第13話 魅惑の場所

「さて、あの色々と聞きたいことがあるんですけど、そういうのって大丈夫ですか?あ、ごめんなさい。忘れ物は嘘です。」

 私は振り返り、惰眠に尋ねた。前から色々と話してみたいと思っていたため、少し畏まった言い方になってしまった。

「構いませんよ。でもここについて深く知っても、変わらないものも多いよ?」

 惰眠は応じてくれたが、私の考えが分かっているようだった。でも、それだけじゃない。結果的に何も得られなくても、話すことに意味があると感じた。私はそういう思いから真面目な顔で頷いた。

 館の中で招かれた部屋は、今まで一度も立ち寄ったことのない部屋で、完全に顧客にサービスを提供する場所ではなく、ただの書斎だった。だが、中央付近に深いソファと低いテーブルがあったため、応接室のようにも映った。もう殆ど使われていないのか、物悲しい雰囲気が感じ取れた。

「座って。コーヒーを淹れるよ。何が知りたい?」

 惰眠は私をそこに座らせ、奥に行って棚から機材を出し、コーヒーを挽きだした。どうやら今からハンドドリップをするらしい。ミルがコーヒーを砕く音は静かで、会話の妨げにはならなかった。

「まず、この場所についてです。なんと言いますか、失礼ですが、惰眠さんは人間ですか?他の方も同様に。」

 私は手をすり合わせながら聞いた。私の質問は確かに失礼だが、この場所が未知の場所と言うなら、目の前にいるのも未知の存在だと言われても信じられる。

「意外といい質問ですよ。それ。おっしゃる通り、私は人間です。ですが、他のスタッフは人間ではありません。そうですね、言うなれば「結晶」です。」

 手を休めることなく、惰眠はそう返した。聞いてみないと解らないことも多いな。

「結晶?」

 私は想像がつかず、そのまま返した。

「ええ、話すべきか…せっかくなんで話しましょう。以前に皆さんの幸福がここの力になると申しましたよね?あれらが正しくそれですよ。原理は上手く説明できないんですが、それが届けば形になり、実態ができるんだ。料理だってそうだよ?」

 いざ聞いてみると信じがたい話だ。あんなにも饒舌に演劇の脚本を演じる者たちが、全くの別の存在だというのは。

「じゃあ、あなたは?ここを作ったんですか?」

 そうなると、この惰眠と言う男だけは、その未知から逸れている気がした。不思議な力も感じ取れない。

「いえ、私はただの男です。何の変哲もない、どこにでもいるね。」

 惰眠はそう答えたが、少なくともどこにでもいるという言葉はそぐわない。こんな力のある場所を切り盛りしているのだから。

「普通…。突然にはなるんですが、あなたにとっての幸せってなんですか?その言葉が正しいなら、ここに居る理由も、何か考えがあってじゃないんですか?」

 ただの男。その言葉を聞き、私はまたもそんなことが気になってしまった。時々不慣れな様子を見せる彼からは人間味を感じ、一人で、ここで案内をし続けることに少しの疑問があった。

「驚きました。そんなことを聞いて下さる方は初めてです。幸せ、ですか。」

 惰眠の手が一瞬止まった。やはり私のようにこじれた疑問を持つ人は少ないみたいだ。彼は今までにないくらい考えている様子だった。

「難しいですよね。じゃあ、ここを始めたきっかけは何ですか?」

 コーヒーを淹れながら唸っていたので、答えやすいように質問を変えた。丁度コーヒーも出来上がり、二人分持ってきてくれた。そして席に座り答えた。

「いえ、そういうわけでは。少し長くなってしまうのですがよろしいですか?」

 奥深い話題に触れた惰眠は、いつも通りの愉快で謎の多い男には見えなかった。口調も普通で、丁寧だった。惰眠にもそれなりに事情がありそうだ。未知の存在が近くにいる感じがして興味を惹かれ、私はコーヒーに砂糖を入れながら

「聞きたいです。」

 と答えた。

「私、いや僕はもともと、本当に普通の会社員だったんです。でもそれだけが僕にとっての生活で、幸せも何も感じられなくなって、全てが嫌になったんです。そしてある時、気づいたらここに居ました。最初は戸惑いました。でも神様が言うんです。ここで幸福を集めたらどうだ?って。何か見えてくるかもしれないし、苦痛からは逃れられるって。それがきっかけですね。その神様っていうのが、今では何だったか思い出せません。実際に声が掛かったかも今では…だから僕自身もここについて知り尽くしているわけじゃないんです。唐突に着て、唐突に始まったわけですから。そして今に至るってわけです。最初の方は殆ど何もありませんでした。この館も質素なもので。でも来客を何とか幸福にしようという意思とその結果が届いて、大きくなっていきました。勝手に迷い込むように入って来る人達だけでなく、私からも招待を送れるようにもなりましたよ。ただ、そうですね。幸福、というのはまだ見えません。実際現実世界に帰ることは出来るんですが、それをしてないのが何よりの証拠ですね。」

