第12話 追懐:如何にして世界は壊れたか 〈2〉
歌が聞こえる。
俺の肩に頭を乗せて、椿さんは明るい調子の歌を口ずさんでいた。
軽やかな歌声に耳を傾けて、俺は目を閉じる。
そうしていると歌に飽いたらしい椿さんが、指で俺の頬をチクチクとつついた。
片目を開けて、彼女を見る。不満げな顔。
でも俺と眼が合うと、彼女はニッコリと、とても嬉しそうに笑った。
ほわり、と胸の中が温かくなる。
「……いつも笑顔ですね、椿さんは」
「そう? そうかも。そうだったっけ?」
「なんで曖昧なんです?」
「いつもそうしていると、今自分が笑ってるのかどうか、わかんなくなっちゃった」
唇を尖らせ、彼女はどこか不服そうな顔をする。
「でも」、と彼女は続ける。
笑顔が、取り戻される。
「私はそうしていなさいねって、シキに言われてるんだ」
「どうして?」
「よく分からない……私の感情は、世界に捧げる『慰め』なんだって」
「……」
やはり――彼女も、自分と同じような存在なんだ。
薄々、分かっていた事だ。彼女は恐らく、普通の人間ではないと。
今、それが明確な確信に変わった。
だけど。
きっと椿さんは、愛されるために生み出されたのだろう。
それは恐らく、世界を『慰める』ために。
暖かい気持ちを沢山与えられて、それだけを知って、生きている。
(俺とは、違う)
それを悲しむ気持ちは、生まれなかった。
彼女が持つ温かさがただ、幸いで……俺も彼女の笑顔を守れる一人になれるのなら、それが一番望ましい、それが一番、幸せなのだ、と。
そう、言い切れる。
(だって彼女は、こんなにも暖かくて、優しい)
だから使い方を覚えたばかりの〈式〉を使って一つ、プレゼントを作ることにした。
形は以前、彼女が抱えていた物を真似して作る。
ふわふわで柔らかい布地と、ふくふくの綿の感触を、思い描く。
色は彼女から頂戴することにした。
真白の身体。耳は藤色。
目は、彼女の物と同じ、朝焼けの空の色。
頬は薄紅に。それから、椿の花をあしらった髪飾りを、耳に。
そうやって出来上がったぬいぐるみを、椿さんに渡す。
彼女は感激した様子でそれを抱え上げ、足をばたつかせた。
「わぁ……かわいい……! シュウ、〈式〉で物作るの上手になったね!」
「これくらいしか時間を潰せる物がありませんからね。……ああ、こんな物も作りましたよ」
椿さんに、傍らに転がっていた小さな箱――オルゴールを渡す。
彼女はぬいぐるみを抱えたまま、受けとったオルゴールのネジを回し、流れ出る音色に耳を傾け始める。
金属の細い板を爪弾く音色。音は上出来だろう。
しかし音程はその限りではない。綺麗な音が、てんでデタラメな旋律を奏でる。
椿さんが苦笑を零した。
「ふふ。今度はお歌の練習がいるかな」
「……。善処します」
きっと渋い顔をしているであろう、俺の顔を見て椿さんはクスクスと笑った。
「でも、本当に便利な〈式〉だよねぇ、シュウの〈式〉って……」
そう言って彼女が見渡す俺の部屋には、練習の産物があれそれと転がっている。
オルゴールの試作品や、倚子、机、ライト、本。
全てが時間を消費する為の術であり、そして、こうして部屋に来てくれる椿さんを喜ばせるための物だ。
「いいなぁ。私も何か出来ると良かったのに……」
言いながら、椿さんが足元に転がっていた歯車仕掛けの人形を拾い上げる。
楽器を抱えた熊のぬいぐるみだ。ネジを巻くとポコポコと、抱えた太鼓を元気よく叩いた。
「そう言えば……ないんですね、椿さんにはこういう〈式〉が……」
「んーん、あるにはあるんだよ。ただ……シキが、椿はまだ子供だからだーめ、なんて言って、封印してるんだって。ケチだよねぇ」
「シキが……」
「椿姫がもっと素敵なレディになってからだよー、だって」
椿さんの口から語られるシキの姿は、俺が認知している彼女よりもずっと、優しくて暖かそうに思えた。
理知的で、冷たい雰囲気をまとう、淡々とした人。
それが俺にとってのシキ=ヒトトセという人物像だ。
床に積まれた図鑑や写真を見やる。
それは授業の際に恐る恐る要望を口にしてみた結果、彼女が与えてくれた物ではある。
ただ、
「そうか。幾ら君でも、娯楽が欲しくなったか……」
「いいだろう。君の〈式〉は本来、無色透明故に万能の創造を叶える代物だ。扱える選択肢を広げるのは、その機能の本懐だろうからね」
そう言った彼女の顔は、ただただ無関心だった。
(シキの言葉なんて、些細なことだ)
