第17話 彼女はそれを赦さない 〈1〉
地表に転がった身体を知覚がやっと認識した瞬間。
猛烈な血の味と痛みが身体を襲った。
「うっ……ぐっ、……!」
何度も咳き込み、痛みに呻きながら、柊はなんとか身体を起こす。
……地面には、夥しいほどの爪痕が残されていた。
左右より挟み打たれた無数の斬撃が、自分達の身体を切り刻んだのだと理解し――それが今までに見たことがない攻撃であることを理解し。
――――そして、思い至る。
「椿さんっ!」
シキが頑丈に作ったという自分の『核』はまだいい。
だが椿の『核』は傷つけられたら終わりだ。
あの、無数の斬撃が彼女の致命傷に至ってないか――焦りはすぐに、解消される。
すぐ傍に椿の身体はあった。
その身体は傷だらけだったが……彼女の肩付近は辛うじて、無事であることが確認出来た。
痛む身体を引きずり、横たわる彼女の身体を起こす。
眼が合った。
彼女は泣きそうな顔をしていた。
「お願い」
と、彼女は開口一番に、請う。
「まだ……まだ、戦える……まだ、私は……」
縋り付くような声を耳にしながら、柊は周囲を見渡す。
【死滅願望】は未だ、健在だ。
それどころがますます巨大に膨れあがり、根を幾重にも地表に張り巡らせ――何処か上機嫌に笑ってさえいるかのように声を震わせて、泣いている。
その腕の数に、気がつく。
一対の腕しか持っていなかった筈の異形は今や、三対の腕をその身体に備えていた。
そのどれもが爪に相当する部位に無数の刃を携えられている。
アレに左右から斬り裂かれたのだと、理解した。
そしてそれは、危機に対応するべく突然生え出た物であるとも、理解出来る。
だが、あんな姿は、知らない。
この六万八千七百五十一回目にして、初めて見た異形の姿だ。
(まただ)
そして、そうなることを柊は、心の何処かで予想していた。
何度やっても何度繰り返しても、こうなってしまうのだ。
二人が選び取った最善の、その一手先を【死滅願望】は選び取る――生み出す。
変化や進化により此方の動きに対応し、圧倒的な力でねじ伏せる。
そうして、この世界を壊そうとするのだ。
『あ、ア、ア――は、アヒ、アァああア、ア、はぁ――アァアアア……』
いつの間にか、根からも発せられ始めた泣き声が、二人を嘲笑うように取り囲んでいた。
柊は重々しく、首を振る。
「いいえ。此処までです」
「……!」
「……椿さんも分かってるでしょう。この場所は殆ど、根に覆われてしまった……もう、外に影響が出るまで時間が無い」
二人の傷は、塞がっていく。
まだ戦おうと望むのであれば、戦える。
だが、この世界はそうはいかない。
根に覆われ、壊れてしまえば、もうどうにもならなくなる。
そう諭す柊に、椿は半ば飛びつくようにしてしがみ付いた。
「いや、……いや。いや……っ!! 私、また独りになっちゃう……また……きみを待って……独りで……次に柊と会えるのが何十年先かも分からないのにっ!」
「椿さん……」
その手を、優しく柊は握り返した。
首を振って、笑う。
「大丈夫ですよ」
そしてその手をそっと解き……ゆっくりと立ち上がった。
「これで、最後になりますから」
「え……?」
――そうして柊は、休眠状態にしていた〈式〉に、起動命令を下す。
透明な〈式〉は意思に応え、光輝き地表に浮かび上がった。
雪原を装飾する優美な模様のように、精緻な〈式〉の言語が、壊れ往く世界を飾る。
そして――そこに、自分自身の全てを注ぎ込む。
柊という〈機構〉の持つ全てを。
その身を構成する〈式〉、全てを――存在意義を、注ぐ。
即ち――――――自身の命を、注ぎ込む。
透明な〈式〉は彼の命を注がれ赤く色付き、やっと視認できるようになる。
白と黒と灰色の世界を、煌々と輝く鮮やかな……命その物たる赤色が、彩った。
「……柊?」
そうして。
地面に座り込んだままの椿は、震える声で、問う。
「待って、柊……まって。……それは、なに……?」
「これは……世界を救うための〈式〉です」
「……違う。私はそういうことを聞いているんじゃない……っ」
弱々しく首を振った椿は、震える声で問いを重ねる。
「そこに何を注ぎ込んでいるの……?」
【死滅願望】の泣き声は、止まらない。
世界を殺そうとする衝動の権化はいまだ泣き叫び、その生を謳歌している。
アレを止める為に、何度も何度も柊は――或いは、シュウは。その身を犠牲にしてきた。
だが、それは一時凌ぎの策でしか無い。
血も、肉も、ただの逃避策でしか無い。
現に【死滅願望】はこうやって何度も生まれ、暴虐を尽くし、世界を壊そうとする。