 惰眠は丁寧に経緯を話してくれた。それを全部話いていたら、日が暮れてしまう勢いなので、かなり大雑把だったが、もっと聞きたいと思った。ここに来たことで特別になったが、謙遜なしの普通の人だったみたいだ。

「でも、それから生まれた結晶とは深いコミュニケーションを取れないんですよね?おひとりでされてきたんですか?」

 考えても見れば、ここを案内できるのはこの惰眠と言う男をおいて他にはいない。幸福の結晶によってできた従業員しかいないならば、この人はずっと孤独ではないのか。それらは人ではなく、孤独を埋めてくれる存在ではないはずだ。

「綺麗ごとに聞こえると思うのですが、貴方たちがいます。僕は今までのゲストと共に歩んできたと考えているんです。だから、苦しくてしょうがないってわけじゃないです。何が幸福かって言われると難しいですけど。」

 惰眠はそう言うが、寂しさのようなものを感じた。私と同じかもしれない。自分が望むものを解っていて、それは自分にとって釣り合わないものだから、諦めるしかない。あくまで私の予想だが、戻れないのも現実が過酷だからじゃないのか。全てが嫌になって、そんな飢餓状態で、強く何かを望んでしまうのは自然なことなのかもしれない。例えその形が見えなくても、心の中では強く何かを願ってしまう。

「現実に戻りたいって思うことはないですか?」

 私はなるべく憂鬱にさせないように聞いた。私たちは仲が良いというわけではない。あまり行き過ぎたことを聞くと失礼にも当たる。

「夢には出ますね。どうしても忘れられないものもあります。だけど、それが戻りたいという意思なのかは、これまた分からないんです。色々と聞いてくれてありがとう。今のところ悩みは強くないから、心配しなくても大丈夫だよ。」

 仮面越しにでも微笑んでるのが伝わった。口調はいつものように戻ったが、コーヒーは湯気が立ち飲み頃なのに、それを啜ろうとはしなかった。

「それでも辛くて仕方ない時、頼れる人はいますか?もしそうなったら、自分ではどうしようもないかと。」

 私は先ほど述べた行き過ぎたことを聞いた。これが世に言う余計なお世話と言うものだ。しかし、ここに来る私たちと同じように、この惰眠と言う男も純粋な善意を持っていることが分かるのだ。もし、その神様というのが居たなら残酷だ。今まで何人も幸福にしてきただろうに、幸福に気づけずに居るのだ。だったらこの人も報われるべき人だ。

「恵さん。君は優しいね。案内人としてではなく、一個人でこんなにも心を打たれたのは二度目だよ。僕が初めてお会いした人も、僕がここでやっていくだけの勇気をくれたんだ。ただの何もないぼろ小屋の時さ。頼れる人は確かに、いない。考えたこともなかったよ。」

 私はなんだか、口実のようなものを見つけてしまった。美香の言ってくれた何でもいいから前に進む。それをまたとない形で行えることの。

「あの、惰眠さん?私もここで案内することとかってできますか?そしたら、あなたのお話も沢山聞けますよ?」

 この場所で誰かを笑顔にする。それに憧れのような感覚を覚えた。最初こそ怪しく、立ち寄っては行けない場所に来てしまったように感じたが、今ではどこよりも素敵で、魅力に満ちた場所だと思えた。ノウハウはないが、惰眠が不得手な部分も補うことができると思った。この場所をより素敵な場所に、自分の力を加えてできるというのは、夢みたいな話ではないか。

「君はおかしな事を言う。え、本気?さっきから驚きっぱなしなんだけど。できるにはできる。でも給料も出ないし、良いことばかりじゃないよ?まあ、思いの形が還元されて、生活は保障できるんですけど…」

 私がそう言うと、驚いた様子で念を押された。でも、断られると思っていたから、それくらいの忠告は気に留めることではなかった。私も夢ばかり見ているわけじゃない。いや、現実が見れているから自分の可能性を潰してしまっているのか。どちらにせよ、やってみるしかないという思いが強く、そこに付き纏う良くないことも弁えているつもりだ。

「構いません。私は最近、ようやく自分の幸福についてわかりました。それは誰かを笑顔にすることです。それがどんな心境かは本当の所分かっていません。ただ満たされたいのか、充実したいのか、愛が欲しいのか。でも、こういった仕事に興味は持てるんです。だから、その一歩として挑戦してみたいんです。」

