第9話 考え方

 話し合ってからの一週間は、それとなく過ごした。父の話が家族であがることはなく、その予兆も然りだった。私も、浮かれてばかりは居られず、まだまだ残っている借金のためには根を詰めなければいけないので、いつも通りのフリーター生活を送っていた。しかし、館のお陰なのか前よりは疲労感はなく、無理が体を祟るような心配はせずにいられた。

 そして、一週間後の休日、妹と一緒に館に向かうことにした。母はまたも仕事が忙しいらしく来ないそうで、私たちも機会を伺っていたが、劇的に事態が好転することはないと知り、今回も誘うのは諦めた。幸い、帰りが早い日が増えていることは確かで、幸運が引くことなく、疲れ切った表情を見る機会も減ってくれている。

「行こうか。今日は立食会かな。美香には前のもぜひ味わってほしいんだけど。」

 まあ、ただ何も考えず食事を取るというのも出来過ぎた娯楽なのだ。そこに行けるというだけでいい。前と同じくあちらに行き、そしていつもの門の前に着く。

「ようこそ。お待ちしておりましたよ?今回は立食会です。飽きが来てはいらっしゃらないですか?よろしければ中へ。」

 他の催しもあると言っていたが、今回ではなかったようだ。不満もなく、私たちは頷いた。

 いつも通りのエントランスに入ったが、いつも通りではなかった。奥にある階段の隅に女の子が座っており、泣きながら膝を抱えていた。年は小学生くらいだろうか。いや、もっと幼いか。私たちよりもずっと幼かった。

「おっと。失礼。時々強い思いが届いて迷い込んでしまうのです。すみませんが対応をさせてください。放っておくわけにはいきませんから。君、どうしたの?帰るかい?知らない所は怖いだろう?」

 惰眠は対応し、その子の元に行って話していたが、女の子は答える気もなく、怯えてしまい、ずっと泣いていた。それもそのはずだ。惰眠は上から話し、丁寧だったが怖がられるのも無理はなかった。その仮面もその要因か。見かねた私は傍まで行き

「ダメですよ。そんな風にしたら。ほら、あなたお名前は?私は恵よ。怖いのね、大丈夫。お姉ちゃんが付いててあげるから心配ないよ。」

 と惰眠に軽く注意し、代わって話しかけた。目線を同じ高さにし、なるべく柔らかい口調で話しかけた。女の子はうつむいていたが、途中から顔を上げ、私の方を見てくれた。

「菊。ここはどこ?」

 そして、自己紹介をしてくれた。招かれざる客と言う感じか。ここのシステムを理解していないが、いつもこんな風に対応しているのだろうか。私は深く同情し、この子について知りたくなった。

「転換の館って場所よ。とっても素敵な夢の場所。美味しいご飯もあるよ。ご飯、食べる?あの、この子も一緒に良いですか?」

 私もここが何かを説明しきれないので困ったが、安全であるというのは第一に伝えることにした。そうして惰眠に確認を取ったのだ。

「断る理由はない。ついていてあげて。いやあ、助かるよ。どうも子供は苦手でね。嫌いじゃないけどどう接したらいいのかわからなくて。本当に助かります。」

 惰眠は快く受け入れてくれた。しかし、これは予想外だった。エンターテイメントに重きを置くような場所の案内人が、子供の対応に慣れていないというのは珍しいと感じたのだ。それとも私の偏見だろうか。どのみち、ここに招かれることなく来てしまう子供がいるというのなら、その対応は覚えておくべきだと思う。

 私は菊と手を繋ぎ、廊下を歩いていった。この子が何処から来て、惰眠の言った強い念とは何なのかを確かめたい。だけど、ひとまずはこの子を安心させることが重要だ。

「妹の美香よ。ちょっと怖いかもしれないけど、良い子よ。」

 歩きながら美香の紹介もした。美香には失礼だが、化粧っ気が濃く、見た目が派手な彼女を怖がるかもしれないと思い、そう紹介した。

「あたし怖い?よろしくねー菊ちゃん。飴いる?」

 妹は怖いと言われて不服そうだが、大人らしく子供に対応した。美香も子供相手ということを弁え、優しく語り掛け、ポケットから飴を出した。菊の緊張感は極限までほぐれ、部屋に着く前に三人で手をつなぐ形になった。

「悪いね。私の仕事なんですが。その子をよろしくお願いいたします。すみません、事情を聴いておいてはもらえませんか?いつも上手くいかなくて。可能ならですが。それでは楽しんでください。」

 惰眠は部屋に招き入れると私にだけ聞こえる声で耳打ちし、お願いをした。それは問題ではないが、やはりいつもどうしているのか気になる。どれくらいの頻度で起こることなのかも気になる。しかし、今は菊だ。

