第6話 堕ち行く心 〈1〉


 渋い顔をしたにはしたが、結果的に彼は、家から少し離れた「温室」へと案内されていた。

 ぶすっとした面持ちで着いてくる彼を、椿は振り返り、クスクスと笑う。


「ふふ。好奇心には勝てないかぁ」

 そんな彼女の姿から目を背け、

「ごちそうになっているのに手伝わないのも不義理かと思いました。それだけです」

 ぶっきらぼうに答えるとまた、椿は可笑しそうに声を上げて笑った。


「シュウって真面目だねぇ」


 言い訳は、半分本当だが、半分は嘘だ。

 ――早く彼女を殺す方法を、知りたいからだ。


「きみがいいこにしてたら、教えてあげられる日が来るかも」

 そう、彼女は言った。


(なら、彼女の要望に応えるのは必要なこと)

 彼女との距離が近づけば、目的達成への道のりもまた、近くなっていく筈だ。


(そう。これは理に適った判断……俺は間違って、いない)

 それが一体、誰に向けた言い訳なのか……シュウ自身、分かっていない。



 程なくして、彼女の言ったとおりに、透明な壁に覆われた小屋が目に入った。



 扉を押し開かれ、最初に身体に触れたのは暖気だ。

 そして目に飛び込んでくるのは、色彩。


「……!」


 シュウは一瞬、目がくらむ感覚を覚えた。

 艶めく葉の緑、華やかな赤の花、艶やかな紫色、明るい黄色、愛らしい桃色……名前が咄嗟に出てこない様々な色が、その小屋の中には溢れていたのだ。


 きっと、世界中、どの場所を探しても、今ここにある色彩以上に鮮やかな景色など、もう存在しないだろう。

 そう言い切れるほどに、この場所は色と光に満ちあふれていた。


「ふふ、凄いでしょ?」

「……はい」


 素直に答えてしまったことに、シュウは気付かない。

 眼の前に広がる光景に、彼は大きく開いた目を奪われ、呆然と立ち尽くしていた。


 それをフッと、椿はどこか愛おしげに笑って見やり。

 入り口の棚に置いてあった如雨露を手に取り、水をくみ始める。



 暖気は備え付けられた箱……のようなものから発せられ、部屋を満たしているように見えた。

 動力は不明だ。

 今、如雨露に溜まっていく水が、何処から引かれているのかも分からない。

 飲めるかは分からないが、少なくとも綺麗な水には見えた。

 温室を明るく照らす光源。やはり、動力は分からない。


 どれもこれもが全て「謎」によって動いている。

 これは、【魔女】の持つ不思議な力の産物なのだろうか……そう考える彼に、椿は言った。


「これはね。此処にやってくる迷子が作ってくれた物なの」

「迷子……俺のような?」

「そう。この何百年もの間に数人、そう言うことが出来る子が来たの。その子達のお陰で少しずつ、少しずつ……私の生活が豊かになっていったんだ……」


 椿は一つ一つの植木に水をやりながら、頬にかかる髪を掻き上げた。

 その横顔は眩しそうで、それでいてどこか切ない翳りを宿している。


「……」


 ――でも、彼らを殺したのは、貴女なんでしょう?


