第4話 本当の気持ちは 3/3

 お風呂から上がって少しした頃、仲居さんがお布団を敷きにくれた。

 温泉でのんびりしたこともあって、その頃には私たちは完全にまったり気分で。

 昼間にたくさん遊んだ疲れもあったし、それからは二人でゴロゴロと気ままな時間を過ごした。


 普段のデートだと時間が限られているし、あれをやろうこれをやろうとか色々考えていると慌ただしくなることも少なくない。

 だからこうやって時間に余裕を持って悠々自適に過ごせるというとは、なんだかとっても贅沢な気分だった。


 ほんのひと時のことではあるけど、それこそ学生の頃に戻ったようで。

 放課後に日が暮れるまでただおしゃべりをしたり、休日も特に用もないのに二人でぶらぶら過ごしたり。

 そんななんでもない時間が、私はとっても好きだったから。

 マコちゃんと過ごせるこの時間は、私にとってとてもかけがえのないものだった。


 明日の午前中までは私がマコちゃんを独り占めできる。

 マコちゃんは私とずっと一緒にいてくれる。

 今の私は、それで満足だった。


「アリサちゃーん」


 だらだらと過ごすのもピークに達して、私たちはもうすでに布団の上に寝っ転がっていた。

 二人分それぞれ少し離れて敷かれていた布団を、マコちゃんがぴったりひっつけて隣り合わせにして。

 マコちゃんは私の腕を枕にしながら抱きついてきていた。


「どうしたの、マコちゃん」

「ううん、ちょっと呼んでみただけ」

「もう、なにそれ」


 いたずらっぽくクスクス笑うマコちゃんの鼻をちょんと突く。

 子供っぽいこんなやりとりも、マコちゃんとするとなんだか楽しくて。

 本当の恋人ができたみたいで、私は彼女に甘々になってしまう。


「今日、楽しかったなぁ。綺麗な浴衣着たり、いろんなもの見たり。食べ物も美味しかったし、温泉も気持ちよかったぁ〜」

「そうだね。付き合ってくれてありがとう」


 マコちゃんはどことなくうっとりと目をしながらそう言って、私のお腹辺りをスリスリと撫でてくる。

 仕返しではないけれどその頭を撫でてみると、マコちゃんは気持ちように首をすくめた。


「でも私、もっともっとアリサちゃんと色んなことしたいよ。色んな思い出、たくさん作りたい」

「私もだよ。明日も帰る前にまた色々見てみよう。それに、これからもまた一緒にいろんなところに行こうよ」

「うん、楽しみ! でもね、私……」


 今度はどこに連れて行こうかな、なんて考えていると、マコちゃんは不意に私を見上げてきた。

 綺麗なくりっとした瞳が、どことなく色っぽい輝きを放って私を照らす。


「私、もっとアリサちゃんのこと、知りたい」

「えっと……」

「私に、もっとアリサちゃんのこと、教えて……」


 そして、マコちゃんは目を閉じてそっと顔を近づけてきた。

 そんな彼女に引き込まれるように、私もまた目を閉じてキスをする。

 すぐに唇は離れて、でもキスは終わることなく再び交わり合って。

 何度も、そうやって何度も、私たちはお互いを貪るようなキスをした。


 甘いときめくようなキスから、熱く燃えるような口付けへと、段々と激しく。

 そしてマコちゃんの舌が私の唇を割って入ってきたところで、私はもう押し負けてされるがままになっていた。

 トロトロと繊細な舌が、けれど大胆に私の口を蠢き、支配していく。

 そのなんともいえない心地よさに、頭がクラクラして体の力が抜けていく。


「アリサちゃん、かわいっ」


 キスで脳みそを溶かされたみたいに、私は全身蕩けさせられてしまった。

 唇が離れた時、口の周りはどちらのものともわからない唾液でベトベトで。

 けれど、ぐてっと布団に体を投げ出している私とは裏腹に、マコちゃんは体を起こして私に覆い被さるように見下ろしてきた。


「アリサちゃんの可愛いところ、もっと見せて。私に、色んなアリサちゃんを見せて」


 マコちゃんは私の頬をそっと撫でてもう一度軽いキスをしてから、その指先を頬から首筋へとそーっと撫で下ろした。

 細く滑らかな指が私の肌を滑る。それが心地良くもあり、何故だか少し怖くもあった。


 そうやって私をくすぐるように転がしながら、もう片方の手は私の太ももを触れるか触れないかの絶妙な具合で撫でていた。

 いつの間にかマコちゃんの膝は私の脚に割って入っていて、完全に彼女に組み敷かれているような形になっていた。


 あれ、これって……。


「いっぱい我慢したもんね、アリサちゃん。もういいんだよ? 私が全部スッキリさせてあげてあげるから。何もかも忘れさせてあげる」

「マ、マコちゃ、ん…………」


 可愛らしい笑みの中に見える鋭く力強い意志。

 その澄んだ瞳の先にあるものを、私はもうよく知っている。


 マコちゃんの手が私の身体を滑らかに滑り、胸の外側をいじらしく撫でた。

 身体が熱を持ち、心臓がドクドクと強く暴れる。

 彼女が何をしようとしているのか、今一体どういう空気なのか、流石に私でもわかった。


「だ、だめだよ……だめだって……」

「だめじゃないよ。だめじゃないでしょ? ねぇ、アリサちゃん」


 私が抵抗の意思を見せても、マコちゃんは優しく笑うだけで手を緩めてくれない。

 確かに、マコちゃんに触れるのは悪い気はしない。むしろ嬉しい。でも。

 でも、こんなのだめ。だめなのに……。


「だって、だからこそ今回お泊まりにしてくれたんでしょ? 今までずっとデートだけだったのに。やっとその気になったんだよね?」

「そ、それは……別にそういう意味じゃ……」


 お泊まりコースは、詰まるところホテルコースの延長上のコースだ。

