愛が憎しみに変わるとき。

夕日ゆうや

子心を知らぬ母

 お腹が空いた。

 わたしの食べていいたべものは、昨日のよるのおにぎり一個。

 お腹が空いた。

 家の中を徘徊していると、冷蔵庫にあるプリンに手を伸ばす。

 ふと罪悪感から伸ばした手が止まる。

 でも空腹には耐えられなかった。

 プリンの蓋を無造作に開けて、中身を吸い取るように食べ尽くす。

「ただいま」

 かえってきた母の声。

 わたしはぜんしんがふるえるのをかんじた。

「! この馬鹿者! 何勝手に食べているのよ!」

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 わたしはひたすらあやまることしかできない。

 何度も何度も腹を打ち当てられる蹴り。

 食べたものがもどる。

 けっきょく空腹のままだ。

「このげぼ誰が片付けると思っているのよ!」

 甲高くキーキー言う声。

 わたしはははのこの声が嫌いだった。

 たまの休みにも母は男と出かける。

 わたしに残してくれた食べ物は豆腐の切れ端。

「小さい身体なんだからそれですむでしょ?」

 そういわれてはなにもいいかえせない。

 わたしはくうふくをずっとがまんした。


美希みきちゃん、ちゃんと食べている?」

 保育園の先生がそう訊ねてきた。

 でもははのいうとおり、わたしは「たべている」といった。

「……そう、ならいいのだけど」


 そんなことがあって一週間後。

 ははをとりかこむおとなのひとたち。

「美希ちゃんと会わせてください」

「あなたには虐待の疑惑があるのです」

 みんなしてははをいじめている。

 わたしはははのまえにでる。

「ははをいじめないで!」

「あなたが美希ちゃん?」

「やめて。はははなにもわるくない!」

 かっと顔を憤怒で滲ませる大人。

「そのあざは母親に殴られたのでしょう?」

「ちがう。ころんだんだもん……」

 困ったように眉根を寄せる大人の人々。

「偉いわね。美希の言う通りよ。私は何も悪いことはしてないわ」

「そう言われましても……」


 そのあとも何度も何度も大人たちは母をいじめにくる。

 母の子であるわたしはそれを恨んだ。憎んだ。

 そのうち集まってきた、大人たちが母とわたしを引き離していく。

 裁判が始まった。

 わたしはますます母と会うことがなくなっていく。

 ひどい親だとは思わなかった。

 日だまりでたまに撫でてくれた。

 一緒に遊んでくれた。

 目の端から零れ落ちる涙は、地面を塗らす。

 わたしはまた一つ大切なものを失った。両親を。

 この裁判員が、大人たちが、国が、嫌いだった。

 憎しみと怒りで世界を呪っていた。

 わたしはまた一つ失った。良心を。


 空っぽのわたしには憎しみがたっぷりと注がれた。

 今日もこの世界のどこかで人を、世界を憎んで生きる――。

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愛が憎しみに変わるとき。 夕日ゆうや @PT03wing

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