第3話 恋に落ちた時 3/3
水族館を出た後の食事も滞りなく終えることができた。
いつも通り、いつも以上にマコちゃんは楽しんでくれているように見えたし、そんな彼女を見て私も満足だった。
ただ、水族館でのドキドキの根っこは私の心の奥に静かに残っていて、平静だったかといえば少し違ったと思う。
マコちゃんはといえば、私と違っていつもの可愛げな調子だった。
だからこそ、ああやって時折見せてくる強気な姿勢に余計にやられてしまうわけだけど。
ギャップというのか、不意打ちというのか。
お酒は飲んだけれど、前回ディナーをした時のようなことはなく、食事は平和そのものだった。
そう、これでいい。こういうのでいい。ただ和やかに、穏やかに、たわいもないことで笑い合って、ただ楽しく過ごすだけで。
でも心のどこかで物足りなさのようなものを感じている自分に、私は気付いてしまった。
「はぁ〜。今日も楽しかったぁー! 素敵なクリスマスをありがとうね、アリサちゃん」
食事を終え、まだお別れまでには少し時間があったので、私たちは街のイルミネーションを眺めながら少し歩いていた。
熱った体に夜の空気が心地いい。この熱の原因はお酒か、はたまたマコちゃんか。
「こちらこそありがとう。マコちゃんとクリスマスを過ごせて嬉しかった」
「私もだよぉ〜。実は、アリサちゃんが予約を入れてくれないかなぁって期待して、出勤入れたんだよ? なんて……」
「え?」
いつものように私の腕に自らのそれを絡めたまま、マコちゃんはそんなことをはにかみながら言った。
いやいや、そんなことは流石に……。だって確実性はないし、他の誰かが予約する可能性だってある。
「またまたー。そう言ってくれるのは嬉しいけど……」
「ふふ、そうだね。流石に無理があるね」
真に受けるわけにはいかないと茶化して返すと、マコちゃんもまた笑って返してきた。
あざといのか、それとも実は本当だったのか。そこのところは私には見透せなかった。
「でもなんにしても、マコちゃんと会えて本当によかった。もう何年もクリスマスは一人だったら。誰かといられて、マコちゃんといられて、本当に嬉しかったよ」
クリスマスに限った話ではないけれど、マコちゃんと出会ってからの私の人生はとても充実している。
頻繁には会えないけれど、でも月に一度でもこうして触れ合えるだけで、私の心には潤いが生まれる。
心にぽっかりと穴をマコちゃんがピッタリと埋めてくれるから。
辛い日々を、辛かった日々を、彼女といる時は忘れられるから。
「でも私、デートってマコちゃん以外としたことなかったし、ちゃんとできてるか不安で。今日みたいな日は特に。マコちゃんはいつも喜んでくれるけど、本当に大丈夫かなっていつも思ってた。マコちゃんに、本当に楽しんでもらいたかったから」
「え〜!? ホントにホントにいつも最高だよ!? アリサちゃんと会うの、すっごく楽しいもん。ていうか、アリサちゃん今までデートしたことなかったの!? うそでしょ!?」
マコちゃんは本気で驚いたみたいで、ピタッと立ち止まって私を見つめてきた。
流石にもう三十歳が見えてきている女が、デートのひとつも未経験というのはドン引きされるものなのかな。
マコのことを抜きにしても、働き始めてこちら心にゆとりがなかったから、ろくに遊んでいる余裕がなかったという理由もあるんだけど。
「恥ずかしながら本当だよ。いい歳してヤバいよね」
「う、ううん! そういう意味じゃなくて。私が驚いちゃったのはね……」
私が自虐的に笑みを浮かべると、マコちゃんは慌てて首をブンブンと横に振った。
私の腕を抱きしめる力がぎゅーっと増す。
「いつもホントに、ホントに素敵で楽しかったから! 全然初めてだと思わなかったの。なんていうか、その……言い方悪いかもしれないけど、女の子と遊ぶの、慣れてるのかなぁって思ってた……」
「そ、そんなことないよ!」
「だ、だよね。ごめん」
自分自身まだ一応二十代の若めの年頃ではあるけれど、流行に疎すぎて女の子が何に喜ぶのか全くわからないんだから。
まともな恋愛だってしたことないから、デートがなんたるかも正直わかっていなくって。
だからこそ不安だったのに、まさかそんなふうに思われてただなんて。
驚きに思わず声を上げると、マコちゃんは申し訳なさそうに眉を落とした。
でもすぐにニッコリといつもの可愛らしい笑顔に戻る。
「でもそうだったんだね。そっかー。なんかすっごく嬉しい」
「……?」
「だって今まで全然デートの経験なかったんだよね? ってことは、私としたデートは、全部私のためだけに考えてくれたんでしょ? それ、すっごく嬉しい」
「…………!」