 雪原に並ぶ無数の墓標が、シュウの脳裏を過った。

 それを言葉にして尋ねたいと思う感情を、押しとどめる。


 別にこの【魔女】に情が生まれたわけではない。

 ただ何となく、今それを聞き出す行為が酷いものであるように、シュウには思えたのだ。

 罪悪感を、抱きたくないだけだ。

 そう思う自分がどこか、何かに言い訳をしているように思え……その事実からも目を背ける。


 傍ら、椿は温室の中央に佇む、一つの木の前で手を止めていた。

 シュウも彼女の隣に歩み寄り、その木を観察する。


 トゲトゲとした、独特の形状の葉を持つ木だ。

 その木は、硬質な葉の合間に身を寄せ合うようにしてなる、鮮やかで小さな赤い実を持っていた。

 見たことも無い木を、しげしげと見つめ、一言。

「変な木ですね」

「んふっ」

 椿が口元を隠して小さく噴き出した。

「なんですか」

「急に辛辣になるからちょっと面白くて……」

 そう言いながら椿はそっと、その木の葉を撫でる。


「これはね、ヒイラギの木。赤い実がかわいいでしょ? 一番好きな木なの」

「……この実、食べられるんですか?」

「試したこと、ないな。……あんまり美味しくなさそう。小さいし」

「そもそも此処には、食べられそうな物は多くないんですね」


「だって、別にいらないからね」


 そんなことを事も無げに、椿は言う。


「ご飯も飲み物も必要無い。少し心が潤えば、充分」


 やはりそれは、人間の肉体からは逸脱した機能だ。

 そしてそれは、

「シュウもでしょ?」


 …………やはり、シュウも同じ。

 向けられた言葉に、シュウは俯き、乾いた笑いを浮かべる。


「やっぱり……貴方は、俺と同じ……なんですね……」

「そうだね」

「貴女は、最初から、分かってたんですか?」

「一目見たときから」

「そう、ですか……」


 椿は静かに佇み、シュウを見つめていた。

 その視線から、感情は読み取れない。


 真っ直ぐな眼からシュウは、逃げた。

 足下に蟠る自分の影へ、視線を注ぐ。


 泣きたいような衝動が、胸の中でぐちゃぐちゃと渦巻いている。

 それは恐怖にも似ていたが、少し違った。

 恐怖よりももっと、温度のある感情。


 やっと「分かってくれる人」が眼の前にいるという、感傷――分かっているが、認めたくない。

 そんな思いとは裏腹に、言葉は勝手に紡がれていく。


「俺は……何なんですか……」

 今朝見た夢の光景が、脳裏に蘇る。



 燃えさかる炎、失われた「人間」の場所。

 すすり泣く【獣】達の死骸。

 部品を失った身体が独りでに治り、それを人間たちは、酷く恐れた顔で見ていた。



 まるで、化け物を見るような目で。



「ずっと、薄々、分かってましたよ……俺は、普通の人間じゃないって……でも、だとしたら何なんですか、俺は……」



――出て行ってくれ……俺達にはお前も、あの【獣】も同じ化け物に見えるんだ……!



