第11話 大事なこと
私の心情変化が館のお陰かは分からない。でも前よりは明るい気持ちで生活を続けることはできてきた。そういえば雄三は、旅立つという事を言っていた。事業が成功したと述べていたし、幸せが成就することが館を卒業する条件なのだろう。だったら続ける必要がある。まだ幸福には成れないから。形が見えてもそれを実現できるかは別問題だ。今回は母、妹も来てくれるみたいで、三人揃っていく事ができそうだった。母も行くことを心待ちにしていたみたいで、しっかりと予定を合わせてくれた。全員でヘンテコなおまじないを掛け、また愉快な場所に赴いた。
「こんばんは。あら、奥さん。ご無沙汰しております。では中へ。」
惰眠は無駄な説明を省き、館の中へ案内した。とはいうものの、廊下を歩く間に今回の概要は話してくれた。
「本日はゲストがいらっしゃると思います。初めての方ですよ。そして、今宵はアクティブレストです。詰まる所運動ですね。たまには動いてストレスを出すのもいいのです。ああ、疲労感は付き纏いませんのでそこはご心配なく。」
私たちは今まで、体を動かすようなことは無かったため、少し意表を突かれた。(二つしか知らないけど。)確かに運動と言う運動は最近していない。美香は体育などがあるから動いているだろうが、母と私はめっきりだ。
案内され、扉が開けられたそこはまさに体育館のような場所で、広々とした空間に卓球台やバスケやバレーのコート、跳び箱や高跳びなど非常に多彩な種目の準備がされていた。ここがこの館に見合わないというだけでなく、どこまでも広がり、広すぎると言っても過言ではない空間は、この館がこの世のモノではないことを思い出させるようだった。
「好きなように遊んでくださいませ。お飲み物はこちらです。ああ、移動もおまじないと同様、目を閉じて念じればその場所に行けるよ。お嫌ではないですか?」
惰眠は振り返り、再び説明した。体を動かすのが嫌いな人も中にはいるので、良い配慮だ。
「嫌ではないのですが、もう年が年ですので。」
母は申し訳なさそうに自分にこの場所が不適切であると伝えた。私も母が元気に動き回る姿は想像できない。
「ご心配なく。好きなように動けます。ここでならね。人に不可能なことはできませんが、ケガの心配もございませんよ?一度お試しいただいて、お気に召しませんでしたら、お申し付けください。呼び鈴があるのでそちらで。」
惰眠は、百聞は一見に如かずだと言わんばかりに、会釈して扉の取っ手に手を掛けた。それ以上は語らず、私たちに異論がないのを確認するといつもの様に扉へ消えていった。
「やってみよう。でもこの人数だと、個人種目か…卓球とか?どう?」
一番行動力のある妹が、色々と指を指しながら提案した。ここに来たからには私もしてみるかという思いで頷いた。私たちは教えられたように移動し、卓球台の前に立った。
「どうするんだろう。姉ちゃん、適当にやるから適当に返して。」
妹は少し考えた様子だったが、適当になり、適当にやり始めた。私はラケットの握り方も解らないというのに。
「えぇ…いや、返せる。今の私がやったの?」
台の上で跳ねる球の軌道を捉えることしかできなかった私は、オリンピック選手がやってるのを思い出して、それを返した。私はその通りに動くことができ、対応できたのだ。最も、練習をしていない私が打つ球だから、それには敵いようもないが、ラリーはできそうだった。
「スゴ!プロじゃん。私もできるわ。母さん。やってみて、ヤバいから。」
妹も私のように打ち返し、暫くラリーが続いた。慣れてきた私たちはもっと高度な試合ができそうだったが、この感覚をいち早く母にも教えたかった。私は母と代わり、ラケットを握らせた。
「そんな。あなた達みたいには出来ないわ。あら、ホント。びっくりしたあ。」
やれやれ顔で微笑む母だったが、そこに容赦なく妹がサーブをし、咄嗟に母が対応した。母は近年稀に見る仰天した顔をし、想像できなかった機敏さを見せた。妹も母もラリーが続き、肩で息をすることもなく、されど運動している充実感を感じれていた。
