第4話 本当の気持ちは 1/3

「うわ〜! 洗顔フォーム持ってくるの忘れたぁー! アリサー貸してー」


 高校三年の五月、修学旅行一日目の夜のこと。

 宿の部屋でお風呂の支度をしている時、マコはそんな悲鳴をあげた。


「また忘れ物ー? 昼間はハンドクリームがないとか言ってなかったっけ?」

「ごめんごめん。でもきっともう他にはないと思うから!」

「そんなこと言って、筆記用具としおりも忘れてなかったけ?」

「そーだけどぉー!」


 私が嘆息すると、マコは手をパチンと合わせながら擦り寄ってきた。

 まったくもうと肩をすくめつつ、でもマコのだらしなさは出会った頃から変わらないのでもう慣れっこだった。


 マコはいい子だし別に悪いことはしないけど、勢いで生きているところがあるから結構ちゃんとしてない。

 忘れ物が多かったり、時間にちょっとルーズだったり、うっかりミスをよくしたり。

 だからその辺りのフォローをするのは、大体いつも一緒にいる私の役割だった。


「別にいいけどさ。でもそんなに残り多くないから、考えて使ってよ? 二泊三日なんだから」

「うん! ありがとうアリサ! やっぱり私、アリサがいないとダメだなぁ〜」


 そうやってにこやか笑われると、あまり文句を言う気にならない。まぁ元からさして言う気はないけど。

 こういうところがマコの長所で、そして私が彼女に甘くなってしまう理由だった。


 だから、私ももうちょっと予測を立てておくべきだったな、なんて健気な反省をちょっぴりしてしまう。

 マコの忘れ物ぐせを考慮して私は余裕を持っておいた方がよかったな、とか。

 二泊三日の修学旅行。その初日でこうなんだから、先が思いやられる。


 私たちの高校は、珍しい三年生の春に修学旅行に行くタイプだった。

 二年生の年度末の方がクラスメイトとも仲良くなってるし、受験にも影響なさそうだし、いいと思うんだけど。

 でも私としてはマコと一緒にいられればどっちでもいいことだった。


 行き先は定番の京都と奈良。

 だから、他の学校の修学旅行とバッティングしにくいのはメリットかもしれない。

 それに寒くないのも地味にありがたい。


「他に忘れてるもの、本当にない? 流石にパンツ忘れてても私貸さないからね?」

「ブラなら貸してくれる!?」

「貸さないよ! 第一サイズ合わないでしょ!」


 こっちは真面目に聞いてあげてるのに、マコはおちゃらけてそんなことを言う。

 私のブラ、つけられるならつけてみればいい。

 マコの方がだいぶ大きいから、ぺっちゃんこに潰れてかなり苦しいだろうし。


 私がキッと睨むと、マコはごめんごめんと舌を出した。


「まぁ多分、多分大丈夫だよ。それにもしまた何かあっても、私にはアリサがいるからね」

「あのねぇ……」


 私が何か反論しようとした時、マコはこっちへとにじり寄ってきて、畳に腰を下ろしていた私の太ももにコテンと頭をのせてきた。


「っ…………!」


 勝手に私の膝を枕にして寝っ転がり、あどけない顔をしてこちらを見上げてくるマコ。

 そんな何気ない彼女の行動に、私は飛び上がりそうになるのを必死に堪えて、心の中だけで悲鳴を上げた。

 可愛すぎておかしくなりそうで。そんな全力で甘えられて、もう何も言えなくなってしまって。


 同室の他の友達が「お熱いねぇ」とヤジを飛ばしてきた。

 行動班も一緒の比較的仲のいい子たちだから、私たちのべったり具合にはもう慣れたもの、といった対応だ。

 私もいつものように適当に相槌を打ち、マコは特に気にした風もない。


「もぅ、みんなが見てるんだけど……」

「えー? でも私のアリサだしね〜」


 私のささやかなクレームは全く意に介されなかった。

 でも『私の』と言われたことが嬉しくてそれも気にならない。

 我ながら本当に単純だった。


 マコのスキンシップの激しさは前からだけれど、この数ヶ月くらいでより増したようなところがあった。

 前とは違って私はすでにマコのことを特別に意識するようになっていたので、心臓の負担がかなり増していて。

 たくさん触ってくれるのは嬉しいんだけど、その分心の消耗がものすごいので、良かったり悪かったりだった。