今まで眠るしか無かった時間を有意義に活用して、作った物で椿さんが喜んでくれるのなら、それが何よりも俺には嬉しかった。
(それに、集中していれば気も紛れる……し……)
……その思考が、良くなかった。
後悔するも、遅い。
「……!」
数時間前に味わった苦痛を思い出してしまい、ゾッと背筋が震え上がった。
強い震えや吐き気を誤魔化すように腕を抱えて頭を埋め、ギュッと目を閉じる。
(最近、すぐにこうなってしまうな……)
以前ほど、受ける暴力に対して無感情では居られなくなってしまった事を、憂う。
暖かさを知れば、冷たさも分かるようになった。
手に入れた心地よさは、苦痛を度合いを測る物差しになる。
(でも……)
「シュウ?」
不安げな声で名を呼ばれる。
椿さんの小さな手が、俺の肩を掴んで揺さぶってくれている。
「シュウ……具合悪いの? 大丈夫?」
「いえ、大丈夫です……」
「本当? 私、うるさかった? 帰った方が良い?」
目をゆっくりと、開く。
心配げに寄せられた眉、不安そうに揺れる目。
自分の身を案じてくれる彼女の想いが、痛い程に伝わる。
手を伸ばして、彼女の頬に添える。
彼女は暖かくて柔らかくて。それだけで心がホッと、軽くなった。
「大丈夫です」
言うと、彼女の表情が和らいだ。
そのまま頬を撫でればくすぐったそうに目を細めて、彼女は笑う。
鈴を転がすような、愛らしい声で。
それを耳にすれば、心がもっと軽くなる。温かくなる。
血生臭い記憶は、たちまち何処かに消え去ってしまった。
「俺は、椿さんの笑っている顔が、好きです」
「ふふ。私も、シュウが笑ってる顔が好きだよ?」
彼女の頬を撫でる手が、止まる。
彼女から手を放して、自分の頬に手をやり。
「俺……、笑ってます、か?」
「うん。最近は、ね。よく笑ってるよ?」
「……そう、でしたか」
自覚が無かった。
だけど彼女がそう言うのなら、きっとそうなのだろう。
自分が笑えるようになる日が来るなんて……思ってもいなかったのだけど。
(……全部、椿さんが俺にくれたんだ)
与えて貰うばかりで、自分に何が出来るだろう。
そんな風に思いはするけれど、実際自分に出来ることは、あまりにも少ない。
(何かを返せる日が、来たなら……その時は……)
ぐいぐいと、腕を引かれて思考が止まる。
椿さんが俺の腕を何度も引いていた。ぷぅ、と頬を膨らませた怒り顔で。
「え、どうしました?」
「シュウ、やっぱり絶対疲れてる。私の膝、貸してあげるから休んで」
「つ、疲れてないですよ」
「嘘。絶対嘘。今日はなんだかぼーっとする事が多いもの。そういうときは無理しちゃだめ。絶対だめ」
抵抗しても、椿さんの腕の力は意外にもかなり強い。
俺が疲れているせいでもあるのかも知れないけれど。
結果、有無を言わさず彼女の膝の上に頭を押さえつけられてしまった。
ぽんぽんと、頭を撫でられる。
「あのね。シキにもよく言ってるの。目の下が真っ黒い時は休んだ方が良いって。……シュウもちょっと、黒いよ」
「そうなんですか?」
「今度鏡を作った方がいいよ、絶対。うん。絶対」
怒った口調を作りながら、髪を梳いてくれる手は、優しい。
暖かい物がそこから流れてくるようで……少し、泣きたいような、甘く切ない感傷が胸の中でチクリと痛んだ。
「シュウのお役目って、大変なんだね……」
「俺は世界の『救い』ですからね……頑張らないと」
「無理、しないで。シュウが倒れたら私、悲しいよ」
「大丈夫ですって。俺、かなり頑丈ですから」
「うん……」
大丈夫。
大丈夫だと、俺自身、強く言い切れた。
そこに嘘も、虚勢も無い。
この時間のためになら、他の時間が幾ら痛くて苦しくても、良い。
彼女がいるこの世界を救えるのなら、それほど誇らしい物は無い。
そう、心の底から思っていた。
「だから、笑っていて。泣かないで」
どうか、彼女には知って欲しくない。
痛いことも苦しいことも悲しいことも。
どうか、貴女は無垢なままで。
代わりは全部、俺が。
*
「……自分さえ頑張れば、彼女が生きるこの世界が、護られる」
「それだけで、全ての苦痛を飲み干せた。耐えられた」
「だって彼女と過ごす時間が、何よりも大切だったから」
「椿さんが、何よりも、大切だったから」
「だから俺は世界を救い続けた。そういう自分を、肯定し続けた」
「それが果てに何を生み出すかも、俺は考えやしなかった」
「――――だから俺は、呪わせてしまったんだ」
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