第10話 世界は【魔女】を赦さない 〈3〉
椿の身体は、酷く欠損していた。
だけどシュウには、それが脅威ではない事が、分かっていた。
右の鎖骨周辺は、無事だ。
あの戦いの中でも、そこだけは必死に守り抜いたのだろう。
そこさえ護られているのなら、彼女の身体は瞬く間に回復するはずだ。
きっと、シュウ自身と同じように。
実際、抱きかかえた彼女を寝床に運ぶまでの間に、粗方の怪我は塞がり、衣服も元に戻っていった。
「初めて入るな。椿さんの部屋……」
等と、一人呟く。
女の子の部屋に許可無く足を踏み入れることに、僅かばかりの罪悪感を抱くが、今はそんな場合ではない。
片手でドアを開き、身体をねじ込むようにして、彼女の部屋へと入った。
椿の部屋は、簡素な造りだった。
家具と呼べる物は殆ど置かれていない。
唯一、彼女の寝台には、沢山のぬいぐるみが乗せられていて、彼女が毎夜それらに埋もれながら寝ている様が想像出来た。
イヌ、ネコ、ウサギ……ぬいぐるみは種類も大きさも、様々。
ぎゅうぎゅうに身を寄せ合い、鎮座するそれらは、寂しさを誤魔化すための術なのかも知れない。
そしてそれもまた、彼女の言う『迷子』達が残したプレゼントなのだろう。
そのうちの一つは、椿の髪色や衣服の色を模して作られている。
丸く、愛らしいウサギの姿から、椿への親愛の情をひしひしと感じられた。
それを血で汚すのは流石に良くないか、とシュウは一度、椿の身体を見やった。
既に流血は止まっている。
無くした腕も殆ど修復されていて、衣服も元の純白を取り戻していた。
これならばぬいぐるみもシーツも、汚れる事は無いだろう。
小さな身体を寝台に横たえ、布団を掛けてやる。
「……そう言えば服もセットなんだなぁ、俺達……。変なの……」
そんなこと、今まで気にしたことも無かった。
それも、シュウが壊れているがためなのかも知れない。
「そう、きっと俺は……壊れてるんだ」
呟きは、誰にも聞こえない。
そうして寝台に伏す、苦痛に歪んでいた顔が徐々に穏やかに和らぐ様を、シュウは何となしに見つめる。
頬に残る涙の跡と、徐々に消える、血の跡。
苦痛と共に戦う彼女の姿が、脳裏に蘇った。
「……」
小さな身体は血に塗れ、人の暴力によって破壊され。
泣き叫び、歯を食いしばり、必死に一人戦う姿は……痛ましく、直視に堪えない。
その力は確かに、【魔女】と呼ばれるに相応しい物だ。
だけどその心は、【魔女】と呼ばれるにはあまりにも脆く、柔い。
「俺は、貴女を……」
殺して、と彼女は言った。
だけど、それを叶えてあげる事は、もう出来そうにない。
「どうしたら……」
どうしたら、楽にしてあげられるだろう。
どうしたら、彼女を助けてあげられるだろう。
そんな思いだけが胸の中に次々と生まれては、積もっていく。
「どうしたら、貴女は、笑って……」
――――――ピクリと、目蓋が動いた。
ゆっくりと目が開かれ、綺麗な瞳の色が、覗く。
何度か目蓋を瞬かせて、それから彼女は此方を見た。
そして、笑った。
「ふふ……私が苦しんでいるところ、見てたの?」
「ど、どうしてそんな意地悪な言い方するんですか……」
本当に傷ついた様子で返すシュウに、椿はばつが悪そうな顔を見せる。
「ごめん。だって……」
身体をゆっくりと起こし、彼女はそっぽを向いてしまう。
「シュウ……見たでしょ、私の力」
「はい」
「私は【魔女】……【獣】たちの支配者で、世界を壊した罪人……それは確かなの」
「でも、だから椿さんは、自分で生み出した【獣】を自分で殺す……椿さんがいつも言う『用事』って……そういうことでしょう?」
矢継ぎ早に言葉を並べると、彼女は小さく笑って、首を振った。
「そんな立派なものじゃないよ。確かに、私は定期的に【獣】を生みだして、自分で殺してる……でもそれは、自分で生み出した分だけ。それ以外の……勝手に出てくる【獣】は、放置してる……だって」
そこで彼女は言葉を切って、シュウの方へと顔を向ける。
にこりと、彼女は綺麗に笑った。
「人間なんて心底どうでもいい。私は人間が大嫌いだから」