 二年生の秋にマコとキスをしてから、私は完全に彼女のことを意識して、それをなんとか隠し続けていた。

 でもまだそれを恋だと納得はできていなくて。でもマコのことが気になるこの気持ちは、きっと普通とは違うものだとは理解していた。


 だからこそ尚更、マコには気付かれてはいけないと思ったし、何かを変えるつもりもなかった。

 今まで通り親友として仲良く過ごして、それで私は満足だったし、逆にそれ以上にどうなればいいのかわからなかった。

 でもちょっぴりだけど、マコも同じ気持ちならいいのにと、思わなくもなかった。


「ここ温泉なんだよね? お風呂、早く順番こないなぁ〜。背中の洗いっことかしよーよー」


 完全に人の膝でリラックスしているマコが気の抜けた感じでそんなことを言って、それに相槌を打っていた時。

 私はふと気付いた。このままだと私は、マコと一緒にお風呂に入るんだと。

 当然のことだけど、当然のことすぎて何も気にしていなかった。


 それに気付いた時、何故だかものすごい罪悪感に襲われて全身の血の気が引いた。

 そんな私にマコはいち早く気付いて、「大丈夫?」と不安げな声が登ってくる。

 でも私は、そんな彼女に構っている余裕を無くしてしまった。


 ダメだ。絶対にダメ。


「えっと、その……きちゃったみたい。私、部屋のシャワー使うよ……」

「え? でもアリサ……」


 咄嗟についた嘘にマコが疑問を浮かべた時、私たちのクラスのお風呂の番が回ってきたと他の子たちが動き出した。

 私はその気に乗じてマコに準備を促して、みんなに合わせて行ってしまうように図った。

 マコはすごく訝しげだったけれど、でも他の子に促されるままになんとかお風呂へと向かってくれたのだった。


「危なかった……」


 部屋で一人になって、私は大きく息を吐いた。

 マコと一緒にお風呂に入る。そんなの、今までならなんとも思わなかったのに。

 今それを意識した時、私はそれを嬉しいと思ってしまったんだ。

 マコの裸が見られちゃうんだって、思ってしまった。


 そう思った時、私は最近の自分の気持ちの正体に気付いた。

 これは恋なんだと。私はマコのことを、そういう目で見ていたんだって。

 でもこれは、単にスキンシップを嬉しく思うのとは違うから。


 こんな目で見ている私が、あの子と一緒にお風呂に入るわけにはいかないから。

 だから心配をかけて申し訳ないけど、こうするしかなかった。


 もちろん、マコと一緒に温泉を楽しみたかった。

 この気持ち以前に、私とマコは親友だから。

 でも気付いてしまった以上、そうも言っていられないのかもしれない。


 いろんなことに頭を巡らせながら、嘘をついた手前仕方なくシャワーをさっと浴びる。

 今頃クラスのみんなは楽しく温泉に浸かってるんだろうなぁとか、そんなことも時折思いながら。

 一人で浴びるシャワーは味気なく、着替えを済ませた私は手持ち無沙汰になってしまって、なんとなく部屋を出てぷらぷら宿の中を歩いてみることにした。


 一般の客さんに混じって、他のクラスの生徒たちがおしゃべりしたり笑い合っているのを尻目に一人でぽつり歩く。

 私だってこの修学旅行の一員で、一緒に過ごす友達もいるのに。けれど、なんだか私だけがひとりぼっちのような気分になった。


「アリサ!」


 ロビーのあたりまでやってきた時、ちょっと大きすぎる声で名前を呼ばれた。

 振り返るまでもなくそれはマコの声だとすぐにわかって。私は慌ててそちらを向く。

 案の定そこにはジャージに着替えたマコがいた。ドライヤーをサボったのか、金髪はまだびしょびしょだった。


「マコ、どうしたの? 上がるの早くない?」

「えっと……よく考えたら私すぐのぼせちゃうから、あんまり浸かってられなかったんだよねー」


 温泉に浸かってきたとは思えない早さに私が尋ねると、マコはあははと笑いながら答えた。


「だからひと足さきに上がってきちゃったの。部屋でアリサに髪乾かしてもらおうと思ったのに、いないからびっくりしちゃった」

「髪くらい、自分で乾かしなよ」


 自分が今どんな顔をしているのかわからなくて、マコの方を向けなかった。

