第18話 彼女はそれを赦さない 〈2〉


 バキバキと音を立てて、【死滅願望】が解体されていく。

 腐肉を食いちぎられ、骨を砕かれ。

 抉られ、突き刺され、切り刻まれて行く。


 あれほどに強大だった『死』の化身が。

 二人がどう足掻いても止められなかった、世界の果てしない自死願望が。



 今は赤子のように泣き叫びながら、見るも無惨にバラバラにされていく。



 悍ましい音が、鼓膜を引き裂く。

 高くつんざかれる、痛ましい悲鳴と泣き声が何重にも重なって一つの音の洪水となり、静寂の雪景色を黒く、その血肉と共に塗りつぶしていく。


『――――――――――――!!!!』

 一際、高く大きな悲鳴と共に、頭部と思しき部位が引き延ばされていく。

 腐った筋繊維が限界まで引き延ばされ、やがて「ブツッ」と音を立てて千切れ飛ぶ。

 立て続けに、何本も、何本も。

 最後に残った、頭を胴をつなぎ合わせる太い骨のような部位も、「ボグンッ」と鈍く、何処か乾いた音を立てて、へし折れた。

『……ア――、――!!』

 胴体と切り離されて尚未だ泣き叫ぶ頭に、黒く巨大な『爪』が左右からバラバラに突き立てられる。

 そうして、まるで咀嚼するかのように時間をかけて、ゆっくりとゆっくりと、細かく潰され、切り刻まれて行った。


 泣き叫ぶ声は、途絶えない。

 まるで【死滅願望】自身が強い苦痛を感じているかのように――或いは世界自身が泣き叫んでいるかのような悍ましい絶叫は、絶えることなく響き続ける。



 クスクス、クスクスと。

 椿はその間も、笑い続けていた。



 【死滅願望】の泣き声に、彼女は笑う。

 【死滅願望】が小さく解体されていく度に、彼女は声を大きくさせて、無邪気な子供のように、手を叩いて笑った。


 その身体は……黒い影を果てしなく生み出し続ける。

 影から生え出る無数の、そして巨大な爪は、彼女の笑い声に応えるようにして、踊り狂っていた。


「あはは、呆気ないの。本当……呆気ないっ! この程度の化け物に、いつも私達は負けていたなんて……本当、馬鹿みたい……!」


 ひとしきり笑って、笑って……【死滅願望】を甚振いたぶりながら千切って、引き裂いて、切り刻んで。


 壊して、壊して、壊し続けて。


 そうして――――――泣き声が、止む。

 世界が静寂を思い出す。


 時の流れが緩やかになるように、穏やかな時間が束の間、取り戻される。

 最後に残ったのは、鈴の音のように可憐な椿の笑い声だけだった。


 そしてそれも、不意に途切れた。


「さて、と」


 椿は手を叩いて、地面に伏していた柊を、振り返る。

 その身体から流れ出ていた血はもう、止まっている。

 椿に負わされた傷はとうに、癒えていた。


 だが柊は動けないまま、椿の姿をただ、地面に這いつくばったまま見上げるより他に無かった。


「ごめんね。待たせちゃった」


 大丈夫だよね? 私ちゃんと、致命傷は避けてたでしょ?――と、軽やかに語る彼女の、無邪気な笑顔。

 まるで、最初に出逢ったときのような顔だ。

 そんな椿を、柊は見開いた眼で食い入るように、見つめる。


 身体が、動かせない。

 椿の笑顔の奥底より此方に向けられる、無数の感情に四肢を縫い止められ、動けない。



 彼女の笑顔に覆い隠された底の見えない感情に、素直に柊は、恐怖していた。



「ね、柊」


 椿は此方を誘うように両の手を伸ばす。

 朗らかな笑顔で。

 どす黒い感情を声にする。



「邪魔ものは殺せたし……死のっか!」



 彼女の足元より這い出る『爪』が、更に大きく、大きく……広がっていく。


 空を覆い隠すように。

 まるで、黒い鳥の翼のように。

 だが、それは紛れもなく、鋭利で歪な『爪』だ。


 彼女の身を守る為の武力で――今は、世界を壊す為の、暴力。


 椿は、右腕を前方へとしなやかに、伸ばした。

 そして一切の躊躇いも無く、滑らかに、それを振り払う。


 動きに応えて、『爪』は、その身を静かに広げ――振り下ろした。

 地平まで食らいつく黒い光が無数に雪原を駆け抜け――一瞬の無音の後にそれは轟音を打ち鳴らし、天を、地を、雪を、全てを、そしてそこに刻まれた柊の〈式〉を、無数の爪痕と共に。


