第11話 追懐:如何にして世界は壊れたか 〈1〉



「世界が終わりに向かうのは何故だと思う?」



 見上げたその人が、問いを此方に投げ寄越す。

 天井から降り注ぐライトの光に照らされ、その表情は覗えない。

 目映さに目を細めながらただ沈黙していると、その人は……彼女は、勝手に答えを寄越した。



「他ならぬ、世界自身が死を渇望しているからだ」



 理知的で、だが同時に冷たさを感じさせる、淡々とした口調だ。

 カツン、とヒールを鳴らして、彼女は俺の周りを歩き出す。


「世間が言う【獣】とは正確には、【死衝動の獣デストルドー】……まぁ、これだって私が名付けたものに過ぎないけど」


 カツン、カツン――彼女は語る。


「アレは『彼女』が死にたいと望む、その強い感情が現世に具現化したものだ。他ならぬ、世界自身を殺すために生まれ出た、死衝動の具現……」


 カツン、カツン――彼女は語る。


「『彼女』が世界その物である以上、『彼女自身』とはつまり世界に存在するありとあらゆる物――動植物、建造物、自然、文明……勿論人間も対象だ。この世界ごとの死を彼女は望んでいるのだから」


 カツン、カツン――彼女は語る。


「ここ最近の気温の低下はその副産物だろうね。『彼女』の中のイメージに『生』は『熱』とあるらしい。熱とは痛みであるのだから、可笑しな話でもない。きっとこの先、症状が酷くなれば世界は雪に覆われていく事になるのだろう」


 カツン、カツン――彼女は語る。


「もっと言うのならばは案外夢見がちでね。……白くて儚げな雪に埋葬される事をさも、美しいとでも思えたのかも知れないね」


 カツンッ――彼女は歩みを止めた。

 真正面に再び立ったその人を、俺はもう一度見上げ。

 一つ、問う。


「世界に、意識があるんですか」

「ある。凡人には到達し得ない彼の領域に、『彼女』は存在する。……他ならぬ、私が証人だ」


 無造作に伸ばされた、薄い金色の髪を掻き上げ。

 その人は目元を歪めて笑った。


「そして、その時に彼女から授かった土産が、〈式〉という言語……君を作った力、という訳だ。……他ならぬ、彼女の心を救うために、ね」


 自称する『研究者』に相応しい白衣。

 綺麗に手入れされ、傷も曇りも存在しない眼鏡。

 だがその下に着込んだ洋服は薄い胸元が大きくはだけており、足元に深々と切れ込みが入っている。

 そこから覗く肌の色は、生白い。


 理知的で毅然とした口調とは裏腹に、表情には常に疲弊を抱えている。

 時間厳守でスケジュールを微塵にも狂わせたことはないのに、堂々とくわえ煙草をして、白衣のポケットに手を突っ込んで歩く……そんな、矛盾を着こなす人だった。彼女は。


 「さて」と、彼女は両手をたたき合わせる。


「今日の授業はここまでにしようか、冬の子」


 そうして彼女は此方を見下ろしたまま、一歩、二歩、と後ろに下がる。

 懐中時計をポケットから取り出し、時刻を確認してから、パチンッと勢いよく蓋を閉じた。



「時間だ。日課を……失礼。を、始めよう」



 その言葉を引き金に、背後の鉄製の扉が重々しい音を立てて開く。

 そこから部屋に入ってくるのは、皆一様に真っ白い服を身に纏った人間達だ。

 彼らは統率の撮れた動きで静かに部屋に入ると、俺を取り囲み、深く頭を垂れて手を合わせた。

 ジャラリと、何処か重々しい音を、数珠が立てる。


 俺の両の腕は後ろ手に拘束されていて、その枷に繋げられる形で、足も縛られていた。

 身じろぎすら不自由な身体に添えられる、道具……人体を壊す為の道具。

 耳の奥を抉るようなチェーンソーの唸りが、聞こえた。


 白い人影の向こうから、淡々と言葉が寄越される。


「死に憑かれた世界の心に救いを。その身体を、血を、命をもって、使命を果たせ」



「死にたがりの世界に、救いを」

「はい、シキ=ヒトトセ」



 この肉体の全てが、死衝動を鎮める薬になる。

 俺は、血を流し世界に注ぎ込む事で世界の死衝動を抑え込む存在……謂わば鎮静剤なのだと。

 創造主であるシキ=ヒトトセは一番最初の授業で俺に、教えてくれた。


 

