第4話 本当の気持ちは 2/3

 マコちゃん自身のことが好きだと、そう告白してしまってから、なんだか私は妙に浮き足立っていた。


 突然そんなことを言い出して困らせてしまったのは申し訳なかったけれど、でもマコちゃんはそんな私を否定することなく受け入れてくれた。

 もちろん私たちの関係性上、だからといって何かが進展するようなものではないけれど。

 ごちゃごちゃとしていた感情が綺麗にほどけ、素直になれたことは私にとってとても意味のあることだった。


 私はマコちゃんのことが好きだ。

 マコのことも全く変わりなく好きだけれど。

 でもだからといって、他の人を同じように好きになってはいけない理由にはならない。

 それがもし普通の人間関係なら、ただの浮気だからもちろんよくないけれど。

 でもマコはもういないし、マコちゃんも別に私のものになったわけではない。


 だから別に難しいことを考える必要はないんだ。

 好きな人を好きなように好きになっていいんだ。

 そんな簡単なことを気付くのに、十年も使ってしまった。


 あれからも二、三度、マコちゃんとは普通のデートで会った。

 そして、初めてマコちゃんと会ってから一年が経つこの三月、私は大奮発してお泊まりデートを計画した。


 もちろん、ものすごいお金がかかる。

 二時間一緒に過ごすだけで毎回一万五千円を支払っているわけで、二日間一緒にいようと思えばもう大変なこと。

 二十四時間いられる一泊二日のお泊まりコースは、ざっと二十五万円の大出費だった。


 もちろんこんな金額ポンと出せるわけがない。

 ただ私は初めてマコちゃんと会った時から、もしもの時のためにちょっとずつだけど貯金を頑張っていた。

 それにこの一年の夏と冬のボーナスもほぼまるまる貯金に回して、それで捻出した旅行資金だ。


 コースの料金だけでも私の一ヶ月のお給料を軽く超えるのに、ここに二人分の交通費や宿泊費、食費、その他滞在時のあれこれの出費が加わると、本当に笑えない金額が飛んでいく。

 でも、それでも、マコちゃんと充実した旅行が楽しめるのなら、頑張って頑張って働いたお金を使い込むのになんの後ろめたさもなかった。


 正直この半年ほどは、この楽しみがあったからこそ激務を乗り越えられた節がある。

 もちろん毎月のデートも重要な癒しではあったけれど、どこかで心を完全にデトックスできる機会があると信じる気持ちが、私の過酷な日常には必要だったんだ。


 マコちゃんには前回のデートの際に事前に確認を取って、それからお店に予約を入れた。

 私としては大奮発の一大決心、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで申し込んだんだけれど。

 お店側の対応はアッサリと慣れたもので、なんだか拍子抜けだった。


 まぁお泊まりコースの中では二十四時間は短い方だし、よく利用するお客さんはもっとガッツリいくんだろうな。

 私だってもっと長期の旅行をマコちゃんとしたいけれど。

 でも今はこれで十分だ。これからもコツコツ貯金して、今度はもっと盛大にできるように頑張ればいい。

 仕事は嫌だけど、死ぬほど嫌だけど、でもこのためなら頑張れる。


 私は今や完全に、風俗というシステムにハマっていた。

 でもいいんだ。私はマコちゃんのことが好きなんだから!