 外に興味があるふりをして、私は窓の方を向きながら応える。

 マコは特に気にする様子もなく、いいじゃんと明るく笑った。


「具合、平気? 薬ちゃんと持ってきた?」

「う、うん、大丈夫。マコじゃないもん、ちゃんと持ってる」

「もー! 人がせっかく心配してるのに〜!」


 ひどーいとこぼしながらマコは私の方に近づいてきて、そっと私の腕をとった。


「ね、ちょっと外行こ? 私熱くって。涼むの付き合って!」

「う、うん」


 マコに連れられるがままに私は玄関から外へと出た。

 夜の空気はとても澄んできて、ちょっぴりひんやりしていて。

 静かで、私たちの街より少し暗い街並みに、少しだけ気持ちが落ち着いた。


 二人で手を繋ぎながら、ノロノロとした足取りで周辺を歩く。

 しばらくの間お互い何も喋らない時間が続いた後、マコはそっと口を開いた。


「ねぇアリサ。もし、何か話したいことあったら、私聞くよ?」

「え?」


 私が声を上げると、マコは前に乗り出してこちらを向き、私の両手をとった。

 そのまま後ろ向きで歩みを続けて、私の顔をそっと見る。


「何かは……わからないけど。でも何か、考えてるみたいだから。もし聞けることがあったら、私に話して?」

「マコ……」

「いつもは私が頼ってばっかりだからね。アリサが困ってる時は、私がなんでもするよ」


 そう優しく笑いかけてくれるマコに、そのまま寄りかかりたくなる。

 全てを曝け出して、楽になりたいと思ってしまう。

 でもきっと、それではこの笑顔を守ることはできないとわかっているから。


「ありがとう。でも大丈夫。大したことじゃないの」


 せっかく心配してくれているのに、私は嘘を重ねる。


「温泉、マコと一緒に入りたかったなって、ちょっと落ち込んでただけ。隠せてたつもりなんだけどなぁ」

「……そう? ならいいんだけど」


 最初の嘘も、この嘘も、きっと全部マコにはバレてる。

 私の嘘が下手なのもあるだろうけれど、マコは本当によく見ている子だから。


 でも、マコは決して余計なことには踏み込まない。

 私が話さない以上、決して詮索はしてこない。

 マコは絶対に、私が嫌がるようなことはしないんだ。


 マコは奔放で突拍子もなくて、側からはいつも私が振り回されているように見えるかもしれないけれど。

 でも彼女は一度だって、無理強いをしたこともなければ、それで私を不快にさせたこともない。

 その辺りを彼女はちゃんと考えて、そして見てくれている。

 だからマコの奔放さは彼女の強引さではなく、彼女の行動を私が受け入れているからこそ起きるものなんだ。


 そういうマコが、私は好きだ。大好きなんだ。


「大丈夫だよ! だって修学旅行だもん。まだあと二日もあるんだもん。他にもいっぱい楽しい思い出作れるよ。私とアリサならたっくさんね!」

「うん、そうだよね」


 私とマコは親友。この友情を疑ったことはない。この関係を壊したくはない。

 一生に一度の大切な思い出を、美しいままにしておきたい。

 そしてこれからも、今までと同じようにマコと笑い合っていたい。


 だからこの気持ちをマコに伝えることはできない。マコだけには伝えられない。

 それでいい。少なくとも、今この時は。


 だって私にとって一番大切なことは、この気持ちを成就させることなんかじゃなくて。

 少しでも多く、少しでも長く、マコと笑って過ごすことだから。


「ありがとうマコ。ちょっとすっきりしたよ」


 そろそろ戻らないとと、宿への帰路に着く中で私は言った。

 また普通に手を繋ぎ直して、肩を並べて歩きながら。

 マコはよかったとまたニコニコ笑った。


 そんな彼女の笑顔が、落ち着いた心にじんわりと染み渡る。

 だから私は、ほんのちょっぴりだけ勇気を出せた。


「マコ。私、マコのこと好きだよ」


 私たちは親友。その関係を壊すつもりは全くない。でも。


「私も。アリサのこと、大好きだよ!」


 その言葉の意味が同じだったらいいなって、そう願わないわけじゃないから。




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