 それが『世界の救い』として生み出された俺の使命だ、とも。



 四肢を断ち切られ、内臓を引きずり出され、首を切り落とされ……何度でも繋がるそれを念入りに、何度も何度も、執拗なまでの暴力でなぞり直され。

 それら行為はシキの合図が出されるまで、繰り返される。


 破壊音と、俺が上げる悲鳴以外に、その部屋に音は無い。

 白装束の誰もが粛々と儀式を執り行い、白い着物の隅から隅までを赤く染め上げた。

 まだ、着物の赤くない、武器を振るう順番を待つ者は、静かに頭を垂れて両手を合わせ、祈り続ける。



「どうか、世界をお救いください」「どうか、【獣】をお鎮めください」――と。



 それがシキ曰くの『日課』で、世界を救うために必要な『作業』。

 そして彼ら……信徒曰くの『儀式』で、世界を救うために必要な『祈り』。



 供物である俺は、何も思うことはない。

 何も。



 日々に色はなく、痛みと苦痛だけが色彩と成り得た。

 唯一、他者と言葉を交わすのは、シキが気まぐれに行う授業の間だけ。




 俺はただの薬で、肉で、血だ。

 そんな肉塊が何かを思う事など、無かった。







「そう。何かを思う心を、まだ俺は持っていなかったんだ」


 一面の、白い壁。

 窓もなく、密閉された部屋に横たわる俺に、『俺』は語りかける。

 自室にいる間は、拘束されていない。

 この白い部屋の中においてのみ、俺は自由だった。

 だけど手も足も、指先の一関節ですらも、一ミリたりとも、動かす気にはならなかった。


 目を閉じて、眠りに逃げる。

 そうして再びドアが開いて……あの日課が訪れるのを、俺はただ、待ち続けた。



 微睡み、溶けていく意識の中、『俺』は静かに語る。



「そんな日々が明るく色付いたのは、部屋に春が迷い込んできた日だ」

 その静かな語調に、柔らかい笑みが混じる。



「忘れもしない。彼女のあの、無邪気な笑顔――……」





「……」

「……」


 扉を開いた姿勢のまま、硬直する女の子。

 目をまんまるに見開いて、口を半開きにして、その子は何か、深い衝撃を味わっているようだった。


 俺はそれを床に身体を横たえたまま、力なく見上げる。


(シキ以外に初めて、まともに人の顔を見た)


 綺麗な色の髪と、綺麗な色の眼。

 それから、真っ白い衣服を身に纏う、小さな女の子。


 ……残念ながら、その時の俺には言葉が無かった。


 彼女の鮮やかな藤色の髪も、朝焼け色の瞳も、白無垢を模した美しい和風のドレスも、その命に冠した『春』に相応しい色合いも……それらを綺麗だ、と思ったところで、表す言葉を、俺は知らなかったのだ。


 だけどその子が愛らしい容姿の、小さな女の子であることだけは、分かった。


「おとこのこ……!?」


 と。

 彼女は彼女で、どこか呆然とした調子で声を上げた。

 もしかすると彼女にとっては初めての異性との邂逅だったのかも知れない。

 それから扉を閉めることも忘れて部屋に駆け込み、俺の傍に膝をつく女の子。


「……」

 彼女は大きく開いた目で、視線を此方にジッと注ぎ込み。

 何度も何度も、胸に手を当てて、深呼吸を繰り返して。


 意を決した表情になると、一言。


「はじめまして。……きみの、名前は?」

「……、は、」


 声が上手に出せなくて、顔を顰めた。

 上体を起こし、喉に手を当てて、何度か声を出す練習をして。


「おれは」

 返す。


「俺は……シュウ。だったと思う……?」

「如何して曖昧なの?」

「呼ばれることが、なくて」

「そう、なんだ……?」


 不思議そうな顔でその子は首を傾げた。

 それから、満面の笑みを顔に咲かせる。



「じゃあ、これからは私が沢山呼んであげる!」



 それは……今の彼女が失ってしまった笑顔だ。

 痛みも苦痛も淋しさも怖さも、何も知らない、無垢な頃の彼女の笑顔。


 それは、今までに見てきたどんな光よりも綺麗で。

 涙が出るほどに、眩しかった。



「私はツバキ。春の木と書いて、椿……よろしくね、シュウ――」






「当時の彼女は、人の悪意など何も知らなかった」

「ただ無垢で、無邪気で。人に愛され、肯定され続けていたから」

「世界が優しく、暖かいものだと、曇り無く信じていたから」

「シキの当時の駒……信徒達も、彼女には真摯に愛情を注いでいた」

「彼女を愛することで世界は救われる。そういう風にシキがそそのかしたから」





「そして……彼女だけが、あの世界で俺に、優しかったんだ」




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