アレを根本的に殺すには……もっと深い物を捧げなければならない。
そうしなければこの、死にたがりの世界は救えないのだと――柊はずっとずっと昔の段階で、気付いていた。
そのために自分は生まれたのだと、分かってしまった。
なぜならば。
かつて、シキ=ヒトトセが、言っていたからだ。
そう。
彼女は何度も、言っていた。
あの、『日課』の。『儀式』の、直前に。
「――この身体を、血を、命をもって。死にたがりの世界に、救いを」
それが、柊の生まれた意味……存在意義。
記憶を取り戻す度に『柊』が紡ぎ、繋いできた、世界を救うための、唯一の手段。
ただ一人、それを受け入れられない椿は声の限りに叫ぶ。
「だめ……いや、いや……だってそんなの……っ! 私は……っ、ここから先、ずっと一人で……ねぇ、……やだよ……っ!」
「世界が救われたなら、貴女をここに置いておく意味も無い……シキはきっと、それくらいのことは考えているから……きっと椿さんは、ここから出られるようになるはず……」
「違う、違う違う違う違うっ!」
椿は激しく被りを振って、何度も言葉を叩きつけるように叫んだ。
柊は言葉を収める。
そうすると、少しだけ、世界が静かになる。
死を歌う【死滅願望】の泣き声がどこか、遠くに感じられた。
はあ、はあ、と肩で息をくり返し……やがて椿は、涙に濡れた目を、此方に向けた。
「世界は救われて……柊は、……きみはどうなる、の……?」
「俺は……」
震えながら、賢明に立ち、此方を真っ直ぐに見つめる、姿。
その姿を、痛ましいと思う。
だが愛おしいとも、思う。
彼女だけは、こうやって自分を案じてくれる。
彼女だけは、自分をただ一つの自分として、欲してくれる。
彼女だけは、傍に居てくれと、請うてくれる。
それがただひたすらに嬉しくて……嬉しくて。
――――ただそれだけで良いのだと、言い切れる程に。
「ごめんなさい。貴女がこんなこと、望んでいない事は、分かってます。でも、でも俺は……貴女が……」
笑ってくれるのなら。
泣かないで居てくれるのなら。
愛しているのは、本当だ。
傍に居たいという思いにも、嘘はない。
彼女の手を放したくないと、強く、強く、想う。
温かな温もりも、柔らかな感触も、全てが大切で、離れがたい尊いものだ。
このまま同じ時間を過ごして、ただ二人で他愛のない会話をして、あの甘くて優しいお茶を飲んで、そして静かな夜を共に出来るのなら。
それは、どんなに素晴らしい幸福の形だろうか。
たったそれだけの日々を、自分達は命がけで望んでいる。
だけど、世界が彼女を赦さないから。
彼女に押しつけられた罰は、余りにも大きくて、途方もないから。
だから自分はそれを肩代わりしよう。
彼女の、その小さな身体に背負った物を全て、自分が引き取ろう。
「これが、今の俺に出来る唯一の」
恩返しです――――と。
果たして何処までが正しく、形となって言葉に出来ただろうか?
声が上手く出せなかったことに気がついたのは、それが胸から引き抜かれた時だ。
遅れて、弾け出るようにして噴き出した鮮血が、雪を赤く、赤く染め上げ――身体は、
「……え?」
そして……漸く。
自分の身体に何が起こったのかを、柊は理解する。
黒く、黒く輝く、鋭い爪。
血で赤く染まったそれは真っ直ぐに、彼女の影から延びていて。
俯いたまま、右手を真っ直ぐに突き出したまま、彼女はただ、静かに言う。
ただ静かに。
淡々と。
「言った筈だよ」
「――これまでに、何度も何度も、私は、きみに、言ったはず」
その声に感情は無く。
ともすればいつもの、他愛ない雑談のように、穏やかに。
「きみがルールを破らなければ、殺さないでいてあげる、って。…………ねぇ」
覚えてる?――と、彼女は首を傾げ、笑いながら問う。
柊に、応える術は無かった。
声も出せず彼はただ、自らに刃を向けた椿を、見上げるばかり。
思い出す。
今までの――六万八千七百五十回……その出会いと別れのくり返しのなか、彼女がいつからから自分に提示するようになった、『
そう。
此度も彼女は最初に告げた。
悪い魔女を殺しに来た柊が、この場所に留まる為の、条件。
魔女に殺されないための、『人質』の条件。
「私を怒らせないで」
「私を悲しませないで」
"きみがルールを破らなければ、私はきみを殺さないでいてあげる――"
「私、何度も何度もそう言ったのにね……」
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