……それが心の底からの言葉なのだと、シュウには分かった。
玩具を壊すように簡単に、人間を殺す椿の姿が蘇る。
彼女の行動には迷いはなかった。
むしろ八つ当たりめいた過剰な暴力が、あの戦いの中には確かに存在した。
それはシュウにも読み取れる。
彼女は本当に、心の底から人間を嫌い、憎んでいるのだろう、と。
なら、どうして彼女は此処にいるのか。
どうして、ここまで人間を憎悪しながらも、彼らを護る役割に殉じているのか。
問いかけずに留めた言葉を、椿は察したのだろう。
「それでも」と彼女は口を開いた。
「それでも此処にいるのは、それが私への罰だから。……私が、全ての元凶だから」
不意に思い出せる言葉が、あった。
あの戦闘の直前、彼女が部屋を出て行く時に言い放った言葉。
――覚えてないだろうけど……きみには本来、そうする権利があるんだよ、シュウ。
「それはもしかして……俺の、破損にも関わるんですか……?」
「……」
椿は、口を噤んだまま、瞳を伏せた。
慌てて彼女の手を取り、シュウは身を乗り出し首を振る。
「言っても、俺はきっと貴女を嫌いませんよ。俺はもう、貴女の事が……」
「違うっ」
鋭い声で、椿が言い放つ。
言ってから、彼女はそれを悔やむように、顔を歪めた。
「違うの……」
声に、血のような苦痛が滲む。
今にも泣き出しそうな幼い少女の顔で、彼女は続ける。
「言っても嫌いになってもらえないから……シュウは、そう言う人だって……私、知ってるから……」
「え……?」
「私……私、ね……」
背を折り、椿が深く、俯く。
ぎゅうと、握り返される手に力が、籠もった。
「きみにどうやって接すれば、きみが私を好きになってくれるのかも……全部もう、分かってたの。……だから私は、シュウに好きになってもらえるように、優しくした……きみの傷ついた心につけ込んで、きみが私に心を許してくれるように……私は……そうやって、きみの心を……」
「……じゃあ、椿さんは……俺の事を……知ってるんです、ね」
小さく、彼女は涙と共に頷いた。
「……そう、だったんですね……」
その言葉に、受けるべき衝撃は……無かった。
本当は――考えないようにしていただけで、薄々思っていたことだったのかも、知れない。
彼女の告解に何処か納得しながら、シュウは今までの事を、思い返す。
……思えば。
彼女はあまりにも、シュウ自身の事に詳しかった。
最初から。
本当に最初から、椿は常にシュウへの対応に、『最適解』を採り続けていた。
欲しい物を的確に与え。
望む時間を共に過ごし。
心が欲している物を、注ぎ込み続けた。
時に傷口をなぞり、それに目を向けさせることで、自身でさえ気付かなかった膿を吐き出させた。
そうして弱ったところに、手を差し伸べてくれた。
それは確かに『正解』で。
シュウは確かに、彼女が与えてくれる全ての物を受け入れ、心を傾けていった。
疑問はあったかもしれない。
だがそれ以上にその時間が、選択が、心地よかったから、考えられなかった。
……それすらも、彼女の予想どおりなのかも、知れない。
だがそう思ったところで、心の中には何も生まれ出ない。
彼女へ向ける温かい気持ちは、僅かにもくすむことが無かった。
(だって俺は、そのお陰で……)
「ごめんなさい」
涙に濡れた顔を上げて椿は、言う。
それにシュウは首を振り……彼女の手を握りながら、
「良いんです」
力強く、断言する。
胸の中、くすむこと無くあり続ける感情に素直に従い、彼女の眼を、見つめる。
怯え、震える弱々しい目。
自分は確かに、今、彼女の力になりたいと、願っている。
彼女の助けになりたいと、望んでいる。
「俺は、それでも貴女に――」
笑っていて欲しい、と。
――――――その言葉は、声にならなかった。
ガタンッ――と、扉が乱雑に開け放たれる音がシュウの言葉を絶つ。
「!」
シュウは息を呑んで振り返った。
ドアの前に立つは、黒を身に纏った人間――それが黒塗りの暗器を手にした「敵」であることに気がついたのは、それが幽鬼のように「ゆらり」と動いた瞬間だ。
(家の中に……!)