 一切の慈悲無く引き裂いた。


「ッ」

 一瞬、柊は大きく眼を見開き身体を震わせた。

 直後、


「あッ、い、ぎっ、あ、あああぁ――ッ!!」

 血肉を深く抉られたかのような痛みが、全身を蹂躙した。


 地面に爪を立てて悲鳴を上げるより他にない。

 血も流れ出ない、外傷の無い激痛は、耐えがたく――そして治すことも防ぐことも、出来ない。

「い゙、あっ、あああああっ……、く、うあぁぁ――ッ!」

 それは一度のみならず、何度も何度も――『爪』が世界を切り刻む度に、その身が切り刻まれるかのような激痛が身体に刻み込まれる。

 額を地面に擦りつけ、雪をガリガリと引っ掻き、悶え苦しみながらの合間、なんとか声を絞り出し、椿を見上げる。


「な、んで……、こ、っ……んなっ」

「その〈式〉に自分の命を注ぎ込んだのは、柊でしょ?」


 椿が冷ややかな声と共に、見下ろしていた。


「ふふ……ごめんね。命を斬り裂かれるのって、きっと、凄く痛いよね」


 労るように言いながら、それでも彼女は『爪』の動きを一切緩めない。

 優しく頬を両の手で包みながら、それでも彼女は世界を壊し続ける。


「大丈夫……私も、同じように痛くなるから……ね?」


 その手は、汗を滲ませて震えていた。

 間近で見たその笑顔は、痛みを圧し殺すように、歪んでいた。

「見てて。私も世界も、皆壊れていくところ……」




「悪い魔女が、もう一度世界を壊すところを!」




 世界が黒く、染まっていく。

 『爪』に引き裂かれた場所が、まるで出血するかのように黒い液体を溢れさせ、それは雪に、空に、木々に、溶け込んでいく。


 白い雪景色は、黒一色に。

 それは椿の身体も同様に――白い肌も、衣装も、髪も、彼女は黒い色へと染めていく。


 まるで、彼女の身体が世界の【死衝動】を全て、吸い上げるかのように。

 まるで、彼女自身が【獣】へと変貌するかのように。


「ふふ、ふっ……」

 引き攣るように笑いながら、彼女は自らの身体を抱きかかえ、地面に膝をつく。

 肩で息をくり返しながら、彼女はそれでもクスクスと笑い続ける。


「ダメ。ダメだよ世界識……死ぬのならゆっくり、ゆっくり……私がちゃんと殺してあげる……でもあの時みたいなのは、ダメ……。お別れも言えないなんて、嫌だもの……」


 地面に倒れ伏したままの柊を、椿は見やる。

 苦痛に身を震わせ、それでも手を此方に伸ばす、柊の姿を。

「ごめんね、柊……」



「おやすみなさい」



 『爪』を深く、深く地面に突き立て――一際大きく、深く、引き裂いた。

 黒々とした雪が、爆ぜるように舞い上がる。

「――――――ッ!」

 柊の痛ましい悲鳴が長く、尾を引き……やがて途絶える。

 横たわった身体はグッタリと、もう動く気配はなくなった。


「ごめん。ごめんね、柊……」

 謝罪を口に、彼女は深く背を曲げ、自らの身体をかき抱く。


「でももう、私は、もう、何も赦せない……世界を救うために死に続けるきみも、きみを殺し続ける世界も……全部……全部全部……」

 黒く染まる身体は今や、皮膚を寸分のすき間もなく貫かれるような痛みを発していた。


 一歩、踏み出すごとに足の裏は熱した鉄板の上を歩くように痛む。

 一呼吸ごとに、声を発するごとに、喉は焼かれ、舌は切り刻まれるかのような痛みを発する。

 痛みに耐えながらそれでも、彼女は声を唇に乗せ、尽きることの無い憎悪を言葉に紡ぎ続ける。


「だからこのまま壊れてしまえ……終わってしまえ……貴女が望んだ事でしょ……ねぇ、だから叶えてあげる、世界識ッ!!」


 何百年も、何百年も……ため込み続けた怨嗟を歌い、椿は世界を黒く染め、破壊の限りを尽くし続ける。

 八つ当たりか、癇癪か、はたまたこれもまた、衝動的な【死】の願望なのか。

 ――どうだっていい、なんだっていい。


 椿にとって、大事なのはただ一つ。

「お前が私の恋を奪い続けるのなら、私がお前の全部を奪ってやる――!」



 この世界の破壊。

 どう足掻いても大切な人を奪ってしまう、この世界の否定。



「お前が望んだ通り、悪い魔女がズタズタに壊してあげる――!」



 世界は壊れていく。彼女の望みによって。

 世界は終わっていく。彼女の呪いによって。




 彼女自身も傷つけて。

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