 惰眠は扉を閉め、いつも通り私たちを残した。時間はあるのでゆっくりと聞いていこう。子供とは言え仲介者がいる食事と言うのはいつもと違って良いものだ。

「菊ちゃん。ここにあるのは好きに食べていいよ。大丈夫、私たちも同じだから。」

 私と惰眠が話している間にも、ここの案内を妹がしてくれていた。急に食べても良いと言われ、困惑していたが実践したことで順に慣れていった。

 私たちは一通り、料理を取り終え席に着いた。(ちなみにここの料理も毎回違い、飽きない工夫がされていた。今回は中華料理が主力だった。)この子については何処までも無知なため、取っかかりやすい所から聞いてみることにした。

「菊ちゃんはどうやってここに来たの?」

 肝心なことだ。この子の状況を察するに来たくてここに来てるわけじゃなさそうだ。

「分かんない。家の押し入れで泣いてたら、ここに。」

 きっと本当に怖かっただろう。私でさえ、気づいたら知らない所にいたなんて考えただけでも恐ろしくなる。今は落ち着いたのかコーンスープを飲んでいた。

「どうして泣いてたのか聞いても良い?」

 私はここに来たからには理由があると思い、そう聞いた。警戒心も解かれているので、まずい質問ではないだろう。

「ママと喧嘩したの。私が我儘言って、会いたくなかったから押し入れに入ったの。」

 菊はまた涙目になり答えた。嫌な気持ちにさせたのは申し訳ないが事態がそこまで深刻では無さそうで安心した。閉じ込められたとかそういう事情なら大事だ。特に関係性が崩れているわけでもなさそうだ。

「何があったの?」

 妹は泣きそうになる菊の頭を撫でて聞いた。

「お父さんが遠くに行くから居なくなるって。私嫌だからついて行くって言ったの。でも、帰って来るからダメだってお母さんが言うの。ねえ、それって会えなくなるくらい大切な事なの?」

 それは何処にでもある話で、子供が悲しむのも当然なものだ。恐らくは単身赴任で父親が長期で居なくなるといったところだろう。菊の母も直ぐに帰ると説得できなかったため、もつれが生じたのだろうか。そんなありふれた話だが私と美香は顔を見合わせた。何となく私たちと同じ匂いがしたからだ。この子にとっては自分が取り残されて、置いていかれるように感じるのだろう。帰ることは分かっているかもしれないが、その悲しみは同類だ。

「そうねえ。お父さんも菊ちゃんのこと大好きで、きっとずっと会いたいって思うよ。会えなくなるくらい大切なんじゃなくて、大切だから会えなくなることもあるのよ?」

 私は元気づけるため、子供には難しいかもしれない話をした。深く考えてみると父の事が頭に浮かび、この言葉は私が私に言い聞かせてる言葉だと思えた。

「ホント?お父さんは菊のこと嫌いになってない?」

 菊は、聞き分けは良い子で、私の話に耳を傾けてくれていた。母との喧嘩も、自分が一人になる感覚に耐えられずに起こったに違いない。でも赤の他人だからこうして聞いてくれたのかもしれない。親密だからこそ思うことをぶつけ、時にそれが歪を生むのだ。

「菊ちゃんは良い子ね。お父さんも直ぐに帰ると思うよ?ねえ、お父さんが帰ってきたら何したい?楽しいことを考えようよ。」

 妹も大人びた態度を続け、菊に接していた。その質問は菊を明るくするにはもってこいだが、これも何処か自分に投げかけているように受け取れた。

「うん。そうだなあ。絵が描きたい。私とパパとママ、あとロテーの絵。ロテーはワンチャン。」

 楽し気な表情になり、菊は答えた。絵が描きたいなどという返答は考えてもいなかった。子供っぽいからとかそういう理由ではなく、もっと父と何かがしたいと思うと考えていたからだ。

「お父さんと何かしたくない?」

 私はそれを率直に問うた。絵は居なくたって描ける。

「居てくれるだけでいいの。お仕事忙しいし。居てくれたら見て描けるし、描いたの見てもらうこともできる。変?」

 この言葉は純粋で、何も変わったことを言ったわけではなかったが、私にとっては強い刺激になった。私の場合、父が帰ってきたら何かが変わるということばかりを望んでしまっていた。家族の亀裂が埋まり、恐らく借金も軽くなり、私の道も見えてくるのだと。でも違う。そこに居る、それが重要なのだと気づかされた。居て安心して、自分の居場所があると思えたなら、後は自分で何かを変えられるはずだ。私は前進することを放棄していたんだ。自分が安心できないという事を言い訳に。それは父が帰ってきて初めて好転するようなことじゃないのだ。