混乱に乗じて潜み、【魔女】が気を緩める瞬間を待っていた――こっちが本命か!――意図に気付いたところで、遅い。
迫る凶器は真っ直ぐに椿に狙いを定めている。
「椿さんッ……!」
名を呼ぶも、椿は動けない。
傷ついた身体はまだ不完全で、加えて意表を突かれ。
彼女は大きく目を開いたまま――――シュウは咄嗟に彼女の前に立ち塞がった。
「……っ!」
背に縋り付く、椿の手の感触。
悲鳴のような吐息。
眼前、マスクの下から覗く、鋭い殺意の光が此方を射止め。
胸元近くに、沈む刃の先端。
それら全てが鮮明に感じられ――、
――――衝撃が、胸を貫いた。
「シュウッ!」
椿が悲鳴交じりに名を呼んだのが、聞こえた。
胸の辺りに激しい熱を覚えながらシュウは歯を食いしばり、右の腕を頭上に掲げて〈式〉を紡ぐ。
意思に応えて透明な剣が宙に現れ、それは真っ直ぐに振り下ろされると、刺客と自分の身体を縫い止めるように、串刺しにした。
「ぐっ、ぅ……!」
離れようと藻掻く刺客の身体を、血反吐を吐きながら押さえ込み……やがてそれは限界を迎えて、グッタリと動かなくなった。
首元に指を添え、脈がない事を確認してから、自らの身体をも貫いた剣を、消す。
亡骸を身体の上からどかし、身体を起こし……椿の方を、振り返る。
彼女は、無事だ。
「よかっ、た」
血を吐きながら笑い……シュウは、血だまりが広がる床に崩れ落ちた。
「シュウ……! シュウ、しっかりして……!」
椿が名を呼び、身体を抱き起こす。
短刀は心臓を狙って深く突き立てられたのだろう。
シュウが割って入った事で結果的にはやや外れた位置に突き刺さっていた。
だがそれは、鎖骨より少し下……致命傷となる部位の、程近くだ。
それを認めた椿が鋭く息を呑み、首を力なく振った。
「や、やだ……」
「これは……ちょっと、まずい、ですかね……」
意識が朦朧とする。
普段ならばこんな傷、たいした物では無い。
だが今は、状況が異なるらしい。
この一刺しで深いダメージを負ったことを、自分自身でも冷静に認識出来た。
きっと、椿にもそれは見て取れたのだろう。
「いや……っ」
椿は涙を流しながら、身体をかき抱いてくれる。
その小さな手の震えを宥めるように、シュウは彼女の手に、自分の手を添えた。
「椿さん、すみません……」
「謝らないで……そんなの、聞きたくない……っ」
椿の頬を伝い流れる大粒の涙を、手を延ばして、拭う。
だが後から後から溢れる熱い涙は、留まることを知らず。拭い去る事は出来そうにない。
シュウは力なく、笑った。
「ほら。また、【獣】が生まれちゃいますよ……?」
「そんなのどうでもいい……っ!」
「俺は…………貴女を泣かせたくないん、です」
「じゃあ私なんか庇わないで良かったの……私は……死んでも良いの……っ!」
「そんなこと、いわないで……ください、よ」
段々と視界が暗くなり、彼女の顔が、見えなくなる。
その手の震えと、零れ落ちる涙の熱さだけが、明確に伝わってきた。
「死なないで。まだ傍にいて……まだ……もう少し、もう少しだけでいいから……まだ、一緒に……っ」
(いたかった。俺も、一緒に居たかった、……けど)
震え、上擦りながらも必死に希う声に、胸が酷く痛む。
だが無情にも意識は闇に引きずられていく。
身体が冷たく、寒く、なっていく。
(泣かないで。笑っていて。……俺は、貴女を……)
眠気にも似た感覚に、包み込まれていく。
「いや……もう、いやぁ……」
悲痛な叫びが、一欠片の痛みを胸に残す。
そうして視界は黒く、染まり。
「これで、六万八千七百五十一回目……」
最後に。
最後に、彼女の声が聞こえた。
「私はあと何回、きみと出会い直して……きみを、見送ればいいの……っ?」
*
泣かないで。
笑っていて。
心からそう、思った。
貴女はいつだって俺の欲しい物をくれた。
貴女は俺の心を癒やして、救って、暖かいもので包んでくれた。
それがどれ程の『救い』だったか。
朝焼けの瞳はいつだって綺麗で。
掌はいつだって暖かで。
共に過ごす時間は優しく、心地よくて。
だから俺は彼女を「救いたい」と思った。
貴女がいる、この世界を救いたいと――そう、改めて思えた。
「だから」
真っ黒な視界にひとつ、声がする。
良く知っている声だ。
でも、知らない誰かの声だ。
「だから俺は此処にいる。だから俺は、また此処にやってきた――そうだろう?」
そう言って声は微笑んだ。
聞きなじみある、自分の声で。
聞きなじみのない、自分の声色で。
「これで……八十九回目のはじめましてだね。六万八千七百五十一人目の俺」
暗闇の中。
姿無き『俺』は俺に語りかける。
「今回は思い出してくれそうで、何よりだよ」
気さくな調子で、穏やかに。
「さぁ。手始めに昔話をしようか。彼女の昔話を」
そして――――――。
「壊れてしまう前の、俺の話を」
――視界が白く、目映い光に満たされる。
暗闇が晴れ、徐々に鮮明になっていく世界の姿――それはまだ、様々な色彩を抱えていた頃の姿。
空は蒼く。
木々は瑞々しく茂り。
水も、花も、街も、沢山の色によって彩られていた頃の、世界。
まだ、人が【獣】の脅威に対抗する術を持っていた頃の世界。
まだ、壊れてしまうよりも、前の姿。
姿無きまま傍らで、声は語る。
「これは、遠い遠い、昔の話……」
「この世界が壊れた時の、話――――――」
そして世界は暗転する。
次に目が覚めたのは、見知らぬ景色と見知らぬ場所――だけど確かに知っている、過去の光景へ。
……一人の女が、自分を見下ろしていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます