第10話 重き

 私はバイトの休憩中、また幸福について考えていた。というよりは今私がそれに迎える方法についてと言うべきか。借金もあり、自分の進路を自由に選べないのは事実だ。しかし、それに近づける方法はあるのではないかと考えた。つまり、仕事を自分の嗜好に繋げるのだ。今までは考えもしなかった。だけど上手くいくかはわからない。それは理想に過ぎないからだ。私は求人誌をパラパラと捲り、考えていた。

「おはよう、恵。仕事探し?」

 そうしていると同期の「奈々」が声を掛けてきた。ここで二年ほど一緒にいる女性だ。年は私よりも一つ上だ。バイトという事で人が入れ替わっていく事も多いが、これまでずっと居たのも功を奏し、かなり仲がいい。今の私にとっては大事な友人だ。近くに住んでいるため会う機会も多い。

「そうなの。何か充実感ある所無いかなって。」

 私は漠然とした回答をした。きっとそれが見つかって場所を変えることになっても、奈々と疎遠になることは無いだろうが、やはり直ぐには思いつかなかった。

「充実感か。私テーマパークで働いてたことあってさ。あの時は良かったよ?結構福利厚生も整ってたし。恵の好みっぽいけど?」

 奈々は私の横に座り、思い出話をしてくれた。確かにそれは私の好みで、人を笑顔にするというのは興味を持てた。しかし、どうも敷居が高いイメージがありフリーターであることを言い訳に、考えないようにしていた。

「良いかも。テーマパーク…あった。ああ、でも掛け持ちは難しそう。どうしても時間が。」

 求人誌には都合よくその手の情報が載っていたが、私の事情故、複数の仕事を掛け持ちしなければいけないので難しそうだった。

「そうだよね。恵は今大変だよね。ごめん。」

 私が顔を顰めたせいで奈々に余計な気遣いをさせることになった。借金のことは深く話していないが、家庭環境が芳しくないことは話していた。

「いや、良いの。ヒントにはなったから。私、自分の幸福が何か分かった気がする。」

 私は笑顔で返し、求人誌を閉じた。私はずっと誰かの笑顔が見たかったのかもしれない。妹のために大学まで辞めて働けたのは笑顔でいて欲しかったから。母の仕事が辛くないように私の分を増やしたのもそう。それは多分、誰かを幸福に、いや幸福でなくてもいい。ほんのちょっとでも笑えるようにできたらいいんだ。そういう考えの元だった。きっとそれは偽善だって突つかれることだろうけど、今の私には必要な考えだった。

「なんか今顔つき変わった?」

 奈々も私の顔色が変わったことに気づき、そう問いかけてきた。その一歩を見つけ出してくれた彼女には感謝しなくては。

「うん。見えてきた。ありがと。」

 私は大きく頷き、その意志表明をした。まあ、今は目の前のことに集中しよう。現在解決することができないことに耽溺しても仕方ない。頭の片隅に置いておくのだ。休憩時間を終わり、もう一度仕事を始める。今度は明るく、相手を喜ばせることを考えながら。

 幾つもある職場の内、一番長く続けているのはここ、ホームセンターの店員だった。店頭に商品を並べるのが主な業務だが、専門性の高いモノを陳列しているのもあり、客と接する機会は多かった。私はバイトだが、ある程度の商品についての見識はマニュアルによって覚えていた。他、困った様子の客が居れば積極的に声を掛けろと言われている。

「いらっしゃいませ。どうかいたしましたか?」

 商品を陳列し終え、他の棚を見回っていると、棚の前で腕を組んで深く考えている様子の男性がいた。先ほどまでの事はあまり意識しすぎずに自然な笑顔で話しかけた。変に心がけ過ぎると却っておかしな事になるからだ。こういうものは自然に楽しむ思いでするのに限る。

「ああ、店員さん。助かるよ。庭の芝刈り機が欲しいんだけど、初めてなもんでわからないことだらけで…何を基準に選べばいいかな?」

 男性はホッとしたようで流暢に話した。こうやって声を掛けて素直に話してくれる客は助かる。中には放っておいてくれと目を合わせてくれない客もいる。

「それでしたら、操作性が優れたものをお勧めします。こちらなんかは手で押すだけで、草を刈ってくれますし、手入れも簡単です。値段もリーズナブルですので、初めての方にはいいかと思います。後は、これなんかはどうでしょう。これは…」

 私は軽くプレゼンし、手の付けやすいものに手を差した。その他の商品も同様に、利点と欠点を説明し、顧客が選びやすい工夫をした。

「そうか。じゃあ、最初に言ってくれたのにしようかな。いいね、君営業の素質があるんじゃない?バイト?凄いね。」

 男は上機嫌になり、笑ってくれた。私に大きな変化があったわけじゃないが、何に重きを置くかが変わった私は、お世辞かもしれないこの言葉がグッと刺さった。でも、私がバイトという事を知り、本当に驚いているようにも見えた。

「お役に立てて、良かったです。何かお困りでしたら、またいつでも。」

 私は深く一礼し、その場を後にした。

 私は気づいた。よく幸福とは考え方だと言う。どんな状況でも幸福だと思えればそれは幸福だという理論だ。それはあながち間違いじゃない。それでもそんな理論が腑に落ちていなかったのだ。本当に不幸の中にいる人はそんな風に考えられない。真の苦痛を知っている人は考え一つで自分を騙し、幸福にすることはできないからだ。その考えは変わらないが、不幸の中で視点を変えることで前向きになることがあるという事に気づいたのだ。今のだってそうだ。お金のため、生活のため、そんな事ばかり考えていたからどんよりとして霧が深かった。私は今、不幸の中にいる。幸せとは言えない。だから、考え方次第で幸福になるとは言わない。言えない。しかし、不幸の中での足掻き方は変えられると解った。だから私は人を笑顔にしたいんだ。もう少し、何かに手が届きそうだった。私の求めたものは、ここにあるのだろうか。だけど、今は自然と吊り上がった口角の感情に身を任せよう。こういう小さな変化の連続が大切なのだから。

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