 否定と拒絶が、シュウを孤独に追いやる。

 いくら人を助けても、幾ら命を救っても、最後には皆が自分を恐れ、逃げていく。


 何処までいっても自分は、不確かで、迷子のままで。


「……おれは、」



 そんな「当たり前」が今になって、苦しくなってしまった。

 ずっと「当たり前」だと思っていた物事が、ここに来て急に、理不尽に感じられるようになってしまった。


「俺は……一体……っ」

 言葉を遮るように、両頬に小さな手が添えられて、大きく身体が跳ねた。



「ごめんね」



 柔く、暖かな手に撫でられて、心がスッと落ち着きを取り戻す。

 見下ろした椿の瞳は、酷く痛ましげな感情で、自分を見つめていた。


「ごめんね、シュウ。もうちょっとだけ落ち着いてから話してあげるつもりだったの。……まさか、そんなに思い悩んでいるなんて……ごめんね……」


 彼女が謝ることなど、何もない。

 彼女には何も、関係の無い話だ。


 なのに、まるで彼女は自分自身の心が痛むように、顔を歪めていた。


 別種の痛みが胸の中にチクリと刺さる。

 咄嗟にシュウは、首を振った。


「いえ、すみません、つい取り乱して……」

「謝ることじゃないよ。……一人は、さみしいもの」

「……」


 なんてことの無い言葉が、重かった。

 彼女はこの雪原で、この家に一人きり、ずっと過ごしているのだろうから。


 自分よりもずっと、その孤独は深いだろうに。

 彼女はそんな物を感じさせない、優しい微笑みを見せて、腕を引いてくれる。



「授業の時間にしよっか。教えてあげる。――私達が、何なのか」



  *



 彼女は傍らの、彼女の身体にぴったりのサイズの倚子に、腰掛けた。

 向かい側の倚子に、促されて座る。


「シュウは……これ、読める?」


 始めに、そう言って椿は服の袖を捲り上げた。

 そうすると彼女の腕に浮かび上がる、黒い文字。

 まるで生物のように蠢き、形を変えるそれは見たことの無い形でありながら、不思議とその意味が分かる……気がした。



「普通の人間には、視認も出来ないはずの文字なんだけど……見えてるね?」

「はい……」

「これは〈式〉と呼ばれる言語。……超常の力を生み出す、奇跡の言語……なんて、言われてたかな……」


 袖を元に戻し、椿は何かを懐かしむように空へ視線をやった。



 超常の力――例えば、椿の操る、黒い爪。

 例えば、シュウの生み出す、無色の糸。



 そしてそれが、〈式〉という言語によって象られているという。

 〈式〉……その言葉は同時に、世界に語られるある、一人の人間を想起させた。



「……シキ=ヒトトセ?」

「その人については、どれくらい知っている?」

「奇跡の人……識者……と、世間で語られている程度です」



 誰もが知る名でありながら、その誰もがその実態を知らない。

 それがシキ=ヒトトセという名だ。


 曰く、世界が今のような致命的な滅びに傾く前――世界がこうならないように押しとどめていた人……と。


 噂が事実かどうか、確認する資料などは、現存しない。

 実際その人は敗北したのだ。世界に。

 だから世界は雪に覆われ、【獣】によって蹂躙されている。


 そして……そのきっかけを生み出したのは、眼の前の【魔女】だ。


「奇跡、ね……」


 椿は、何かを嘲るように笑みを浮かべた。

 いつものような愛らしく、幼い顔ではない。

 長年を生きてきた女としての顔が垣間、伏せられた目蓋の隙間から覗く。


「そうだね。奇跡のような力で、私達のような存在を作った人、だものね……」

「……作った?」


 怪訝な顔をすると、椿は一つ、頷いてそれを肯定する。


「あの人が作った、〈式〉という力で作られた『機構』……今でも世界の何処かに点在する筈の、〈式〉で動く人の形……名を、〈調律機構〉」


「それが、俺……?」

「うん、私もね」

「調律、というのは、何のための……?」

「さぁ」


 椿ははぐらかすようにして、返答を拒んだ。

 口元には薄ら笑みを浮かべながら、だが目は少しも笑っていない。

 瞳の奥底には何か、真っ黒い感情が覗いているような。


 ただならぬ物をそこに覚えた。


 知らず拳を握り、身体を強ばらせるシュウ。

 それに気付いたのか、椿はフッと、表情を緩めた。


「ところで。シュウに記憶が無いのは……破損、なのかもしれないよ? 見てあげよっか?」

「……」

「そんな疑いの目をしなくても……変なことしないってば」

「本当ですか?」

「本当、本当だって」

「……。じゃあ、お願いします」

「それじゃ、上のお洋服脱いで。あちこち見るから」

「え……」


 戸惑いを浮かべるシュウに対し、椿は満面の笑みを見せつけてくる。


「だって、〈式〉は肌を見ないと見えないよ」

「じゃあ、腕だけで良いじゃないですか」

「なるべく広範囲を見ないと。何処が壊れているかわかんないよ?」