 つまり、ホテルで数時間だけを過ごすんじゃなく、そのままお泊りをできるというコース。

 その一環で旅行をしてもいいというルールだったから、私は今回それを利用した。

 デートコースだとキャストの着替えや脱衣は厳禁で、お泊まりじゃなくても温泉に来られたりはしなかったし。


 でも、私はそれだけだった。それだけの理由だったんだ。

 別に私は、こういうことをしようと思ってお泊まりにしたわけじゃ……。


「マコちゃん、ホントに……だめぇ……」

「素直じゃないなぁ、アリサちゃんは」


 自分でも声が震えてきているのを感じた。

 マコちゃんの指が私の体を優しく滑るたび、言いしれない気持ちがじわじわと染み渡っていく。

 これは拒絶じゃない。けど、でも、いやだった。


「そんなアリサちゃんのために私、頑張るからね」

「あぁっ……!」


 そう言ってマコちゃんは私の首筋に唇を押し付けた。

 かと思うとちゅっと一瞬強く吸いつかれ、チクッとした甘い痛みが走った。


 キスマークをつけられたのだと、見なくてもわかる。

 マコちゃんに印をつけられてしまった。私の身体に。


 マコちゃんに触れられるのは嬉しい。求められるのも、攻められるのも。

 でも、違う。何か違う。こうじゃない。

 私がしたかったのは、私がしてほしかったのは……。

 どうして? 私はマコちゃんのことが好きなのに。


 このまま身を委ねれば、きっとマコちゃんは私の身体を満たしてくれる。

 普通ならそれは喜ばしいことのはずなのに、身体が震えて止まらない。


「違うの……だめ……マコちゃん、お願い……やめ────」

「マコって、呼んでいいんだよ? ねぇ、アリサ」


 その瞬間、私の中で何かが弾けた。

 音を立てて破裂した。


「違う……あなたマコじゃない! マコは私にこんなことしないんだから!!!」


 自分でも驚くくらいの大声が飛び出て、そしてぶわっと涙があふれ出した。

 マコちゃんは驚いて私から手を離して体を起こし、わんわんと泣き声を上げる私をオロオロと見下ろした。


 バカだ。私は何をしているだ。

 こんなこと、間違っていたんだ。


「ご、ごめんね、私……。アリサちゃん、ごめんなさい。その、傷付けるつもりじゃ……」


 マコとできなかったことをしてくれて、マコがしてくれなかったことをしてくれて、マコに代わって一緒にいてくれるマコちゃんを、私は好きになったのだと思ってた。

 そうやって彼女のことを好きになることで、私はマコへの気持ちにある意味で区切りをつけられると思ってた。


 でも大違い。自分を誤魔化して、嘘をついて、余計に傷つけた。

 マコちゃんは確かにマコによく似ているけれど、決してマコじゃなくて。

 マコじゃない人が、マコ以上になれるわけなんてなくて。

 私がマコちゃんを好きになろうとすればするほど、ただマコとの違い目の当たりにするだけだった。


 それが良いことであっても悪いことであっても、私にとって辛い現実でしかなかった。

 これはマコじゃないって、そんな事実を突きつけられるだけだった。


 マコちゃんはとっても素敵だった。彼女に悪いところは全くない。

 でもマコじゃなかった。マコはこんなことをしないから。

 こういうことをマコは私にしてはくれなかったし、そしてマコは絶対に私が嫌がることはしないから。


 あぁ、そうだ。私はマコが好きなんだ。マコだけが好きなんだ。

 この気持ちに、決して代わりを見つけることなんてできないんだ。


「ごめんなさい、本当に。その……アリサちゃんはその気になったんだと、思って。私を例の高校のころの親友さんだと思って、そういうことをしたいのかなって、勝手に思っちゃって……」

「…………」


 マコちゃんは私から完全に離れて、正座をして弱々しく俯いていた。

 大きく泣き喚いて少し気持ちが落ち着いてきた私は、浴衣の袖で涙を拭ってから体を起こした。


「ううん、あなたは悪くないの。私がいけないの。あなたは、するべきことをしてくれただけだから。ごめんなさい」

「で、でも、私……私は……」


 何か言いたげなマコちゃんだったけれど、私が首を振ると大人しく口を閉じた。

 やっぱりマコちゃんは良い子だ。こんな私に対して罪悪感を抱いて、反省をしてくれている。

 私がバカでダメな女なばっかりに、この子を傷つけてしまった。

 やっぱり、人に他人を重ねて見るだなんて、何も良いことにならない。


「ごめんなさい。本当に、気にしなくていいから」

「ど、どこに行くの?」


 立ち上がると、マコちゃんは慌てて口を開いた。

 そんな彼女の顔を見ることができずに、私はそのまま背を向ける。


「もう寝ていいよ。私はちょっと……外で頭を冷やしてくる」

「アリサ────」


 マコちゃんはまた何か言おうとしていたけれど、私はそれを聞かずに部屋を出た。

 彼女は何も悪くない。悪いのは私だ。それでももう、あの子と二人きりでいることが耐えられなかった。


 楽しい旅行だったはずなのに、一気に全てがどうでも良くなった。

 それもまた私のせい。私の勝手。本当にろくでもない女だ、私は。


 頭を冷やしてくるなんて言ったけれど、私に部屋へ戻る気なんてなくて。

 暗くなったロビーのソファに腰掛け、静かにまた一人で泣いた。


 私はマコが好きだ。

 マコに代わりなんていない。

 私のマコは一人しかいないんだから。


「会いたいよ……マコ……」


 首につけられた傷が、今はジクジク痛い。

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