「次は?個別でやってもいいけど。折角ならあなた達と一緒が良いわね。」
思いのほか、私たちの中で一番母が喜びを見せることになり、動けると知った矢先、はしゃぎだした。元より天然な性格だから違和感はなかったが、ここまでの変化が見られるとは思ってもいなかった。私たちも楽しくなり、運動を続けることにした。
その後は、二人でできる種目を選び、少し遊び、一人で出来るものも競い合って遊んでいた。こればっかりは運動の素質が出るみたいで、基礎能力の高い妹がいい成績を残す傾向にあった。私も柔軟では今でも負けはしないのだが。
そうして遊んでいると、惰眠に案内されてゲストがこの場所に案内された。私たちも遠巻きから観察し、初々しい態度を確認した。丁度、二対二でできる種目もやってみたかったので、それを邪険にする理由は無かった。私たちは惰眠が去った後、その男性を誘おうと話し合い、その傍まで移動した。
「こんばん…あ…」
母は声を掛けたが、息を飲み、言葉を詰まらせた。疲れていたわけではない。私と美香もあり得ない事実に直面してしまい、同じく言葉を失い足が震えていた。そこに居たのは父、英輔だった。人間と言うのは死ぬほど驚いたとき、一言も発することができなくなるのだと実感した。それはあちらも同じようで、目を見開き、口をあんぐり開けて唖然としていた。
「お前たち。済まない!本当に迷惑を掛けた。気が済むまで殴ってくれ。父さんは…」
そうしているのも数秒、父は膝を地面につけ、涙を流しながら謝りだした。私はまず出会えたことに混乱し、どうしていいのか分からなかった。そして妹の方を見た。この状況、彼女のパニックを引き起こさないか。
「父さん。事実なの?借金を背負うために関係を絶ったって。」
案の定、妹は泣き崩れ、体がこわばっていた。しかし、その中で必死にそれに耐え、それが溢れかえらないように抑えていた。震える声でそう聞いたのだ。
「どうしてそれを。寧子、伝えたのか?違う?そうだ、事実だよ。でもお前たちを守らなかったのも事実だ。」
父は母にそれを確認したが首を振られ、知られた原因を限定できなかった。雄三の言う通り、父は何も責める要因などなく、私たちを思ってくれていたのだ。母もなぜ私たちが知った様子で居るのかは検討が付けられないという感じだった。
「お父さん、ここはね、純粋な善意がある人だけが来れる場所なの。私はもう、受け入れるよ?事業も成功して、もう帰れる準備は出来てるんでしょ?」
ここの存在は大きかった。その良心を理由づけてくれるのは、普通は場所ではない。それを一種の判断の中継点になってくれるというのがありがたいのだ。そして私は、絶対に知りえないであろう事実を口にし、決心を見せた。
「あなた、それは本当なの?」
母は再び驚き、父に尋ねた。そう、それは奇跡でも起きない限り知ることはできなかったことで、ここでこうやって顔を合わせているのも、間違いなく奇跡だった。
「どうして恵がそれを知っているのかは分からないが、本当だ。だけど、もうやり直せないと思っている。」
父は母の問いに答え、美香に視線を落とした。ショックで泣き崩れ、今にもトラウマに押しつぶされそうな彼女を前に、その思いは強まる一方だっただろう。
「違う、違う。あたしは、捨てられたと思ったの!でも違った。それならまた一緒に居られるじゃん。失ったものもある。それはきっと帰ってこない。それでも、父さんが自分の行いを否定したら、今度こそ私は立ち直れなくなるの。私の苦しみも正当化されるから!」
美香は心からの言葉をぶつけた。きっとここに居る私たち皆が、父を受け入れることを考えていた。だけど、それはそれぞれ形も違い、どう受け入れるかも違った。私にとっては父が再び帰って来ることの喜びがあったが、美香にはトラウマそのものに終止符をつける機会でもあったのだ。