そうニカニカっと笑うマコちゃんに、私はどくっと心臓が跳ねるのを感じた。
それは彼女の笑顔が本当に愛らしいのもあったし、けれど強い罪悪感からくるものでもあった。
マコちゃんとしたデートが全て彼女のために考えられたものかといえば、それは嘘だ。
確かに他の人とのデートは未経験だし、彼女と会うため、彼女に楽しんでもらいたいとスケジュールした。
でもそのほとんどにベースとして、マコとのあの日々があったことはどうしても否定できないから。
マコちゃんにマコを見出していた私は、マコちゃんを通してマコ見ていた私は、マコちゃんにマコを感じていた私は。
マコちゃんとの時間にマコとの思い出も重ねて、出来事をなぞっていた節がある。
いや、今更そんな言い方卑怯か。私は、マコちゃんをマコとの時間の再現に使っていたんだから。
マコのことが忘れられなくて。
もちろん、マコちゃん自身を蔑ろにしていたつもりはない。
彼女のことを考えてプランニングしていたことは事実だけれど。
でもマコちゃんが言うように、全てが彼女のためではないことは、私にとって紛れもない真実だから。
でも、それでいいのかな。
これからもそれで……。
「ねぇアリサちゃん」
言葉に詰まってしまった私に、マコちゃんは優しい笑みを向けてきた。
私に絡めていた腕を解いて、私の両手をそっと握る。
「キス、していい?」
「い、今ここで……?」
「うん。今、したいの」
「でも、だからその……人が見てるから……」
「見せちゃえばいいよ」
暖かな笑みの中に覗く強気な色が私の目を射抜く。
その美しく真っ直ぐな瞳で見つめられると、体が思い通りにいかなくなる。
それを私は、あっという間に覚え込まされてしまっていた。
「だ、だめだよ、だめ……こんなところで……」
「いやじゃない、でしょ?」
ここはレストランの個室でもなければ、人が目を向けない物陰でもない。
たくさんの人たちが、カップルが行き交う煌びやかな街道だ。
流石にこんなところでなんてできない。
でも、本当にだめ? どうしてダメなんだろう。
人にキスしているところを見られるのは恥ずかしいから? それはある。
女同士でキスすることに後ろめたさのようなものがあるから? あるかもしれない。
それとも、相手がマコちゃんだから……? それは────
人前でキスをするということは、周囲の人々に対して、私はこの人が好きなんですと宣言するようなもの。
だからこそ私は、今ここで彼女と唇を交わすことの意味を、考えて……。
でもそれは本当にダメなことなんだろうか。
恥ずかしくても、他人に何を思われようとも、自分の気持ちに正直なら何も気にする必要なんてないんだから。
だから、私が今引っ掛かっているのは、きっと。
「ねぇアリサちゃん」
気がつくと、涙が一つポロリとこぼれていた。
マコちゃんはその雫を拭いながら、そっと私の頬を撫でた。
「アリサちゃんの気持ち、聞かせて?」
「わ、私は……」
私はマコのことが好きだ。高校時代の親友だった彼女のことがずっと。
もう十年以上もずっと想い続けて、忘れたことなんて一瞬たりともない。
けれど、そんな彼女はもう私のそばにはいないんだ。
どんなに想い続けたって、私の気持ちは届かない。
だからこそ、マコによく似たこの子にマコを見出して、私はひとときの幸せを得ていた。
でも、私がマコちゃんといて幸せだったのは、本当にマコに似ているからなのかな。
マコちゃんを通してマコを見ているようで、本当は、マコを通してマコちゃんを見ていたんじゃないの?
だとしたら、今の、この気持ちは────
「わたし……私はっ…………」
どうしてだろう、涙が止まらない。悲しくなんてないのに。
込み上げてくるこの気持ちは、決して悪いものではないはずなのに。
きっと私は、自分を裏切っているような気分なんだ。
でも間違っていない。正しくもないけど、間違ってはいない。
これが、私の気持ちなんだ。
「私は、マコちゃんが……すきっ…………!」
マコに似ているマコちゃんじゃなくて、今私を見てくれるマコちゃんが、好き。
それは、マコのことがもう好きじゃなくなったわけではなくて。
だからといってマコちゃんの方がもっと好きになったわけでもなくて。
マコと同じくらい、マコちゃんのことが好きになってしまったんだ。
「ごめんなさい……ごめんなさいっ……!」
ごめんなさい、マコ。ごめんなさい、マコちゃん。
こんな私で、ごめんなさい。
「謝らなくたっていいんだよ。ありがとう、アリサちゃん」
ごめんなさい。こんなに辛いのに、このキスが嬉しくて、ごめんなさい。
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