「そんなことないよ。とっても素敵。いっぱい絵を描いて。菊ちゃんの絵、見たいなあ。」

 私は心を込めて返した。こんなに家族思いでいるのだ。家族もさぞかしこの子がかわいいだろう。私は変化を自分自身に望み、環境が変わることを待つのを止めたいと思った。方法は分からないが、気持ちの持ちようは前よりも良いモノになれた。私がこの子を元気づけるはずが、私まで元気づけられた。

「もうすぐショーが始まるよ。それが終わったら、帰ろう?大丈夫、ここは夢みたいな所で、菊ちゃんはもう一度家に帰れるから。時間も経ってないんだよ?」

 美香は前の幕に指を指し、菊をこれ以上心配させないように言った。話し合いだけでもかなりの時間が経ったので、母親が心配するかもと思案してもおかしくはない。

 その後はショーが始まり、愉快な演劇を見ることができた。古い喜劇か何かで、原本は知らないが作りこまれ、十分に楽しむことができた。ここに子供が来ることは想定されていないのか少し内容は難しかったが、菊は楽しんでいるようで、何度も美香や私に笑顔を見せてくれた。

「どうだい?楽しんで頂けたかな。おや、そちらのお嬢さんもご機嫌なようで。私本当に安心しました。さあ、出口まで案内します。」

 舞台も終わり、頃合いを見計らい、惰眠が扉を開けて入って来た。菊への配慮もあるみたいで良かった。難しいかもしれないが、これからはちゃんとこのような子も迎い入れてあげて欲しい。

 帰りは菊におまじないを教え、先に帰らせることにした。いつもの門の前で、私たちはそれを見送る形になった。

「恵ちゃん、美香ちゃん、ありがとうございます。大好き。また会いたいな。」

 菊は丁寧にお辞儀をし、さよならの挨拶をした。

「また会おうね。良い子にね。」

「あたしも大好きだよ。バイバイ。」

 私たちも返事をし、手を振った。ここに来られるのは善意がある人だけみたいだが、菊も例に漏れていない。偶然であって偶然じゃないみたいだ。今後彼女がここに来ない可能性が高いことを知っている私たちは、きっと菊以上に名残惜しさを感じていた。菊が消えていくまで私たちはずっと手を振っていた。

「いつも帰してるんですか?ああいう子。」

 菊が去った後、私は惰眠に聞いた。流石に門前払いはしていないだろうが、心配になってきた。

「そんなに多くはないんだけどね。私たちは「提供」しかできないんだ。勿論、幅は広いけど。だから迷い込んだ子を納得させて返すのは非常に難しいんです。申し訳ない。」

 私の見た通り、話を聞き、説得して帰しているわけではなさそうだった。

「お話を聞いてあげるだけでいいじゃないっすか?」

 妹も質問をした。これは前に私が思った、ここでの相談を受け付けているのかという 事柄に似ていた。

「それなんです。私はどうも聞くのが下手なようでして。他の者たちも実は会話はできないんです。言葉は通じますがね。いつもわんわん泣かれて、手が着けられなくなってしまうのです。最も、雑には扱いません。ここに来たからには全身全霊でやれることはやるつもりです。」

 どうやら誠意はあるみたいだ。本人のやる気ではどうにもならない問題なのかもしれない。しかし、人を幸福にするのに相談役となる人間が聞き下手というのはいかがなものなのか。私はそれが少し引っかかった。

「惰眠さん。失礼を申し上げるようですが、ここでの活動は長くないのですか?」

 それなりに顧客と接していれば、自然と聞き上手にもなる。増してやコミュニケーションを無視できないモノを良くするとなれば。確かにここは人を幸福にする力がある場所だ。それは認める。だが、それ以上に足りないものもある気がしてきた。

「ええ、ご名答です。まあ、年数は控えさせて頂きますが、まだまだ慣れていないという言葉が似合うでしょう。色々ご不便をおかけしているのは承知しております。」

 惰眠は深々と頭を下げ、私の質問に答えた。改善の余地があることが分かっただけでも良かった。それよりも、私はもっとここについて知りたくなった。私たちが手の着けられない魅惑の世界ではなく、自分の手でも何かが変えられるような気もした。

「いえ、ここに来て良かったと何度も思ってます。また、お話聞かせてください。」

 その事はまた後日にすることにし、私も一礼して応えた。きっとこの惰眠という男も(そもそも人間なのか)何かしらの問題を抱えているようで親近感を持てた。私たちは頭に手を乗せ、おまじないを自らに掛けた。

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