「わぁ〜! 素敵なお部屋っ! 見て見て、お部屋の中に露天風呂がついてるよ!?」


 予約していた旅館の部屋に着くなり、マコちゃんは目を輝かせて室内を駆け回った。

 まるで子供のような無邪気さが可愛らしくて、喜んでくれていることが嬉しくて、自分の表情が崩れるのを感じる。


 私たちがやって来たのは、いつも待ち合わせをする辺りから更に電車に乗って一時間ほどの所にある温泉街だ。

 昼過ぎごろにはこちらに到着して、日中は街を散策し、食べ歩きや観光、足湯なんかを楽しんだ。

 この宿はチェックイン前でも浴衣のレンタルサービスをやっていて、私たちは浴衣に着替えてたっぷりと雰囲気を堪能した。


 私が選んであげた紺色の浴衣はマコちゃんにとってもよく似合っていた。

 本当は写真を撮りたかったけれど、キャストさんの撮影や二人でのツーショットには一枚につき別料金がかかる。

 旅行中に写真を撮りたい機会は山ほどありそうだからキリがないだろうし、今回がぐっと堪えてオプションをつけなかったのだ。

 でも私の網膜には彼女の愛らしい姿がしっかりと焼き付いている。


「すっごく、すっごくいいお部屋じゃない!? 私、こんなところ初めてだよ〜! アリサちゃん、ありがとう!」

「喜んでもらえてよかった。奮発した甲斐があったよ」


 一通り部屋の探索を終えたマコちゃんは、そう言ってぎゅーっと抱きついてきた。

 奮発したとはいえ比較的安い旅館だけど、でも露天風呂付きの部屋はやっぱりそこそこいい値段がする。

 けれど二人でのんびりしたいのが最優先だったから、これは欠かせなかったんだ。


「お部屋のお風呂も、大浴場と同じで温泉なんだって。晩御飯食べ終わったら、その、一緒に入らない……?」


 抱きしめ返しながら勇気を出してそう誘ってみると、マコちゃんはぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねた。


