3  不覚

 夜明けの光が塔の天窓に届くと、はめ込まれた水晶を通して、窓のない塔の中を虹色の光で満たしていった。

 寝台に横たわるリウィアの指が、ぴくりと動いたので、オリダは駆け寄った。

 王女の、今は女王になった少女の瞳が、ゆっくりと見開かれる。その瞳の色は虹彩のふちから、夜の紫、海の青、金の日の光、すべての祝福の色がおさめられていた。


「女王が、お目覚めになりました」

 オリダの宣言が波のように、織女おりめから織女おりめへ伝達されていく。

「本日はめでたい日。女たちには砂糖菓子を、男どもには麦酒をふるまえ」


「または、その逆でも?」

 オリダの腹心の織女おりめが平伏しつつ、茶目っ気たっぷりのほほえみを浮かべた。

「女王に! ソレスの栄え、あらんことを!」


 継承の儀は、王女に仕える若手の織女おりめが最初に経験する大きな儀式だった。織女おりめの新旧交代をも意味する。


「……オリダ。おなかがすいたわ」

 女王となったリウィアが石の寝台から起き上がった。

 ふたりの織女おりめは顔を見あって吹き出した。

 リウィアは比類なきソレスの魔道の継承者でありながら、健康な少女でもあった。

「おかあさまは」

 ふいに、いつもの朝のように聞いてしまってから、リウィアは今日が今までの朝とちがうと思い出した。

(あぁ。おかあさまたちは、もう、わたしの一部となられたのね)


 リウィアは、ソレスの魔道をその身体におさめた。創世からの魔道の知識、複雑な織文様のすべて。呪文を。


 それを、ふしぎなことだとも思っていない。ソレスとは、女王とは、そういう生き方をするものなのだから。


 オリダも晴れ晴れとした気持ちでいた。

 継承の儀、織女おりめの若手として大任を果たした。それで、少々、浮ついてしまったかもしれない。

 織女おりめたちの慰労会という名目の集まり。それも、おしのびで城下の居酒屋だ。そこで、いつもなら手を出さない葡萄酒に手を出した。その前の年の葡萄の出来は良く、酒も甘かった。ついつい気持ちよく飲み過ぎたのだ。

 そして、まだ楽しんでいる女たちを残して自分は帰ることにした。その心がけは立派だったが。


 闇の中を白い猫が横切ったのを見た。

 子供っぽいことだが、どうしても触れたくなった。

「にゃあ」と言いながら、そっと追いかけてみた。猫は逃げる。でも、こちらが立ち止まると立ち止まるのだ。あきらめきれない。オリダは、そんな調子で猫を追いかけて行った。

 いつもは立ち入らない下働き者が住む区域にまで立ち入ってしまった。

「にゃあ」

 猫を見失った。

「にゃ」

 空を見上げると星空だ。


 にゃー。

 猫の鳴き声がした。

 どこかにはいるのだ。

「にゃー」

 オリダは猫が応えてくれないかと、もう一度、ないてみた。


 にゃー。

 猫は頭上にいた。

 城壁の上に黒い影が見えた。


(みつけた)

 城壁に上へ行く階段がついていた。オリダは階段をのぼる。階段と言っても、足の先がひっかかるぐらいの簡易階段だ。半分くらい、のぼったところで足を踏み外した。落ちる! と思ったオリダの全身を受け止めたのは、うしろに来ていた男だった。

「酔っぱらいのネコさん」

 男は笑った。


 オリダは、いっぺんで酔いが醒めた。正確には頭だけ醒めて、身体は酔っぱらっていた。

「……と。階段の途中なんだ。おとなしくして。オレの頭が地面でかちわれるのが見たくなかったら」

 5メートルは城壁の階段をオリダは、のぼったものらしい。

 おとなしくしておくしかない。

 それに身分がばれるのは避けたい。


 男は、ぎゅっとオリダを抱きしめる手をゆるめることなく、下まで降りて行った。

 降ろしてからも、はなさなかった。

(はなせ)と言いたかったが、オリダは我慢した。声を発してしまって覚えられるのはまずい。


「ネコさん。野良ではないね」

 男は腕の中のオリダにささやいた。

「なんか毛並みがよい。どうして、ここまで来たの? やっぱり迷子?」


(ちがう)とオリダは頭を横にふった。

 男の腕の力が少しゆるんだ。

「そっか。じゃ、家へお帰りよ」


 オリダは、ほっとして辺りを見渡した。そして、うろたえた。正直、どっちへ行ったらいいのかわからなかった。

「……」

 黙りこくったオリダに、また男の腕に力が入った。

「黙っていたら、いいんだって思ってしまうよ。いいの?」


 自分の身分を言うべきだと思った。だが、はじめての大任をやりとげたあとに、酔っぱらって迷子になった次期織女頭じきおりめがしらなど、かっこうが悪すぎる。絶対に身分は、ばれたくない。


「今日、ぼくは夜番なんだ。城壁のそばに仮寝の塔があるよ。そこでよかったら休む?」

 男の声は、やさしかった。

 若者だなとは、声と腕の感触からわかった。

「いい?」

 若者の言葉にオリダはうなずく。明け方になれば、帰り路がわかるだろう。それまでは、その仮寝の小屋でしのがせてもらおう。


 城壁と城壁の間には等間隔に塔がある。それはオリダも城内から見て知っていた。そこのひとつが仮寝用なのだろう。

 思惑違いだったのは、仮寝の小屋に若者も入ってきたことだ。

「いやがることはしない」と言いながら、オリダ自身も知らなかった場所へ入ってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る