠けていた。


「私に刃を向けないで……とは言わないんですか?」

「良いよ。別に向けてくれても。いつでも私は大歓迎。……ま、難しいと思うけど」

「た、確かに貴女は強いですが……」


 殺しに来た側が驚くのはおかしな話だが、しかし「いつでも」、と言われれば流石に戸惑ってしまう。


 だがシュウの言葉に椿は両手をパタパタ振った。


「あ、違うの。私は勿論結構、かなり、とっても強いけど……そもそも、簡単には死なないからね。普通の人間のようにはいかないよってこと」


「……そう嘘を吐いて、俺の戦意を鈍らせるつもりで?」

「んー。私の噂が世界に浸透するために必要な時間を考えてみれば分かるんじゃないかなぁ……」



「そもそも世界がこうなったのってもう、何百年も前。……私はその間、ずぅっと生きているよ。此処に閉じ込められて――それとも、試してみないと納得出来ない?」


 スルリと、椿の手が自分自身の首を柔く撫で、掴む。


 白く、細い首だ。

 シュウの手でも簡単に手折れてしまいそうな、華奢な。


「首を絞めるなんて些細なこと。手足が千切れても、お腹に穴が開いても、頭が潰されても、私は死なないよ?」



 ――気が済むまで試してくれても全然良いけど?



「……」

 危うさを孕んだ誘いに、シュウは、何も答えなかった。

 椿は自らの首から手を放すと、肘をついて指を組み合わせ、その上に顎を乗せた。見上げてくるのは見透かす視線と、薄い笑み。



「必要無いよね。



 ドキリ、とした。


 思わず肩が跳ね、自分の胸元を押さえてしまう。

 椿はその内側にある感情を見透かすような目で、此方を見つめている。


「手足が千切れても、お腹に穴が開いても、頭が潰されても、きみは死なない。死ねない……そして君の血は、【獣】達にとっての猛毒になる――どう? 合ってるはずだよ?」


「……」

 沈黙を、選んだ。

 押さえた胸の下で、心臓が暴れるように蠢いている。



(この人は、俺の事を知っている……? いや、俺の身体のことを、知っている?)


 気がついたら世界に存在した、記憶の無い自分のことを。

 明らかに人間の物では無い身体的特徴を、彼女は最初から理解していた。


 本音を言えば、知りたい。

 目的を忘れて今すぐ問いただしたい。

 欲が、胸の奥底で鼓動と共に暴れている。


 だけど自分には、それよりも優先すべき事が、ある。



(違う。俺は【魔女】を殺しに来たんだ……!)



 世界を救うために、世界を壊す【魔女】を殺しに来たのだ。

 この使命より優先すべき事は、ない。



(焦るな。何が最善か、考えろ)



 自分は彼女を殺しに来た。世界を救うために。

 だがそれは、正攻法では難しい。


 【魔女】の力は絶大な物だ。

 そしてその肉体は自分と同じように頑丈、らしい。

 だが「難しい」とは言えど、「無理」とは彼女は言わない。



 ――それは即ち、「殺す術」はあると言うこと。


(なら……)


「確認ですが……貴女を殺す方法は、あるんですね?」

「うん。きみがいいこにしてたら、教えてあげられる日が来るかも……ね?」


 挑発――或いは嘲りにも似た笑みを浮かべ、首を傾げる椿。



「どうする?」



 唇を、噛む。

 救世を望む自分にとって、世界を壊した女との生活など、屈辱と呼ぶに相応しい。


 だがそれしか今、選び取る術がないのならば。

 ……飲み込むしかないのだろう。

 これを拒絶したところで向かう場所など、何処にもないのだから。

 煮え滾る感情を、粘ついた唾液と共に飲み下した。

 拳を握り、真正面から【魔女】を見据える。



「後戻りなんて出来ない。帰る場所なんて、最初からないんですから」

「そうだね。ここに来た子はみんな、最後にはそう言って私と一緒に暮らすの」



 その返答すら予想の範疇だと、彼女は嘲笑い……そして手をたたき合わせ唐突に、笑みの形を変えた。



「うん、決まり。じゃあこれからよろしくね、シュウ?」



 その愛らしい顔立ちによく似合う、邪気のない笑顔に。

 思わずたじろぐシュウ。椿の口から出た言葉もまた、酷く平和的な物だった。




「まずは、部屋を案内してあげないとね」



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