母も崩れ、泣き続ける美香の肩を抱いた。最近は比較的落ち着いた様子だったが、闇を再び露わにした娘を救いたい一心だった。
「大丈夫よ。お父さんは帰ってくる。美香、もう何も我慢しなくていいの。」
そう言い、父の目を見た。私も妹に寄り添い、母と同じく地に膝をついて妹を強く抱きしめた。ずっとこうしていたかった。妹の言った通り、戻らないものもある。時間も、心も、失ってしまっては同じく戻らない。でも、残ったものはこんなにも暖かく、この先にある幸福も眩しかった。
「ありがとう。美香、お前はほんとに優しい子だな。大きくなって、父さんずっと会いたかったよ。じゃあ、帰ることにする。借金ももう心配しなくてもいい。帰ったら色々聞かせ欲しい。」
父も、涙ながらに妹の傍まで寄り、頭を撫でてから私たちを見た。
「「「お帰り」」。」
私たちは見事に揃い、父と手を取り合った。ああ、やっと帰ってきた。もう戻らないと思っていたのに。やっぱり良いものだな。家族は。
「しかし、ずっと疎遠になっていたせいで少し接し方に困るな。」
父は涙をふき、そんなことを呟いた。自分の事を責め続けていた父がそう思うのは無理もない。
「じゃあ、スポーツしよう!バスケね。」
私は家族の絆を埋め直すためボールを拾い上げ、そう提案した。今までこんな感動の再会を果たし、初めにバスケットボールをした家族がいるだろうか?きっと居ない。とても奇妙で、とても素敵だった。
父と美香をペアにさせ、私と母が組んで試合を始めた。最初美香は足がわなわなと震え、手も震えていたため、ボールを上手く扱えなかったが、時間が経つにつれそれも治っていき、父と積極的にコミュニケーションを取るようになってくれた。
「父さん、ここからロングパスするからね~。」
まだ少し震える声で、遠くから父に呼びかけ、私たちを通り越してボールが投げられた。
「おう、こい。」
父はそのボールを受け取り、軽く投げ、2ポイントシュートを決めた。このように自然と家族間で交流が生まれ、ギスギスする必要はなくなった。後は、妹の心の傷をどうするかだ。時間が経つにつれ、改善していくだろうが、本人が思っている以上に、彼女は傷ついていた。変化をずっと見続けた私と母はそれを誰よりも知っている。美香の幸福はこれからなのだ。まだ、胸を撫でおろし、安心し切るのは早いのかもしれない。
他の種目もまばらに取り組んでいた私たちの時間は瞬く間に過ぎていった。いつもの様に惰眠が迎えに来た。
「迎えに参りました。おや?随分と仲がよろしいようで。」
完全に溶け込み、同じ競技を行っている私たちを見て、惰眠も思う所があったみたいだ。
「ええ、家族と素晴らしい再開を果たせました。もしかして、このために私を招待してくれたのですか?」
父も私と同じような疑問を口にした。誰でもこんな偶然は起こりえないと思うのは当然だ。
「いいえ。ご家族だとは知りませんでした。命に賭けても、それは事実です。ですが、ここはそう言う事が起きるのです。」
惰眠に白々しさはなかった。やはり何も知らないというように首を傾げていた。
「父さんのことは雄三さんから聞いたんだよ?」
私は父にそう答えた。こんな奇跡の連続が当たり前のことだとはにわかには信じられないが、こうも立て続けに起これば信じざるを得ない。
「社長がここに?それはまた奇妙だ。」
父も信じがたいようで、腕を組んで感心していた。私も本当に知らないのかと千回でも問いたい気分だ。
帰りは一緒に門まで歩き、私たちは見送られる形で此処を出ることになった。
「荷づくりをするから、三日後くらいにそっちに着くよ。」
父は手を振り、私たちに言った。私たちも心まちにしていることを伝え、ここを去った。明らかに好転している。こんな怪しげな場所が、人生の転換期になるとは思いもしなかった。気づけば長く居るこの場所のことふと、そう思った。
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