 コーヒーを置き、仮面の奥の目を見るように訴えかけた。穴が見つめる程見ても、目の色は分からなかった。

「そこまで言われたら、折れるしかありませんね。いいですよ。一緒に頑張りましょう。でも、まさかこんな日が来るなんて、思ってもいなかったですね。やっぱり運命と言うのはわからない。僕は、ここが起こす奇跡をこの身で感じました。これもここの力によるものでしょうか。いや、きっと違いますね。」

 惰眠は私の事を受け入れてくれるだけでなく、孤独を埋めてくれる存在に大きな感動を覚えたことを態度で示していた。私はただ、自分の道を歩もうとしていただけなのに、人知れず、誰かの希望になれたのだ。

 ここの仕事はそう複雑ではなかった。招待状を送り、来たゲストを案内するというだけのものだった。ほとんどが奇跡の様なもので成り立っているゆえ、下準備や裏方の作業は殆ど発生することがないため、今までのバイトより、或いは私がやってみたいと思っていたテーマパークの仕事よりも楽だった。肝心の、美香が拾ったような招待状に関しても、こちらから選別をするわけじゃなく、文章を書いて館内のポストに投函するだけで、誰か必要な人の手元に届くということだった。惰眠はこれらの説明をする度、いかに自分がここで力を発揮できないかを私に悟らせ、苦笑いを浮かべていた。

「こんなところかな。ね?ここの機能があまりにも優れているから、僕が付きっきりで案内しても仕方ないんだ。気が変わったなら、やめても構いませんよ?実際、私たちができることは少ないですから。」

 仕事と設備の説明をし終え、また部屋に戻って来た。惰眠はすっかりいつもの調子に戻り、そう聞いてきた。

「いいえ、私の気持ちは変わっていません。私たちも参加してみるとかってどうですか?あの方たちは多少のコミュニケーションも取れるんですよね?」

 私は見て回り、改めてここが理解しがたい場所だと解ったものの、その気持ちは揺らがなかった。それどころか、今のように想像を膨らませ、自分が陽気に案内する様子を頭に浮かべ、もっと何かできるはずだと考えた。

「私たちが?うーん。それは考えませんでしたね。それにかなり意欲的で良かった。何か案があるなら伺ってもいいですか?」

 私の態度に感心し、早くもここに溶け込もうしていることに驚いている様子だった。

「例えば、ダンスとか、パレードとか?私たちが一緒にすれば、ゲストと仲良くもなれると思うんです。私は通ってて、なんでもっとコミュニケーションを取らないんだろうって感じたんです。中にはただ奇跡的な出会いじゃなくて、話をしっかりと聞いてあげることが必要な方もいらっしゃるかと思うんです。私たちが前に出ればそれもしやすいかと。あの、意見し過ぎですか?」

 私は今まで疑問に思っていたことを案として出した。自分で言ってみると、惰眠が聞き下手だと自称するのも、相談する場がほとんど無いのも把握できた気がする。ここの掟があるかもしれないので、私の意見は通らないかもしれないが。

「そんなことはないよ。感心しているんだ。私はやはり向いていないのかも。やれることはやってみましょう。相談役になるというのは必要ですしね。でも基本的には陽気で未知な雰囲気は守りましょうね。ずけずけと行くとイメージダウンに繋がりますので。」

 惰眠は自分が向いて無いと思っているようだが、運営するということに関しては明らかに才能があった。この場所のイメージを作り出し、私たちにもそのイメージが保たれ、心惹かれる場所になっているのはそのおかげだからだ。確かに、案内人がやたら親切に話を聞き、案内をし続けるのでは、好奇心も薄れてしまう。話を聞くことだけが正しいことではないと知らしめられた。それが考えあってのことだなんて奥深い。

「二面性ですね!了解しました。私も普段は惰眠さんのように振る舞い、しっかりと話を聞く時は素を見せることを心がけます。」

 きっと学べることも多いだろう。素人の私が、これがいいと思って突っ走っても転んでしまうだけだ。その点、数年はここをやって、いろはが分かっている惰眠はプロと言っても過言ではないのだろう。

「そうそう。それなら私たちがダンスやパレードを行っても違和感がないからね。じゃあ、色々と進めましょうか。ダンスなんて踊れるかは不明ですが。」

 そう言うと、舞台裏と呼ばれる結晶たちが普段集まっている場所に惰眠は向かっていった。どうやらここを出ていない私はゲストと言う括りらしく、それらとは高度なコミュニケーションを取れないとのことだった。第一に、私がここを旅立つ条件はなんだろうか。複雑になってきた。ここで幸せを見つけることができればここを旅立つことになるのか。そうなったら案内人としては居られないのだろうか。いや、それはないだろうな。惰眠が幸せにならないことでここが彼を引き留めているなんて、そんな酷い場所であるはずがないのだから。

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