「……」


 もう少しだけ悩んでから結局、おずおずとマフラーや外套、手袋を外し、衣服を脱いでいく。

 戸惑いや混乱、若干の恐怖が滲むぎこちない動きに、椿は頬を膨らませ、握った両手を上下に振った。


「もう、本当に変なことはしないってば」

「分かってます、分かってますが……」

「ほーら、座って座って」

「……は、はい」


 そうして倚子に再び、収まるシュウ。

 椿は腕を組み、難しい顔をしながら彼方此方へと視線を滑らせる。


 ただ、それだけなのに。


 別にやましい事をしている訳でも無いのに。

 彼女にジロジロ素肌を見られているという自覚だけで、シュウは頬が少し熱くなる心地だった。


 そんな、落ち着きのない時間を過ごすシュウ。

 そうしている間にも椿の方は至って平常だ。

 本当にやましい意味は無いらしい。

 そうして暫く、シュウの肌を観察した後、


「もしかすると、本当は剣以外にも、シュウの力って色々作れるんじゃないかな。……ねえ、剣以外の形って試してみたこと、ある?」


 問われ、首を捻った。


「いや、そもそもその発想が無かったというか、……剣以外を考えたことも無かったといいますか……」

「その機能自体、ちょっと壊れているのかな。そもそも、君の〈式〉って透明で、凄く見えづらいのだけど……多分、ね。あちこちに欠けがあるの……」

「……欠け、ですか」

「そう。私達の身体を構成している〈式〉に、ね。だから自分の機能も十全に使えない……とか、かな……」

「……へえ」


 聞けば聞くほど、納得する。自分という不明瞭な存在に、輪郭が与えられていく。

 そして同時にその納得は、胸に翳りを落とした。


 自分は人間ではない。

 そしてどうやら『機構』としても壊れているらしい。


 だから記憶が無い。

 だから死ねない。

 今までの旅路の記憶に理由が生まれ……目を伏せた。


(なんだ。じゃあ本当に俺は、化け物……だったんだ)


「ねぇ、シュウ」

 次は背中側に回って〈式〉を観察しているらしい椿が、名を呼んでくる。

「はい」

「シュウって結構迂闊なとこ、あるよね」

「え、なにが……ひっ――!?」


 突然、つぅっ……と背中を細い指でなで上げられ、悲鳴が飛び出た。

 ぞくぞくぅっと嫌な震えが背中を這い上がり、思わず倚子の上から飛び退いてしまう。


 ガタンッ!と大きな音を立てて倚子が横倒しになった。

 だがそんな事はお構いなしにシュウは背中に回した手で粟立つ背中をガリガリかきむしり、目を白黒させる。

「な、なな、なんですかっなにするんですかっ!?」

「無防備に背中を見せてるから、つい」

「つい、じゃないです! 変な事しないって言ったじゃないですか!?」

「ふふ、すっごくかわいい声だったなぁ~」

「そういうの良いですから!」


 媚びるような仕草で可愛らしく言ってくる椿にぴしゃりと言葉を叩きつけ、暫しシュウは荒い呼吸を繰り返す。


 彼女の指の感触が背中から中々消えない。

 全身にまで回った奇妙な震えに抵抗するように服を着込み、首にマフラーをグルグルと強く、巻き付け。


 それから一呼吸ごとに、落ち着いた表情を取り戻していって。

 最後にポツリと、言葉を零した。


「俺は」

 見上げてくる椿は黙って、言葉の続きを待ってくれる。


「人間じゃ、ないんですね……」

「ショック?」

「いえ……」


 正直な感想を、返す。


「少し、安心しました。なら、仕方ないですね……」


 落胆と、混乱は未だ消えない。

 椿によって教えられた情報の全てを受け入れるには、まだ少し時間が必要だ。


 だが今までの疑問に対する全ての「理由」が与えられ、納得が心を満たしていた。

 諦観に似た、枯れた心地だ。


 だが、「分からない」不安よりはよほど、安心出来る物だった。

 それを与えてくれた椿に、向き合う。


「ありがとうございます、俺に「理由」をくれて」


 殺そうと思っている相手に礼を言うのは、変な気持ちだった。

 それを椿もまた、穏やかに笑った。


「変なの。私のこと殺したいくせに」

「お互い様ですよ、椿さん」


 シュウは気付かない。

 彼女の名を今、初めて呼んだ自分に。

 その声の暖かな温度……親しさに。


 自分の顔に浮かぶ表情の、柔らかさに。

 その、笑顔に。



 自分自身が本当は何を欲しているのかも、気付かない。

 彼女に何を与えられ、注がれているのかも、分からない。



 だから彼は、簡単に堕ちていく。



 【魔女】の心に。その優しい笑顔に。

 彼女と過ごす、穏やかで暖かい時間に。

 堕ちていく。緩やかに――――堕ちていく。




 そして――今が幸福であればこそ。

 翳りは深く、色濃く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る