「うん! 入る入る! 絶対入る! 楽しみだなぁ〜!」


 こっちはとっても緊張しているっていうのに、なんだかマコちゃんは当たり前というか、慣れているというか。

 ちょっと悔しかったけれど、今更こんなことでモヤモヤしていても仕方がない。

 私はすぐ気持ちを切り替えることにした。


「晩御飯、結構美味しいって評判みたいなんだ。でも色々食べ歩きもしちゃったし、ちょっとお庭を散歩してみようか」

「いいねー! 大きな池が見えて気になってたんだ。鯉とかいるかな?」


 そうして私たちは腹ごなしの散歩を少しばかりして。

 旅館の綺麗な庭にマコちゃんはとても楽しそうにはしゃいでいて、そんな彼女のペースに付き合っていたら時間はあっという間に夕食時になっていた。


 食事は部屋に持ってきてくれるスタイルで、これもまた二人でゆっくりと過ごせる良いポイントだ。

 山の幸や海の幸をふんだんに使った豪勢な食事は、普段食べ慣れないものも多くてとてもわくわくした。

 いつも楽しそうに食事をするマコちゃんだけれど、今日は特にウキウキしながら食べていて、そんな彼女を見て私はとても満足だった。


 普段とは違うお泊まりだったり、長い時間二人きりでいられることが嬉しかったりで、私も結構テンションが上がってしまって。

 途中からは食べさせ合いっこをしたりなんかして、かなり人様には見せられないイチャイチャをしてしまった。

 でもこういうのが、好きな人との旅行の醍醐味ってものだ。


「ふぁ〜、美味しかったぁ。もう食べられないよぉ」


 食事が片付けられた後、マコちゃんはそう言って畳にゴロンとひっくり返った。

 リラックスして開放的になっているのか、室内着用の浴衣が結構大胆にめくれてしまっていて、なんだか目のやり場に困る。

 胸元はこぼれそうだし、足元は太ももの付け根あたりまで丸見えだ。

 見ちゃダメだとわかっているのに、どうしてもチラチラ盗み見るのをやめられない。


「もーぅ、何見てるの? アリサちゃんのえっち」


 そんな私の視線にマコちゃんは鋭く気付いて、目を細めて意地悪く微笑んだ。


「気になる? 見たかったらめくってみてもいいよ?」

「べ、別に私、そんな……」

「じゃーあー」


 急いで顔を背けた私を面白がるようにマコちゃんは猫撫で声で。

 畳に寝っ転がったままに、すりすりと私のそばまでにじり寄ってきた。


「そろそろお風呂入るよね。私の浴衣、脱がせて?」

「なっ…………!」


 カッと顔が弾けるように赤くなるのを感じた。

 色っぽく、いじらしくお願いしてくるマコちゃんに、心臓がバクバクと暴れ回る。

 口をぱくぱくさせる私に、マコちゃんは自分の浴衣の裾をヒラヒラさせて挑発してきた。


 思わず手が伸びそうになって、でもギリギリのところで踏みとどまる。

 そんなことをしてしまったら、なんだかラインを越えてしまうような気がして。

 楽しいだけの雰囲気じゃ、なくなっちゃうような気がして。


「じ、自分で脱いで。私も、自分で脱ぐから……」

「もーう、けちんぼ〜!」


 邪心を振り払うために頭を振りながら、背を向けて立ち上がる。

 マコちゃんのそんな甘えた文句が飛んできたけれど、必死で聞こえないふりをした。


 ただどちらにしろ、そろそろお風呂に入りたい頃合いではあって。

 今目を背けたところで一緒に入ろうと誘ったのは私だし、マコちゃんの肌を目にするのは確定事項だ。

 でも、あれをしたら本当に危険だった気がする。


 気を取り直していざ入浴。

 私たちは各々浴衣を脱ぎ、部屋の外にある露天風呂に向かった。


 ついついタオルで体を隠してしまった私に対し、マコちゃんはあけっぴろげにすっぽんぽんで私にひっついてきた。

 一糸まとわぬ白い柔肌に密着されて、私は思わず悲鳴をあげそうになった。

 彼女とくっつくのはいつものことだけれど、肌と肌が触れ合う滑らかな感覚に、脳みそがショートしそうで。


 それに、アラサーで体のだらしなさが気になってきた私に比べ、マコちゃんのスタイルには無駄がなかった。

 胸はもちろん私より大きいし、引き締まるところは引き締まって、肌も白く滑らかで綺麗で。

 思わず見惚れちゃって、でも見れば見るほどドキドキが止まらなくて、もうどうしようもなかった。


 見てしまった。マコちゃんの裸を。

 こんな間近で、こんなに密着して、私だけが。


 今回は昔に比べ、あまり罪悪感の類は感じなかった。

 それは私が大人になったからか、あるいは私たちの関係性の問題か。


「やっぱり見たかったんでしょ〜。さっきも我慢しなくてよかったのにぃ」

「そ、そんなんじゃないよ。ほら、早く浸かろう?」


 意地悪くニヤニヤするマコちゃんの手を引いて湯船へと向かう。

 部屋の明かりはほとんど消してあったから、この場を照らすのは星空の光と、あとはほんの少しの街灯だけ。

 シンと静まり返ったのどかな空気の中で、私たちがお湯を揺らす音だけが小さく響いた。


「あぁ〜! きもちーねぇ〜」


 客室の露天風呂なのであんまり大きくなくて、女二人でも並んで入るとちょっぴり狭くて。

 密着した状態でお湯に浸かって、マコちゃんは気の抜けた声を上げた。

 私も大きく息を吐いて、ゆったりと気を落ち着けることができた。


 幸せだ。そう思えた。

 好きな人と二人きり、こうやってのんびりと過ごせて。

 会話がなくても、こうして触れ合って隣り合っているだけで心地がいい。

 こんな穏やかな時間が過ごせることが、本当に幸せだと思った。


 マコちゃんといられて、幸せだ。


「アリサちゃん」


 しばらくして、マコちゃんが囁くように声を上げた。

 こちらを見上げる視線はとろんと甘く揺らめいていて。

 私がどうしたのと尋ねると、マコちゃんは私の背中に腕を回しながら柔らかく抱き寄ってきた。

 目の前に迫った瞳に思わず吸い込まれて、流れるままに唇を交わす。


 キスはいつもよりも長く続いた。

 何度も唇同士を触れ合わせ、混じり合うように。

 お湯の熱も合わさって、一つに溶けて合ってしまいそうなほど、熱烈に。

 耳に届く水音は、お湯が跳ねる音ではなく、私たちが交わる音だった。


「も、もうのぼせちゃう……」


 あまりにも長くキスをしすぎて、体温がガンガン上がってクラクラして。

 私はちょっとフラフラしてきて顔を離した。

 そんな私にマコちゃんは尚も攻めの姿勢を崩さずに、私の太ももから腰の辺りをお湯の中でスーッと撫でできた。


「ちょ、ちょっとぉ……変な触り方っ……」

「ん? だめぇ?」

「だ、だめ。ゆっくり浸かろう?」

「そう? アリサちゃんも、触りたかったら触っていいんだよ?」


 私が制止するとマコちゃんは大人しく手を引っ込めた。

 けれど、どこか拍子抜けみたいに少し意外そうな顔をして。

 私、ムードを壊しちゃったのかな。


「せっかくの温泉だもん。マコちゃんとゆっくり楽しみたいの。キスは、嬉しいけど……」

「それもそうだね」


 私の心配をよそに、マコちゃんはすぐ普段通りのにこやかな笑顔に戻った。

 その手はただ私の手を握るだけで、ゾクゾクするような触り方はもうしてこない。

 私はホッとして、また一息ついて優しい熱さを楽しむのに戻った。

 マコちゃんもまた、私の肩に頭を預けてリラックスして。


「お楽しみはあとで、だね」


 小さくポツリと、そう言った。

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